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【ちょっと上まで…】〈第二部〉「ショーゴ」
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〈第二部〉
【ショーゴ】
薄暗い霧の中のような、はっきりしない意識の中、すぐ近くから声だけが聞こえる。
『ショーゴちゃん、あなたのパパやママはもういないの。もう誰も迎えに来ないのよ……』
ああ、いつもの夢だ。
保母さんの顔も覚えていないけれど、声だけは耳に残っている。一見かわいそうにと言う風な同情的な声音だった。でも、僕がなにかをしでかしたあとのような、どうしたら良いかわからないような不安げな声。
『やーい! 親無しッ子ー!』 『うちじゃ貰ってやんねーぞー!』 『やんねーぞー!』
こんどは子供の声が聞こえる。いじめっ子軍団五人組だ。
そうか、あの時……僕の引き取り手がいなくなって困ってたんだな、あの保母さん……。
『グレイト! ちょうどオマエみたいな子を育てたかったんだ!』
父さん……いや、イシヅカセンセイ……。あの時は僕もなにも知らなかったよ……。
霧が濃くなり、ぼんやりした視界は暗闇につつまれ、続いて大人の女性と男の声。
『いつまでも秘密にはしておけないんじゃないの? 子供はバカじゃないさ、特にあの子は賢いから……』 『もう、気がついてるかもしれんな』
気づいてるさ。僕は知ってるよ。センセイが僕の父さんを……。
……。
……。気づいてる?
……。
気づいて……。
「気がついてる!? ねえ、おい! 生きてるかコラっ!!」
いきなり暴力的な爆音と怒鳴り声が耳に飛び込んできてハッとする。
見えない力で全身が押さえつけられていて身動きができない。
ここは……?
◇
うわ、一瞬意識が飛んでた。
急激に白昼夢から現実に引き戻される。なにしろここは上昇を続けるロケット、〈キウンカムイ〉の中だ。
猛烈な力で機体を押し上げ、轟音をあげて燃えさかる指向性燃焼材。巨大な鉛筆を束ねたようなロケットに詰まっているほとんどの重量は爆発物、つまりは燃料で、人の乗る部分と積み荷のペイロードは全体の十分の一にも満たない鉛筆の先のとがった部分、ノーズコーンにある。
僕ら二人は、かろうじて気密されているノーズコーンのキャビン部分に収まっていた。
「キャビンなんて、かっこつけてるけどさっ、要は積み荷よね、アタシ達!」
パイロットシートで、轟音に負けないよう大声で叫ぶのは、生命力にあふれ、負けん気の強い瞳をした娘、リリク・カミオカである。
彼女の声でようやく状況を把握した僕は、精一杯の力で肺に空気を送り込み、途切れがちに叫びかえす。
「空気、があれば、キャビンだって、昔、親父さん、言ってたよ!」
僕の居場所は機関系の計器に囲まれたコ・パイ席だ、通常ナビゲーターシートと呼ばれる席に収まって身動きもできない。
まだ目の前が暗く星が飛んでいるように見える。強烈なGで頭から血が下がり、貧血を起こしてしまっていたようだ。
「はん! 横文字好きなだけでしょ!」
あのバカ親父。と重圧の中で軽口を続けるリリク。
その親父さんを探してこんなロケットに乗ってるくせに。と、思ったが、それは口には出さない僕。
今はしゃべるのだけでも大変だろうに、ああ見えて僕のことも心配してくれた、のかな?
