【ちょっと上まで…】〈第五部〉「母娘」
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〈第五部〉「母娘」
〈ラウンジ〉
アタシの名はリリク。リリク・カミヤマ。
自分で言うのもなんだけど、本当のアタシはめちゃくちゃ元気。野山を走り回ったり、家の軽飛行機、ペラ子で空を自由に飛び回ったりするのが大好きな、ごく普通の女の子……、だと思う……。
そりゃあ喧嘩もたまにはするよ? でも間違ったことをしてるつもりはないし、弱い者いじめなんて絶対しない。アタシなりに一本筋の通った生き方をしてきたつもり。なんだけど……さ。
それが、ここ、成層圏に浮かぶ亜軌道船(エクラノプラン)〈バイトアルト〉に来てから、調子が狂いっぱなしなわけ。
実はウチ、カミヤマ家はロケット屋なんだ。タイキ村一番のね。クソ親父に言わせると世界一らしいけど、ウチの村以外でロケットを飛ばしている所なんてアタシは知らないから、本当かどうかはわかんない。で、そのクソ親父が、「ちょっと上まで行ってくる」なんて言って、この〈バイトアルト〉に荷物を届けに上がったのよ。村の〈キウンカムイ〉ロケットでね。
そして、帰ってこなかったんだ。
何か事故があったのかも、死んじゃったかも。なんて、心配したりも一応はしたのよ、そりゃあ人並みにはさ。でも、そんなのぜんぜん余計なお世話だったみたい。苦労して親父の代わりにロケットを飛ばして、ここまで上がって来てみたら、地上のことなんてそっちのけで、あのクソ親父はちゃっかり機械でできた女の人とよろしくやっていたってわけよ。
密航してアタシについてきたショーゴもこれには呆然としていたんじゃないかなと思う。
アタシは呆然どころじゃなくて、もうカッとなっちゃってさ、親父に食って掛かったんだけどこれが全然ダメ。なにしろ乱暴な奴だから、逆にコテンパンにのされて、吹っ飛ばされちゃって……。
そのうえ……、今度は……、あの、親父とよろしくやってた機械の女の人が、アタシを産んだ母親だなんて言い出したのよ……。それも、機械の身体になった理由っていうのが、アタシを死なせないために、この船、〈バイトアルト〉の中枢になったんだ……。なんて話を聞かされて……。
◇
〈バイトアルト〉。軽飛行機のペラ子やロケット、〈キウンカムイ〉のように簡単には飛ばせないこの巨船を、アタシの母はそれからずっとコントロールし続けてるってこと?
きっと以前は騒々しかったんだろう、いろんな人たちの会話が飛び交っていたんだろう〈バイトアルト〉のラウンジ、そこには今、機械の低いアイドリング音と、同じように低いクソ親父の声が聞こえるだけだった。
親父もその時、この場には居なかったはずなのに、まるで思い出を話すように語り続ける。長い話はまだ終わっていない。
ゲンコツの暴力で言うことを聞かされるのには慣れっこだけれど、こんな長話をする親父を見るのは初めてのことで、こんな途方もない話もやっぱり初めてで、いつの間にかアタシは歯を食いしばって、椅子のヘリをガチガチに握りしめて聞いていたんだ。
痺れたを手のひら広げ、軽く伸びをしようとして浮き上がりそうになる。話に気をとられて低重力(ロージー)も忘れちゃっていたんだ。うっかり少し足が床から離れちゃって、斜めに傾いで転びそうになった。わたわたしていると隣で体を固定していた幼馴染みのショーゴが引っ張って床にもどしてくれる。もぅ、めっちゃ恥ずかしい。なんでこんなにみっともないの、アタシって……。
また逃げ出そうとしていると思われたのかな。
「今度は、逃げないから……」と、心配そうにこっちを見ているショーゴに小声でささやく。
ラウンジに備え付けられている大きな窓、そこに額を押しつけ、窓の外を見ているふりをして自分の目をにらみつけた。暗い宇宙を背景に、鏡みたいに反射しているんだ。
