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いのちの授業

いのちとは?
この問いに、あなたは何と答えるだろうか。

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先日、助産院ばぶばぶのHISAKOさんが講師をされる中学校でのいのちの授業に、0歳児のおかあちゃんとして娘(10ヶ月)と一緒に参加させてもらった。

いのちの授業は、いわゆる性教育の一環、というか性教育を包括したまさにいのちと向き合う2時間だった。

HISAKOさんは(ご存知の方も多いかもしれないけれど)自ら助産院を経営されているベテラン助産師さんで、ご自身も11児(!)の母。
ユーモラスでざっくばらんで、THE大阪のおばちゃん!な語り口調の超パワフルな方、という印象をブログを読んで感じていたが、実際にお会いしたHISAKOさんはまさにその文章の印象そのままな愛に溢れた方だった。

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授業の冒頭で、8人くらいのグループに分かれた学生さん達に、娘を順番に抱っこしてもらう。
みんな緊張していたけれど、女の子達は口々に「可愛い!」と言い、男の子達は無口ながらも頬が緩んでいた。

そして「赤ちゃんを抱いてみてどうだったか?」の質問に数人の学生さんが答える。

その後HISAKOさんは、いのちとは?と学生さん達にも、養護教諭の先生にも問うた。
学生さん達からは『あたたかいもの』だったり、『心臓』だったりという回答が出ていた。
養護教諭の先生は『分からない』と言った。ずっと考えているのだけれど、分からないのだと。

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いわゆる“性教育”的な女性の身体の解剖学的な話から、性行為の実際、妊娠に至る経緯、妊娠から出産までの経過、性感染症の話もあった。
HISAKOさんは「私はあくまで女の立場からのことしか分からない」と、旦那さんのMARKさんも一緒に来て講演されていたので、女性側からだけでなく、男性側の身体の変化や気持ちといったところも、包み隠さず聞かせてもらえた感じだった。

その中で改めて、何億分の1の確率で授かった命、という話を聞いたりすると、自分が今ここにいることも、自分のところに二人の子が来てくれたことも、奇跡でしかないよなあと、胸が熱くなる。

そして妊娠初期のエコーの上映もあったりして。

妊娠検査薬で陽性が出てから、初めて産婦人科てエコーをしてもらい、小さな小さな命を確認したときの自分自身の体験が蘇る。
小さいけれどちゃんともう人間の形をしていて、小さな心臓がせわしなくぴこぴこと動いているのが見えて、外から見ても全然分からないけれど、確かにここに居るということが証明されたときの感動が。

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それから衝撃だったのが、妊娠中絶の現実(辛い表現も含まれるけれど、聞かせていただいた言葉をそのままに)。
妊娠初期の場合は子宮口を薬で無理矢理僅かに開かせて、機械を入れて赤ちゃんを出すため、その僅かな穴を通すためにグチャグチャにして体外に出さなければいけないこと。
妊娠中期の場合はもう赤ちゃんがある程度の大きさになっていて、出産と同じように体外に産み出し、しかも泣き声をあげることもあるのだけれど産科医が即座にへその緒を切り、鼻口を押さえる処置をせねばならないこと。
そした、中絶をした女性達がどれほどに傷つき、それを抱えて生きていっているのかということ。
助産師と言うと出産に立ち会う幸せなイメージが先行するが、それが現実。
看護師で学生の時には産婦人科系の勉強もし、実習にも行ったけれど、私も知らなかった現実。

この現実を突きつけられたら、本物の赤ちゃん達と触れ合い目の前にしている今、多感な中学生達は真剣に受け止め、向き合うだろうな、と感じた。

そしてインターネットが普及して情報過多のこの時代だからこそ、正しい知識を手渡すことが何より大切だよな、と痛感した。

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色々な話を聞きながら、私にはどこかこそばゆいような恥ずかしいような、そんな感覚がずっとついてまわった。
ほんと、中学生と変わらないんじゃないかと思うくらいに。

それには私の実家が性にまつわることに関して、タブー感が強かったことが関係しているのだと思う。
私は両親が触れ合っているの(例えばハグしたりキスしたり)を見たことがないし、コトがなされている気配を感じたことも一度もない。
下ネタが飛び出すお笑い番組は「こんなアホ番組見て!」とチャンネルを替えられ、トレンディドラマの濡れ場がくればリビングは死ぬほど気まずい空気。
生理がきても母は腫れ物に触るような扱いでナプキンをぽいと渡してくれただけだったし、化粧をすることは高校くらいになっても「まだまた早い」みたいな感じで、その空気のせいか、如何にも女性的な服装をすることもはばかられた。

でもそうされればそうされるほどに、私の中には違和感が溜まっていた。
だって私の両親には3人の子どもがいるのだから。

その違和感が性を否定することは、子どもの存在を否定するような感覚に繋がるからだと知ったのは、ごく最近のこと。

性をタブー視している思い込みがやっぱり自分の中には強くあるんだな、と再確認する時間でもあった。

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ちなみにいのちとは?の問いかけに、ぱっと出てきた私の答えは『巡り巡るもの』

生きとし生けるものの全ては、食物連鎖に代表されるように、他のいのち無くしては生きていけない。
輪廻転生(死んであの世に還った霊魂(魂)が、この世に何度も生まれ変わってくること)という意味も含まれる。
そして私達人間は、他の人間との関わりなしには生きられず、そこにはやりとりというものが生まれる。
そんな風に思っているのだろうと、後から思った。

HISAKOさんの答えは『自分に与えられた自由時間』なのだそうだ。

この問いには100人いればきっと100通りの答えがあり、そのどれもが正解なのだと思う。
きっとそれを問うことは、生き方を問うことであり、死に方を問うことでもある。
だから自分で正解だと思う答えを、それぞれが導き出すしかない。

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子ども達にも伝えたい、いのちの話。
どんな風に在れば、子ども達が自分自身を、自分の好きな人を、大切に想えるんかな。

まだ考え始めたばかりでまとまらへんけれど、まずは聞いた話をアウトプットしてみることが第一歩。
そしてとりあえずは夫婦が普通に仲良くあることと、こどもたちを抱きしめて好き好きスンスンくんくんこちょこちょしながら、このところの日々を過ごしている。

ここまで読んでくれたあなたは神なのかな。