〈キウンカムイ〉の最大加速は、見えない万力で全身とシートとが挟みつけられているようだ。
寝椅子状のシートに半分潜り込んだ頭は、不用意に横を向くと前に戻すのもつらい。
キャビンと言う呼び名はさておき、ナビゲーターと言いつつも、現状ではナビゲーション=誘導のしようもない僕は、無理に外を見ることをやめてパイロットシートにすわる彼女の横顔を見やった。
(リリクの奴、笑ってるよ……)
振動と加速Gで頬が引きつり、口角が上がって見えるが、あれは実際に笑っているんだろうと僕は思った。
(よく耐えられるな。僕なんて首を曲げるだけで一苦労なのに。
……。初めて会った時も、あんな風に笑ってたっけ)
◇ ◇ ◇
あれは僕がタイキ村に貰われてきて初めての夏だった。
もちろん友達なんてまだ誰もいない。
「そこで待っていろ」と、親代わりのセンセイに言われ、後に学校と知る役場の裏手の神社で石の階段にすわっていると、どこからともなく現れた五人の子供達に取り囲まれて、さっそく質問攻めにされた。
小さな村で、子供の数も少ない。村の外からやってきた色白の少年に興味があったのだろうと今では思えるけれど、あの時は恐怖でしかなかった。
「お前どっからきたん?」と、手にした木の枝をショーゴに向けて質問するリーダーっぽい長ズボンの男の子。
「親なし子か!」
「親なし子だ!」
こちらは半ズボン、見た目にそっくりの男の子二人。双子だろうか。
「片腕センセイに貰われてきたってさー。お前も片腕になるんかー?」赤いスカートでおかっぱの女の子。
「ばーか、本当の親じゃねーのにイデンするわけねーだろ」
「本当の親ならイデンするのんかー?」
「するわけねーだろ!」
最初の質問にどう答えよう、内地から来たっていえばいいのかな。なんて考えている間に矢継ぎ早に声をあびせかけられる。単なる興味からの質問であっても、その声は小さなショーゴの胸に刺さる。きゅっと心臓を捕まれたような恐怖にのどが詰まり、簡単には返事ができなくなっていった。
(勝手に話をすすめるなら声なんてかけてこなければいいのに……)
つぎつぎと続くからかい半分の質問につい衝動的になり、
「か、関係ないだろっ!」と突っぱねてしまう。
言ってから気がつく、きっとこういう言い方はダメだ。
即座に反応した五人組は、
「カンケーねーだろぉー! だってー!」
「カンケーねー! カンケーねー!」
と逆にはやし立てはじめた。
最初に声をかけてきたリーダー格の少年も妙ににやにやしている。これは自分より弱い相手、反撃してこない安全ないじめ対象を見つけた目だ。
(うぅ……)
こうなるとショーゴはもうどうしたら良いかわからない。自分の中の恐怖と怒りをどう表現して良いかわからず、頭に血が上ってぼうっとしてしまう。
今にもきっと殴られるだろう。頭を抱えて身体を丸くする。
施設でいじめられていた経験が呼び覚まされる。
ああ、ここでも僕はいじめられっ子になるんだ。
そんな予感がして、まだなにもされていないのに呼吸が浅くなり、涙が出てきた。
どこから殴られるんだろう。じっと目を閉じてゲンコツの痛みを覚悟していると、頭の上から「いてっ!」と声が降ってきた。
あれ? 僕は痛くないのに……?
「あにすんだっ!?」
どうやらショーゴを見下ろしていた少年が何者かに殴られたらしい。
「こらっ! また弱い者いじめして!!」と、初めて聞く女の子の声。
「兄じゃはいじめてなんていないぞ!」
「フシンシャを見つけただけだぞ!」
「やるのか!」
「くそリリク! やるのか? 黒焦げ女めっ!」
リリクと言うらしい、割り込んできた女の子は
「おう! やったるわっ!」と男らしく(?)叫び、嬉しそうに拳を振り回しはじめた。
◇
神社の階段の上からは、南に広がる海が見える。五人組と喧嘩して、ボロボロになった二人は並んですわり、傾いた太陽からの日差しで自分達の影が長く伸びるのを眺めていた。
彼女の話では、いじめっ子の五人組は兄妹で、いつもつるんでいるのだそうだ。上の子からイチロー、ヒメコ、ジロー、シロー、ゴローと言うらしい。なぜかサブローはいない。
「アンタさー、男の子なんでしょ? もっとガツンとやんなきゃダメよ、ナサケナイってやつ? かっこわるいよ?」
そう言って、まだ殴り足りないのかグー、パーと拳を握ったり開いたりしている少女。