充血した赤い目が宇宙に浮かんでいる。自分でも怒っているのか悲しんでいるのかわかんない。
アタシ、嫌な娘だな。素直になれない。ううん、素直ってのは自分に正直ってことだから、ワガママになって良いってこと? 正直に怒ったり暴れたりしたらいいの? もう、ほんとよくわかんない。
自分で自分が嫌なんて。こんな混乱した気持ちは初めてのことだった。
そんなこと、自分にだけはおこらないと思っていたのに……。
落ち込むってこういうことなんだろうか。
村の女の子にもよくいた。泣き虫やヒステリーを起こした子を見るたび、ああはなりたくないわね。なんて……さ、アタシはあんな風になりっこない。そう勝手に思って少しバカにしてたのかも。そのアタシが自分でこうなっちゃうなんて、バチがあたったのかも。きっと、この気持ちがわからなかったアタシのほうがずっと脳天気でバカな子だったんだ……。
今、亜軌道船〈バイトアルト〉は、地球の夜の側を回り終えたところ。丸い地表の向こう側から眩しい光点、太陽がまた昇ってきた。ロケットのノズルブラストみたいな強烈な輝きが視界を貫く。
慌てて目を閉じた。再び薄く目を開けると、一瞬、ふっと、地平線の縁が明るくなって、さあっと地表が色づき、真っ暗だった海面が青く輝きだした。
――― くやしいけど、やっぱり綺麗。
地上では次の朝に太陽が昇ってくるのは当たり前のこと。でも、ここではそうではないんだ。誰かが ―― 例えば母が ―― 犠牲にならなくては、次の夜明けはやってこない。
◇
窓ガラスに押し付けたおでこを支点にして、両肘を抱きかかえて、ふくれっ面で佇む。そんな娘に親父は話を続けていたけれど、それもようやく終わろうとしていた。
――― 母の気持ちを考えろ、か。
人の気持ちなんていつもお構いなしな親父からそんなこと言われるなんてね……。
「もしあいつがそれをしなかったら……」親父は言う。
「この船はそのまま墜落して、お前はもちろん、多くの人が助からなかっただろう」
アタシは反応できない。一緒に話を聞いていたショーゴはアタシと親父のほうを交互に見て、
「それじゃ、リリクのお母さんは、お腹のリリクや皆さんを守るために……」と言った。
「それしか、生き残る道はなかったんだろうな。だからな、リリク、俺の事はべつに構わん。だが、セイコを責めてくれるな。お母さんをいじめる奴は、たとえ娘でも、許すわけにはいかん」
ゆっくりと、数呼吸おいてから、
「俺からの話は……以上だ」
そう言って、クソ親父は話を終えた。腕を組んでクソ偉そうにこっちの反応を待っている。
アタシはなんでもすぐ決めるのが取り柄だ。ペラ子で飛んでいる時だって、たとえロケットの時でも、すぐに自分の状況を確かめ、迷わず判断するのが得意だって自分でも思っていた。
だけど、今はどう判断したら良いのかまったくかわからない。
エアポケットにはまって舵が利かなくなったみたい。まるで、怖い夢で見る、急に足元が崩れて足場をなくしてしまったような感じ。抵抗できずどこまでも落ちていく……。でも目覚めることができないんだ。
あっと言う間に世界が今までと違う形に組み替えられてしまったよう。この新しい世界はわからない事が多すぎて、どうしたら良いのか、いろんな物や人に、どう触れたら良いのかもわからない。
「大丈夫かい?」幼馴染みのショーゴに問われても、ヤツの考えも気持ちもひどく遠くにいってしまったようで何も見えず、わからない。
混乱したアタシはただ、ガラスに頭をおしつけたまま、左右に首をふるだけだった。
◇
どのくらい時間がたっただろう。皆が黙りこくった、居心地の悪いよどんだ時間の後、唐突に、めちゃくちゃ場違いに明るい声がラウンジに響く。