まだ小さいショーゴにはナサケナイって言葉の意味がわからなかった、かっこわるいはわかるから、きっと褒め言葉ではないってことだけは想像できる。
「そんなこと言ったって。五人相手だよ。かないっこないよ。一人に勝てるかもわかんないのに、もし勝てたってのこりの四人にやられちゃうじゃん」
「バッカじゃないの?」
「バカじゃないよ! だって、だって僕の計算では……」
「はん、それがバカだって言ってんの! なーにが計算よ、強いものに立ち向かうからいいんじゃない! 今日だって五人相手に戦ったアタシの圧勝だったし!」
「あれは圧勝って言わないんじゃ……」
「なんか言った?」
「いえ、言ってない、です……」
リリク・カミヤマ。あいつらには黒焦げ女とか野獣リリクとかって呼ばれてるの。と自己紹介した彼女の瞳は、このアタシが負けるわけがない。やっぱり圧勝だったでしょ? と不敵に輝いていた。
◇ ◇ ◇
【燃焼終了】
ふいに身体を押さえつけていた重圧がおさまる。主燃焼が終わったようだ。
骨がきしむような圧力から開放され、やっと普通に息が吸える。
「ぷはっ、きっつかったぁ!」
さすがのリリクも結構堪えたらしい。
「へなちょこショーゴなんてつぶれちゃってないか心配だったけど、一応は生きてるみたいね。ちゃんと計器チェックしてよ!」
「や、やってるよっ!」慌ててリリクから計器に目を向ける僕。
「ヨシヨシ。さすがねー」
「一番二番燃焼終わったとこだね、すぐ切り離さないと!」
「三番まだ燃えてるでしょ、もうちょっと引っ張るよ! あと何秒残ってる?」
「え? エンジン一本で? 軸ずれるんじゃないの?」
「余計な心配すんじゃないの! 機長(キャプテン)はアタシよ? あと何秒って聞いてるのよ! 質問にはすぐ答えて!」
リリクはキャプテンを強調してちょっとむっとしている。
彼女の手元を見ると既に舵の補正をしているようだ。確かに余計な心配だったらしい。
「燃焼残あと七秒ぐらい……、三、二、一、終わった。舵戻して!」
「りょ…」
ヴォヴォ、ガッ!
「うかい」が聞こえる前にガクンと衝撃。
今まで続いていた加速がなくなる。最後まで燃えていた第三エンジンが一瞬咳き込んで燃焼を終えた。
慣性でスピードは維持されているけれど、Gに耐えていた搭乗者にとっては急に減速して宙に放り投げられた感覚だ。
ずっと踏ん張っていた筋肉のせいで身体もシートから持ち上がりベルトに食い込む。
加速が終わり空になった一段目は抵抗になるだけだ。燃焼終了と同時に切り離さないといけない。
そしてすぐに二段目の燃焼開始だ。
僕から指摘する前に彼女の手足は動き、訓練通り連続した切り離し・二段目点火シーケンスに入っている。
切り離しボルト点火。同時に二段目の液体酸素タンクのバルブが開かれ、極低温の酸素が爆発的に気化しつつ固形燃料の樹脂ペレットに降り注ぐ。点火。主燃焼開始。ほんの〇・二秒ほどの間に切り離された一段目は後方に落ち、お互いの連結索からも解き放たれて三方向にチューリップの花弁のように広がる。その空いた中央の空間に二段目の噴射炎がつきささる。
今まで一段目の先端にかかるヒサシのようだった三枚の板、二段目後方整流板はそのまま舵の役割にかわる。
二段目は一本の〈キウンカムイ〉ロケットなので、一段目よりも制御は楽になるはず、リリクならきっと大丈夫だろう。
彼女は小刻みに操縦桿を動かし、ショーゴにはわからないロケットの手応えを感じとっているようだ。
成層圏を切り裂くロケットは、確かに今彼女が飛ばしている。
集中しているリリクはカッコイイ。ついもっと横顔を見ていたくなるが、そうも行かない。そろそろ僕の出番。
「舵効かなくなる前に相対位置確認して!」と、夢中になっているリリクに声をかける。
「あ、そうね、目的地、〈バイトアルト〉はどこ?」
さすがにすぐに今確認すべきことに意識を戻したようだ。そして首を回して三つ並んだ側面窓を探す。もう地球が丸く見える。その蒼穹の上、小窓のスミに大きな影。
「あった! 見つけた! 目視確認! やっぱ大きいね!」
リリクは巨船の影が正位置上面に来るよう〈キウンカムイ〉の横回転を抑え、相対位置をあわせる。ランデブーはこちらの噴射を止めて行う。たとえるなら上空に放り投げたボールがちょうど下りはじめるところ、放物線の頂点で〈バイトアルト〉の背に降りるようにしなくてはいけない。
「オンナは度胸、一発勝負。勘と幸運にまかせて突っ込むわよ!」
「ちょ、ちょっと!」
本気でそのまま突っ込みそう。
僕は慌てて対比物もない宇宙で目測でタイミングを計ろうとしている彼女を止める。
「ここじゃ見た目はアテになんないよ。今計算してるからちょっとまって!」
「早くしてよね! のんびり計算しててタイミング逃がしましたーなんてことにならないようにね!」
「勝手なこと言ってるよ!」
僕はグローブ越しにペンを握り、ノートパッドにガリガリとベクトル式を書きなぐる。パラメータが多いから暗算じゃ心配なんだ。
書いていた数式と、計器と、〈バイトアルト〉が見えている角度を繰り返し確認して、やっとお互いの相対位置を確信する。
「迎え角二度下げ、用意して、三、二、一、ハイ」「やっぱ効き悪いね。でも大丈夫。オーケー、そのまま……五秒後燃焼止めるよ」「……三、二、一、燃焼カット」
そう言って液体酸素弁を締める。
二段目の燃焼も停まり、完全な無重量状態になる。
ふう。やっと一息だ。
「やるじゃん、ありがと、計算だけはアタシじゃ無理だからねー、ついてきて貰ってよかったわー」
「計算も、だろう? そういうこと言ってると点滅信号読んでやんないよ?」
「あ、それもだわね。感謝してますよ密航者さん!」
「まったくもう、調子いいんだから」
張り詰めていた緊張がほどけて二人して笑う。
「ところでさ、アンタの計算疑うわけじゃないけどさ。ほんとにもう噴射止めちゃっていいの? まだまだだいぶ先に見えるけど……」
「もう空気抵抗がほとんどないんだよ、ブレーキないんだからこれでいいんだ」
「うーん、そうなの?」
「危ないなあ、リリク勢いありすぎ。飛び越しちゃうところだったよ。」
「大丈夫よ、いざとなったら反対向きにしてブレーキ噴射すればいいでしょ」
「……そりゃ理屈はそうだけど……」
「えー、親父もそうしてるって前言ってたし、できるでしょ」
「そんなむちゃくちゃできるの君達親娘ぐらいなもんだってば……」
◇
「本当に乱暴な親娘だよなー」
と口では言いつつも、僕はこの親娘の関係がうらやましい。
僕の本当の両親は物心つく前に死んでしまってもういない。
親代わりに引き取ってくれたイシヅカセンセイをとてもありがたいとは思う。けれど、どうしても本当の父親のようには思えないんだ。
◇ ◇ ◇
【ハードランディング】
ショーゴとリリクが生まれる少し前、スマートボム・インシデントからの一連の騒動で、世界は崖から転げ落ちるように戦争に向かって突き進んでいた。
国も社会も、そして人々も、コンピュータだけでなくなにもかもが壊れはじめていた。
二人の住むタイキ村は、戦前は宇宙への入り口として整備されていた。
最先端の宇宙産業と、自然からの恵みである農業・漁業の二本柱で成り立っていたのだ。
国の中央から遠く離れた、とにかく広い土地と、東側に大洋が広がるこの場所は宇宙港にうってつけだったのである。
強大な電磁パルスとも特別なコンピュータウイルス攻撃とも、その同時発生による事故とも、あとから様々な説が生まれたが、いまだになにが起きたのかよくわかってはいない。とにかく、高度な=スマート・コンピュータは、ほぼすべてあの一瞬で動作を停止してしまったのだ。
村の宇宙産業も、電子機器をコントロールするコンピュータが使えなくなると同時に身動きが取れなくなってしまった。が、田舎ゆえに農機具などは完全に電子化されていなかったことが幸いして、ほかの地域ほどの大混乱はなく、大戦の初期をのりきることができた。
しかし、国にとってはここに残された大型の滑走路(宇宙往還機にも対応できる)は魅力だったようだ。インシデントから半月あまりの混乱ののち、牧歌的だった村にもようやく軍人が現れる。
彼らは村はずれの航宙機発射台と滑走路に駐屯すると、一方的に施設を軍の管轄下に置くと乱暴な物言いで宣言したのだ。
もともと、商業と宇宙の平和利用推進のための施設であり、そのことを大切にしていたタイキの人々は猛反発し、管制塔を文字通り二分して軍の管理と民間管理のいがみ合いに発展してしまった。
両者のにらみ合いが続き、一触即発の中、緊急サイレンが響く。