まるで宇宙で見る日の出に起床ラッパが重なるみたい。キンキンに甲高い声。
「ふりっぷふろっぷぷろろポーン!」
びっくりして思わず振り向くアタシ。
「な、なに?」
ラウンジの入り口には、小さな子猿、リルがやってきていた。
親父の話の中に出てきたパンドラとは別の子なのかな、サルなのに言葉が話せる不思議な子。
足音も騒々しかった親父と違って音もなく、いつの間にか(アタシが気がつかなかっただけかもしれないけど)、ドア脇の手すりにしっぽを絡ませたいつものポーズで小さな体を固定していた。
「マダム・セイコからでんごーん! リリクたいちょにデンゴーン、夕食あとで、一人ブリッジにきてよ欲しいよとの事! 大事なお話あるですてと!」
一人で来いってことね。舌足らずな高い声はシリアスな状況にあわない。やっぱりこの子も聞いてるほうの気持ちなんてきっと考えてないんだ。おサルだもんね。ってちょっと笑いたくなっちゃうけど、今はもちろん笑えるような精神状態じゃない。アタシは逆にひねくれてしまう。
「……。なんでソイツが直接こないのよ。昨日まで母親なんてアタシには居なかった。知らないわそんな人」
ぶっきらぼうにそう答えながら、なんでこんなこと言っちゃうんだろう、ほんとアタシって嫌な奴だなんて自嘲(わら)っていたら、親父のほうからブチッて何かがキレた音が聞こえた。
「!!」
無言のままガツガツと大股で近づいてきて、やたら重い拳骨が飛んでくる。アタシはぶん殴られるって解っていたのに、ノーガードでそのままふっとばされた。窓にあたって体ごと跳ね返り、ショーゴのほうまで飛ばされて、ゆっくりと落ちる。めちゃくちゃ痛いはずなのに、痛みも怒りも湧いてこない。床が頭に近づいてきて、顔面から着地。まあ、低重力(ロージー)だから大丈夫かな。なんて、不思議と冷静にそんなこと考えたりして……。アタシはそのまま力なく、ぺしゃってくずれ落ちた。
あんなこと、言いたくなかったのに。つい言ってしまった。
アタシってホントバカ。
今だけは殴られて当然。って、自分でも思う。
そんな、ほんとにバカな娘を心配そうに覗き込んでくるのはうっとうしい幼馴染みだ。嫌だな、ほっといてよ。いつもいつも気をまわして……。アタシは今、自分自身が嫌いでしょうがないんだ。アンタにも見られたく無いの。どっか行っちゃってくれないかな……。でも、コイツはそんな時にもそばにいてくれちゃうんだわ。ほんと、迷惑な奴。
「生きてるよね?」と心配そうにショーゴ。
「うん……。死にたいけど、ね」とアタシ。
「行ってあげなよ……。どんな姿だって、親が生きてるんだから。話ができるんだから。話、してあげなよ……」
親無し子のショーゴにそう言われちゃったら、聞いてやるしかないじゃない。
アタシは倒れたまま、体を丸めてうずくまる。どうしよう、勝手に目から汗が流れ出してくる……。でも、意地でも泣き声なんかださない。涙の理由は殴られた頬の痛みのせいじゃないことぐらいはバカな頭でもわかってる。それよりずっと、胸の奥のほうが痛いんだ。
こんな自分はホント嫌い。アタシがアタシじゃないみたい……。
リルですらびっくりして黙っている静かなラウンジに、みっともなく鼻をすする音が響いている。
そして、アタシは、かなりの時間がたってから、やっと身を起こして、ショーゴにだけ聞き取れる小さな声で、
「……うん。行ってくる」
とだけ答えた。
◇
成層圏、厚い大気の層よりほんの少しだけ、すれすれ上側の亜宇宙を飛ぶ〈バイトアルト〉。ロケットの爆音や飛行機の風切り音みたいな、アタシに馴染みのある音は全然聞こえてこない。たまにバチバチって音が遠くから聞こえてくる。ショーゴはプラズマだの帯電だのって言ってたけれど、多分アタシには理解できない世界の音だ。
目で見れたり、指で触れたり、耳で聞いたりして、どうなっているか想像できるもの。アタシにはそれぐらいしかわからない。単純かもだけど。
「ここは、見えないものが多すぎるよ……」
誰にともなくそう呟く。
船になってしまったと言う母、会話はできるかもしれないけど、触れることも見ることもできない。そんな母親にどう接したら良いのだろう。
どこからかショーゴが持ってきて、履かせてくれた磁力靴が床に張り付く、そのゴッヅゴッヅという音を、自分の足音じゃないように聞きながら、母であるという船の通路壁に手を伸ばして触れてみたりして……。
――さっき殴ったり蹴ったりしちゃったな、この壁……。
内臓みたいなものなのかな。壁に感覚あったらどうしよう。チャンスがあったらそれもちゃんと謝ろう。
一人だと良い子になれるのにな。なんて考えながらトボトボゴツゴツと足を進めていたら、とうとう目的地。ブリッジの前まで来てしまった。
――はじめてここを開けた時は、不安でも元気一杯だったのに……。
ふうとため息をつき、扉の前に足をすすめる。足の裏に床が張り付くと、音もなく自動ドアが開いていった……。
ブリッジにて
扉をくぐると、そこは、満天の星空だった。
見慣れない星座の中に、ひときわ大きな満月が輝いている。
ラウンジより大きな窓は、左右だけでなく上側と下側両方ともに視界を確保するようになっているのだろう、ほとんど頭上ちかくまで星空が広がり、正面の明るい月光の中でも小さな星々までくっきりと見てとれる。足元の地球側は夜、丸く膨らんだアーチに閉じ込められた真っ黒な大地と濃紺の海。夜空より深く濃いミッドナイトブルーの大洋には、月が反射して輝いている。
綺麗。
さっきは部屋全体が明るかったから、窓の外までは意識できてなかったんだ。
「綺麗よね……」
うっかり口に出していたのかも。月明かりに横顔を照らされた女神像のシルエットの方から、少しアルトかかった声が応えてくる。
そうだ、呼ばれてたんだ。
像の方を向くと、室内に灯りがともり、白磁のようなその姿が輝いて見えた。
まだ、母をなんと呼んだらよいのかわからない。
「おかあ、さん……?」
おずおずと言い出したアタシに、白い女神像は、まず詫びてきた。
「きてくれたのね。こんな姿でごめんね」
ごめんね、と言ったのは船になってしまったからだろうか。それとも、言葉の通りこんな、ロボットの姿だからだろうか。船になってしまった母は、人と話す時はこの像の姿を借りて話すのだそうだ。
「うんと……。話って、なに?」
母と言われても、やっぱりアタシにとっては良く知らない大人の人で……。なにを言われるのかもぜんぜんわからない。どうしてもぶっきらぼうになってしまう。
だいいち、無表情な作り物の白い顔が相手なのだ。やっぱり緊張する。
白い像は言った。
「お父さんをね、責めないで欲しいの」
なんだ、その話?
まったく同じ事を父にも言われた。
クソ親父みたいに頭ごなしに叱られるわけではなさそうだけれど。それでも、ずっと自分を除け者にしていた母と父の事をすぐに許せと言われてもね、やっぱりまだ聞き入れることができないみたいだ。ついつい反発して怒り口調になってしまう。
「聞いたよ。あのクソ親父。アタシが産まれる前、アンタとアタシをほっといて地上へ行っちゃってたんでしょ?」
ああ、仮にも母親をアンタ呼ばわりしてしまった。クソ親父がここにいたら、きっとまたぶっ飛ばされちゃうな……。
言われたこの人も怒っているのかな。何かを考えるように少しの間黙ってから、母は答えた。
「あの人を、そんなふうに言わないであげて」
!!
こんな姿になっても、それでも親父をかばおうとする母になぜだかムッとする。自分がアンタ呼ばわりされるより親父のことをかばうなんて!