墜落に近い速度で急角度侵入する宇宙往還機からの緊急着陸申請、エマージェンシー・コールだった。
小型オービタータイプの機体で、両翼端の極端に高く跳ね上げられたウィングレットが特徴のミニ・シャトル。通常ならば純白の機体のはずが、機体半分は黒く焦げ、さらに方向舵の役割も持つウィングレットも欠損してしまっている。
上空で攻撃を受けたのだろうか。
まっすぐ飛べているのが不思議なほどのダメージである。
これではまともな着陸などできようはずもない。
適切な対処がわからずうろたえる軍の管制官を尻目に、民間でシャトルとの通信を担当していたヨネ・カミヤマ(当時のタイキ村村長の妻である)は立ち上がり、地上スタッフにこう伝えたと言う。
「命がけで降りようっての降ろさねえわけにはいがね。皆の衆、わるいけんどよ。気合入れて行っとくれ。うけ止めてでも降ろしてやるんだぁ」
村の皆も口々に同意し、耐衝撃性ネットに化学消火剤の準備、オーバーランエリアへの医師の配置など、軍の指揮を半ば無視して民間による緊急の着陸保護体制が即座に整えられたのである。
そもそも一般の航空機よりも沈下率が大きいシャトルである、スピードを殺しつつ揚力を得るためだろう、極端な迎角で滑走路に飛び込んだ機体は、機体後尾がランディングギヤよりも先に地面に接地、火花が散り、反動で機首が地面に叩きつけられる。
幸いシャトルにもう燃料は残っておらず、すぐに爆発にはいたらなかった。が、応力限界を超えたストレスによりランディングギヤがはじけとび、機体から右翼部が欠落、くの字に折れた機体は斜めに崩れ落ちるように滑走路にこすりつけられ、難燃素材も摩擦熱で発火。左翼側が持ち上がって半回転、上下さかさまの状態で滑走路を滑り、滑走路脇のグラベルベッドを突っ切りながらようやくパラシュートが展開。もう両翼をなくした砲弾形のキャビンエリアがごろごろと転がりつつ、キャッチフェンスをなぎ倒してようやく停止した。
機体の静止まで、タッチダウンの瞬間からわずか十一秒。見守る村民には永久とも思える十一秒だった。
救出に向かう彼らの表情が曇る。どう見ても生存者はいないと思われたのだ。
滑走路に長く伸びる焦げ跡に沿って精一杯の速度で走り駆けつけたポンコツの化学消防車が泡状の消火液を振りかける。
まだろくに温度も下がっていない機体にとりつく消防隊員達。
そして、折れ曲がったキャビンの奥、黒煙の中から、何重もの衝撃パッドと宇宙服に守られた女児が無事保護されたと言う知らせで、ようやく炎と戦う男達の顔に笑顔がもどった。
残念ながら黒焦げのキャビンの乗客にはほかに生存者はいなかった。女の子を守った衝撃防護パッドは、どうやら機に乗り合わせ、死亡した軍医夫婦の手で保持されていたようだ。
助け出された女の子はその小さな手にしっかりとコイル状のなにかの部品を握りしめていた。その場にいた誰もがその時は正体がわからず、単なるお気に入りおもちゃかなにかだろうと思われた。
そして、完全に破壊されたコクピットの残骸から、身体の半分を潰された状態でパイロットが救出された。彼の命を救うため、左腕を切断することになってしまったが、あの惨状を眼にしたものからは、その程度ですんだことすらも奇跡と思われた。
◇ ◇
物心ついた頃からひとりぼっちだったショーゴ。初めて意識した自分の居場所は軍の託児所だった。
遠くに赴任している軍医師とプログラマーの夫婦である両親は、ひと月に一度の割合でやってくるよく知らない人だった。
ある日、保育士さんが目を赤くはらせながら両親の訃報を知らせ、「ショーゴ君、かわいそう……」と言っていた。
大人の人も泣くんだ。そして、僕はかわいそうな子なんだ。とその時思った。
その後、戦争で疲弊しきった人々の間をたらい回しにされ、言葉を覚える頃には、すっかり自分はいらない子なんだと思うようになってしまっていた。
ある日、ショーゴを育てる責任があると言って隻腕の大男が訪ねてきた。身寄りのなかったショーゴは、よくわからないままに幼学校の校員宿舎へ引き取られる。昔パイロットだったと言う大男は、片腕を失った今はこの学校の先生になったのだそうだ。
最初は男の素性に警戒していたショーゴだったが、いつしか、初めてできた父がわりの家族を大切に思うようになっていた。