アンタはアタシの世界には今まで居なかった人なのに。それなのに、あのクソ親父をアタシより身近に思っているんだ。それも、アタシより長い間……。そりゃ、親なんだから当たり前のことだけどさ。
やっぱり表情のない相手では何を考えているのかわからないわ。
母親に怒っても仕方ない、仲良くしたほうがいいと、頭の片隅ではわかっている。理性で自分をなだめようと思うのだけれど、それがうまくできない。なんでアタシは自分で自分の感情(キモチ)も操縦できないのよ!
クッソいらつく!!
「だって、だって事実でしょう!? 親父が自分でそう言ってたんだよ!」
どうしても語尾があらくなる。
それでも、母親は駄々っ子を諭すようにゆっくりと言葉を返してきた。
「あの時、私達はギリギリの選択をしたのよ。あなたを生かすために」
「それも聞いたよ!
アタシのせいって言いたいの!? でも、でも、そんな事アタシ頼んでないし!」
「……」
無言で答える母、当然だけれど女神像は身動きもしない。
クソッ、これが親父なら、殴りかかったりできるのに!
動かない像が相手では何もできない。
動かない母……。
いや、違う、動けないんだ……。
――― 母さんは、アタシみたいに逃げることができないんだ……。
ふと、そんなことが頭をよぎって、カッとしてしまったことが急に恥ずかしくなる。またやってしまった。ちょっと言いすぎちゃったかもしれない。慌てて、震える声で言葉を加えてみる。
「お、お母さんがサ、犠牲になる事は、なかったんじゃないの?」
これは、なんというか照れる。
アタシは失言を取り繕うような経験を、今まであんまりしたことがない。
照れ笑いしつつ苦虫をかみつぶしたような、自分でもよくわからない感じ。
そんな戸惑うアタシに、やわらかな優しい声で女神像は答えてくる。
「犠牲? そんな事はないわ。
私は自分の意思で、この未来を選んだの。あなたが生まれて、生きてくれているだけで、私はとっても幸せなんですよ。
それにね、こう見えてもね、結構楽しかったりもするのよ。
思うままに地球を何千何万周もするなんて、普通はできない体験でしょう?」
――― 普通はできない、か……。
「……。アタシはもっと普通が良かったよ。普通のお母さんと、普通のお父さんと、普通に暮らしたかったよ。ずっと、普通にあこがれてたんだ。でも普通って何なのかアタシにはわかんないの」
言葉を交わすうちに最初のたどたどしさが抜けてきたのかも、ほんのすこしづつ慣れてうまく喋れるようになってきた。村の子供たちがその母親にベタベタと甘えてるところを思い出す。アタシも今ちょっと弱いところ見せちゃったかもだけど、〝お母さん〟には弱音を吐いても良いんだよね……。
「そっか……。 私は若いころ、ね……。あ、もちろん今でも若いんですけどね」と母は笑い、言葉をつづける。
「そうじゃなくて、あなたが生まれるより前のことね。私は普通の中の普通。普通さのチャンピオンみたいな家で育ったのよ。それこそ、それが普通だと思い込んで。でも、そんな退屈な生き方に息が詰まってたみたい。どのくらい苦しかったのか、その頃の私には全然わからなかったのだけれど……。
タケオさんにね、あなたのお父さんに出会って、別の生き方もあるんだって教えられてね、それで、私が普通って思っていたのは、とても狭い世界の一部でしかないって知ったの。
とても狭くて苦しくて、自由に息をすることもできていなくて。いびつなところ……」
何かを思い出したかのようにため息をつく母。
「普通になんてあこがれるものじゃないわ」
「で、でも、それじゃお母さんは両方の世界を知っているってことでしょ?」
アタシもだんだん機械の母の呼吸が……、甘え方がわかってきた気がする。
「ずるいよ、私は片方しか知らないもん」
お母さんも、こうやって子供に拗ねられたことないはずなんだ、だから、これだってうれしいことなのかもしれない……。
「ごめん、ごめんね。
やっぱりちょっと、普通じゃないかもね」
「ちょっとじゃないよ……」
だいぶずれてるよ! お母さん!
特に構えずに〝お母さん〟と考えている自分、思わずお母さんにツッコミをいれそうになっている自分に気がついて、なんだかちょっとほっぺたが緩んでくる。
そう、これが母と娘の普通な会話なんだ、きっと。二人とも、だいぶ普通じゃないけれど。
「でも、私は今本当に幸せなの。あなたがこんなに大きくなって。訪ねてきてくれて。もう会う事はできないってずっと思っていたものだから。それだけ伝えたくて、リルに呼んでもらったの。ごめんなさいね」
改めて詫びてくるお母さん。それが言いたかったことだったの。お母さんってば謝ってばっかりだ。
無表情なプラスチック製の顔から、じんわりと母の思いが伝わってくる。
「どんなに、どんなにあなたに逢いたかった事か!」
「お母さん……」
――― アタシもだよ、ずっと逢いたかったよお母さん。
「こっちへきて」
という母に応え、アタシはテーブルを乗り越え、女神像に触れてみる。
像の裏側には、ぱっと見には壁にしか見えない樹脂のカーテンで仕切られた一角があった。
不思議に思いカーテンの隙間をのぞき込むと、そこには、白い棺桶のような物がおかれている。
アタシの視線に気がついたのか、お母さんは
「私達のようなサイボーグを、殻人(シェルパーソン)と言うそうよ」
と、耳慣れない言葉で説明をはじめた。
「究極の引きこもりよね。本当はセラミックやチタンのしっかりした殻に引きこもるんだけど、私の場合はそんな立派なものはなくて、ただの医療用ベッドに蓋をしただけ。
この殻(シェル)の中は、軍の機密なの。近親者にも見せてはいけない決まり。だから、この箱のなかに母がいる。って信じてもらえるだけで良いの」
「中を見てはいけないの?」
「そう。あなただって醜い母親の姿は見たくないでしょ? 見ない方が良いのよ」
醜いと聞いてドキリとする。
アタシにとって、今まで母親は想像上の存在でしかなかった。
クソ親父からは写真も見せられた事もない。
村にはショーゴのように親無し子も多かったけれど、それでも無事両親がそろっている子供達もいる。
小さいころから、そんな友達の、特に母親の存在が羨ましくてしかたがなかった。
友達の家に行った時に迎えてくれるその母親。男の子達と広場で遊んでいて、夕方になると子供達を呼びに来るお母さん達……。
家(ウチ)にはクソがつく親父しか居ない。
もし自分に母親が居たらどんなに嬉しいだろう。
どんな人なんだろう、どんな顔をして、背丈はどのくらいで、どんな匂いがして、どんな手触りで……。
母の暖かさを知りたい。
ずっと、ずっと、そう思っていたのだ。
『居ないより、居た方がずっと良い。どんな姿だって……』
ショーゴに言われた言葉の意味が心にすとんと収まった。
「ううん、見せて。アタシは本当のお母さんを見たいよ。
こんな機械の人形じゃなくて、どんな怖い姿でも、アタシは大丈夫。ちゃんと、生きてて、血の通ってるお母さんを見たい!」
「だめ。見せられない決まりなのよ」
決まりと聞いてついまたムッとする。反抗心は親譲りかも。
「誰が決めたのよ! その決めた人に母親はいなかったの? 一度も母親の姿を見ないで育つ子供の気持ちがわかるって言うの? それでグレたらどう責任とってくれんのよ!!」
「グレるって、もう、ワガママな娘ね……。だれに似たのかしら……」
困ったようなお母さんの言葉に笑いがこもり、ちょっとだけ柔らかくなる。
アタシもすこし笑って
「うーん、両方じゃない?」と答えた。
「よかった、笑ってくれたわね……。ずっとむっとした顔してるから困っちゃってたのよ。せっかくかわいい顔に産んであげたんだから、もっと笑っていなさい」
「えー」
ちゃんとさっき笑ったよ、ちょっとだけど、まったくもう。
「実を言うと、タケオもね、あなたのお父さんも軍機密だって言ってるのに無理やりに蓋を開けちゃったのよ。ものすごく恥ずかしかった……。