そして、そのころ初めてリリクと言う女の子に出会った。
彼女はいつもまるで男の子のように元気に走り回っていて、臆病だったショーゴにも分け隔てなく接してくれ、すぐ友達になってくれた。
親無しっ子といじめられていた時など、何度となくかばってくれ、危ない所を救われたものだ。
片腕の男は、リリクの父親とは古くからの親友同士らしいと言うこともわかってきた。なんでも戦争中にリリクのお母さんを取り合った仲なのだとか。
リリクのお母さんもショーゴの両親と同じころに亡くなってしまっている。
親同士の関係はよくわからないけれど、運命がもしうまく転がったら、本当に姉弟になれていたかもしれない。
そんなことを想像すると、なんだか身体がむずがゆく、そしてほっと暖かくなるショーゴなのだった。
◇
父親代わりの男と、遊び相手の元気な少女のおかげで、少しずつ幸せや楽しさを感じられるようになったショーゴだったのだが、残念なことにこの義父はどうも子供を引き取るにしては少々生活力に欠けているようだった。
困ったことがあるといつもリリクの家や、近所のミカおばさんに頼り、気がつけば食事の用意はミカおばさん、洗濯などはまだ小さいショーゴが担当することになってしまっていた。
ミカおばさんはあの五人組の母親だ。そんな相手に世話になることも、ショーゴにとってはつらい状況である。
しかし、それを訴えても義父は意に介さない。いつも「困った時はお互い様だからな。はっはっは」などと言って笑っている。
ミカおばさんは五人の子供を抱えながらおばさん一人でなんでもやっている。(あそこの家もお父さんがいないんだ)それに引き替え、うちの父さんは困ったモノだ。
片腕ではろくなことができない、と言う理由を良く口にしていたが、家ではごろごろしているだけに見える彼に、一度、ショーゴは聞いてみたことがある。
「僕は父さんの手の替わりに引き取られたの?」(この時はまだ彼の事を父さんと呼んでいた)
その言葉に、彼はひどく狼狽した。
いきなり表情を変えた義父に驚き、怒られるに違いないとショーゴが身を小さくしていると、
「そんなことは絶対にないッ! そう思わせてしまったのだとしたらすまん! このとおりだ!」と、片手をついて不器用に土下座をする。
こんな小さな自分に土下座までしてくれる大男に、幼いショーゴはどう反応したら良いかわからなかった。
翌日、リリクに相談すると
「センセイね、小さいショーゴに頼っちゃってたから、自分がナサケナイだったんだよきっと」と教えられる。
「ナサケナイ?」
「そう」
ナサケナイか、初めてリリクにあった時に僕が言われた言葉だ。
あの頃、ショーゴは義父を「お父さん」と呼ぶよう彼なりに努力していたのだ。ただ、そのかわりに本当の父母が遠くなってしまうようで抵抗もあった。
彼のことを「センセイ」と呼ぶようになったのはいつからだったか。決定的なのは、あの噂話を耳にしてからだろう。
『あのころはそりゃあひどいもんじゃった、あの娘が落ちてきた時だってなぁ……』
『ああ、あの黒焦げの娘……』
『片腕さん所の子のご両親、あの事故の被害者だって話じゃない?』 『え、それで引き取ることに?』
たまに大人達の言葉に入り込む、自分やリリクの話題。
最初は意味がわからなかったが、五人組の長男が妹弟達に口止めしている姿を見て、とうとう確信してしまった。
『ショーゴの本当の父さん母さんの話、リリクとショーゴにだけは言うんじゃないぞ』
『燃えちゃったんでしょ?』
『センセイの腕も燃えちゃったの?』
『しっ! その話は秘密なんだ!』
教室に残った子供達の間で交わされる秘密の会話、偶然扉の陰で自分の名を聞いてしまったショーゴ、動悸が高まり、体中から冷や汗が吹き出す。自暴自棄になって噂話の輪に飛び込んでいきたい衝動を必死で押さえ、じっと静かに息を潜め、見つかりませんようにと祈っていた。
混乱しつつも妙にさえた頭の中を情報がぐるぐると駆け巡る。
・スマートボム・インシデント後の戦争のこと。
・僕の本当の父さん母さんは軍にいた。
・今の父さんは元軍のパイロット。事故で片腕を失って引退したそうだ。
・飛行機の事故。父さん母さんは燃えてしまった。
・リリクのあだ名、野獣なのはわかるけれど、黒焦げってのは意味がわからない。
もしかして……?
不完全な情報だけで決めつけたくはない。けれど、真実に近いところにいるとショーゴは感じていた。
この話、もしもリリクに知られてしまったら、彼女はどう考えるだろう。
彼女だけ生き残って、僕の両親が死んでしまった。責任を感じてしまうんじゃないだろうか。
センセイはどう考えるだろう。
もしかして、本当にそれで僕を引き取ったんだろうか。
ようやく見つけた居場所がなくなってしまうかもしれない、そんな恐怖が身体をこわばらせる。
この話を僕が知っていることは、皆には秘密にしないといけない。
僕ら以外の村人全員にこの話が知られているのだろうか。いつも明るく接してくれる村の人々との間に暗くて深い溝ができてしまったことを感じる。
溝のこちら側には僕とリリクだけ。
やっぱり誰にも言えない。たとえリリクにも。いや、リリクにこそこの秘密を知られてはいけない。
もっとも信頼している少女とも秘密を分かち合えない。ショーゴはひとりぼっちだった。
皆を隔てる溝と、孤独を思うとつらくてたまらない。絶望感で目の前が暗くなり、足もすくんでしまう。
そう、あの日から、僕は義父を〝センセイ〟と呼ぶようになったんだ。
◇ ◇ ◇
【〈バイトアルト〉へ】
機体にぶつかる空気がほとんどないこの高空では、燃焼が停止すると急に静かになる。いきなりの無音で耳がキンと痛む。思わず気密を確認する。大丈夫そうだ。(もしエア漏れしていたら別の音が聞こえているだろう)
加速がなくなると、機はかりそめの無重量状態、いわゆる自由落下状態になった。
斜め上に放りあげられたボールが放物線の頂点を越え、下方向へ向きを変えて再び地面へ落ちるまでのしばらくの間、もしもボールの中に人がいたとしたら、中の人は重力を感じなくなる。(もちろん、地面に叩きつけられるまでのわずかな間だけれど。ちなみに、ものすごく強い力でボールを投げて、放物線のカーブが地球の丸みに沿うぐらいまで投げ上げることができたら、そのボールはいつまでも地表に沿って落ち続ける。これが人工衛星なんだ。)
「宇宙きたよ! 宇宙! これは楽しまないとねっ!」
リリクはシートベルトをはずし、狭いコクピット内で宙返りを演じてみせた。
「ぐるぐる~。たーのーしー!」
「もー、操縦桿とかぶつからないようにしてよ、狭いんだから!」
「アタシを誰だと思ってんのよー、だいじょぶだいじょぶ!」
かろうじてまだ上昇はしているが、もうすぐ放物線の頂点がやってくる。
ロケットの燃焼加速が終わり、等速運動になっただけで床から足が浮き自分が落下しているような感覚にみまわれる。どこまでも墜落していくような不思議な感覚。
胃が持ち上がってきてぞくっとする。リリクはよく大丈夫なものだ。飛行機の急降下で慣れているんだろうか?
僕はとにかく気持ちを静めようと、いつもの儀式をする。
窓の外を見て、だんだんと近づいてくる〈バイトアルト〉との相対的な位置と速度の差分計算を繰り返す。たとえ高速で移動していても、自分の居場所さえ確認できれば、僕は落ち着くことができる。
急に窓が暗くなった。〈バイトアルト〉の影に入ったのだ。
気がつけばすぐ頭上に巨大な船体が広がっている。視界を埋め尽くすダークシルバーの影。
ついこのままあのカタマリに衝突してしまうのではと錯覚する、まだ十キロ以上は離れているはずなのに。
「どんだけおっきいのよ、あれ」
「しっぽまで入れたら全長は九キロ、翼の端から端までは十一キロもあるんだって。村の滑走路の三倍はあるね」
「でっか……。それじゃもうドッキングじゃなくて着陸だわね。ランディング・ポイントは上側にまわったらわかるのかしら?」
「え? リリク、聞いてないの?」
「聞いてないよ、センセイは『行けばわかっだろ』だって」
「センセイまでいい加減な……」
そうこうするうちに〈キウンカムイ〉は〈バイトアルト〉のしっぽをかすめ、後方から巨人機の上面に出る。
同時に機の向こう側から太陽も顔を出し、〈バイトアルト〉上の地平線から太陽が登ってくる。
群青から漆黒へのグラデーションの空と、大気に拡散されないままのまっすぐな太陽光線。足下は白く輝く〈バイトアルト〉だ。
「すごい眺め」
「だね、キラキラしてる」
地上でもここでも、日の出は感動的だ。
でもうっとりもしてられない。リリクはあらためて席につきシートベルトを締める。
「さって、どこに降りたらいいのかなー?」
首を回して表面を探していると、グンと上方向にGを感じる。まるで見えないロープを機体に結びつけられ、下方へ 引っ張られているようだ。身体を固定していなければ天井にぶつかり痛い思いをしたかもしれない。
「なに、今の?」
「舵は?」
「触ってない、姿勢制御噴射もしてないわよ」
僕は計器を見回した。
「噴射、してないよね。エア漏れもなさそう。なんで動いてるんだろう。なにか外力が作用していないとこんなことは起きないはずだし……」
「見て、あれ!」
リリクが指差す先は〈バイトアルト〉背面中央の突起、アプローチラインだろうか、グリーンのランプが光っている。
「あそこに引っ張られてるみたいよ?」
「強制誘導? 一体どうやって!?」
「知らないわよそんなの! ちぇっ。そんなことしてくれなくてもちゃんと降りるのに!」
リリクは自分で操縦するのは好きだが、他人が操る乗り物に乗るのは毛嫌いしている。愛機を乗っ取られる気分なんだとか。
何者かの操縦で機は〈バイトアルト〉背面中央、直射日光に照らされて黄色く縁取られたくぼみに誘導されているようだ。
だんだんと近づいてくる。
「なにもしないで激突するのはイヤ。ぶつかる前に制御噴射するから秒読みして!」
「いや、やめたほうがいいよ」と僕は首を振る。
見えるものすべてゆっくりと動いていて感覚が騙されるが、実際は音速の十倍以上ものスピードで飛んでいるのだ。
「点滅シグナル。見て。ドゥノットスラスト、噴射するなってさ」
「むー。なによ、機長はアタシのはずなのに。おもしろくない」
憮然としたリリクがなにもしないまま、滑るように〈キウンカムイ〉は〈バイトアルト〉船体中央に近づいていく。
もう地球の姿は〈バイトアルト〉の陰になり見ることはできない、視野の半分上面は青黒い蒼空(そら)、下方半分は白く輝く〈バイトアルト〉の両翼に埋め尽くされている。巨大エイが持つ両のひれ、翼は薄い膜のよう。まるでとんでもなく大きな凧だ。地上から引いている糸はないけれど。
リリクのおじいさんが生きていた時、三角形の翼を持った凧を飛ばしていたことを思い出す。
おじいさんは『ビニール製のカイトなんて子供の小遣いで買えたもんじゃが、今じゃ珍しい高級品じゃな』なんて言ってたっけ。サイズがまるで違うだけで形は結構あれに似ている。
両翼の大きさのせいで細く見える中央の背骨、近づいてみると結構太い、タイキの滑走路の倍ぐらいありそうだ。
その背骨中央に、小さな楕円形プールのようなエリアがあった。村の再生工場のゴミプールに似ているけれど、もちろんゴミが浮いているわけじゃない。綺麗な薄赤色をした樹脂シートのようなものが底に張られている。
プールの頂点には、先ほどリリクが見つけた誘導灯がある、どうやらそこが目的地らしい。
「なんかエロくない?」色から連想したのか、リリクは巨大なエイの背中に張り付いた、女の人の口を想像したそうだ。そんな妖怪いなかったっけ?
「やっぱり接地の瞬間さ、噴射したほうがいいんじゃないの?」
「やめときなってば。やったらこっちが浮いて離れちゃうよ」
なんてことを言っている間にプール底面に接地、したはずが、なんのショックもない。
「あれ? なにこれ?」
機はそのまま、抵抗なくずぶりと樹脂のようなものに潜り込んでしまう。
「着陸、じゃないよね、取り込まれた?」
「えっ!? ちょっとやだ! 食われちゃったってことじゃない! どうすんのよこれっ!!」
ずぶずぶと〈バイトアルト〉内部へ沈んでいく〈キウンカムイ〉。
このままでは完全に埋もれてしまいそうだ。
もう姿勢制御ジェットは沈み込んでしまっている。メインのロケットはもちろん、このジェットもなにかに密着した状態での噴射は想定して作られていない。ここで噴射して、出口を失ったガスが暴発なんて事態は避けたい。
僕の脳裏には先ほどの「噴射するな(ドゥノットスラスト)」と言うサインが点滅している。
あせって行動に出ようとするリリクを必死で押しとどめる。
外部から機を誘導できるような相手なんだ、きっとこのぐらい想定しているんだろう。
もう、窓の所まで樹脂があがってきてしまった。
「こんな上まで登ってきたのに、なんだかよくわからないものに沈んじゃうなんて!」
「クソ親父にクソセンセイ! 教本にこんなこと書いてなかったぞバカッ!!」
慌てるリリクを尻目に、〈キウンカムイ〉は深く、静かに潜行していく……。
〈つづく〉
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銃と宇宙 GUNS&UNIVERSE
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