昔には恋人に中の姿を見られて、結果捨てられて、おかしくなってしまった殻人(シェルパーソン)もいたそうよ。
タケオはあんな人じゃない? 私の姿を見ても平気な顔をして、まったく態度が変わらなかったから安心したのだけれど……」
「なによ、今度はのろけっすか! 親父だって見てるんじゃないの。そんなのずるいわ。
アタシだって見る、親父だけなんて許せない」
「ええ? 本当に恥ずかしいのよ?」
「もう! ほんとにお母さんだって信じさせてよ! 家族なんでしょ! アタシにも見せてよ! 見せてくれなきゃグレるからね!」
もうひと押しかな? じつはもう馬鹿娘はグレてるんだけどね。って言葉は飲み込んで脅迫するアタシ。
こういうの、お母さんに甘えてるってやつだよね。改めてそう思う。実を言うと、ずっとやりたかった、憧れてたんだこれ。妙にうれしくなってくる。
「……もう、しかたないわね。
ベッドの右下のノブを回すとロックが外れるわ。でも、私も怖いのよ。愛する娘に醜い姿を見せたくないの。おねがい、ショックを受けても、隠しておいてね」
自分の脳を自分の目で見る事はできない。殻人(シェルパーソン)の中身の姿は船内のカメラからも死角になっていて、見えないように調整されている。お母さん自身の〈眼〉でも殻の中を見る事はできないのだそうだ。
自分が見れない自分自身の恥部ってやつ。我が娘にだって見せたくないと言う気持ちもわからないわけじゃない。
でも、それでも、どうしても見て、それが母だと確かめてみたいんだ。ごめんね、お母さん……。
プシュ……。軽い音がして、ゆっくりケージが開く。
白い殻(シェル)の中からは医薬品の匂いがした。
「……」
「どう? 怖くない?」
「うん、大丈夫。平気よ」
恐ろしい姿を想像していたけれど、思っていたよりもひどい姿ではない。もちろん運動をしていないからだろう、やせ細ってはいた、でも、栗色の髪の長い、白い肌の、美しい女性がそこには横たわっていた。
これが、お母さん……。
「綺麗、綺麗よ。お母さん」
自分では起き上がる事ができないのだろう、寝たきりの母さんの胸に、最初はおそるおそる触れ、そしてしがみつき、ギュッとだきしめる。
消毒液の匂いの中に、それでも母の匂いを見つけた。今まで嗅いだ事がなかったけど、それでもわかる柔らかで、暖かな匂い。
抱きしめる腕につたわる体温。暖かい。頬をすりつける。耳をあてると、母さんの心臓はしっかりと鼓動している。
とくん、とくん、と安心の音が聞こえる。
生まれる前、母のお腹でずっと聞いていた音がそこにはあった。
お母さんは、生きている。生きていたんだ。
感動して涙が出てきた。
顔を上げて見ると、お母さんも泣いている。綺麗な涙が仰向けの顔の両目から流れ落ち、長い髪をぬらしていた。
「あ、これ、アタシの写真……?」
手の甲で涙を拭って気が付いた。ケージの内側には、親父が持ってきたのだろう、小さな娘の写真が沢山貼ってあった。
「そう、もう良く見えないけど、肉眼でいつも見ていたいの。たった一人の、愛する娘ですもの……。
本当に、私は幸せ者ね。会えないはずの娘がこんな立派になって会いにきてくれて……」
また涙を流す母を見て思う。地球を何周もしていたって、ずっとここにお母さんは閉じ込められているようなものじゃない。それで幸せなんて、そんなのじゃダメ。野原を駆け回ったり、風に乗ったり自由を感じられないなんて……。
どうにかして、お母さんをもっと自由にしてあげたい。
「お母さんは、地上にはもう降りられないの? ずっとこの船のままなの?」
「そうね、今はもう殻人(シェルパーソン)の手術ができる技術は失われてしまったわ。
昔みたいに、コンピュータ達の助けがあれば別なんでしょうけど、ね……」
「コンピュータの助け、かあ」
コンピュータってみんな、スマートボムインシデントの時に死んでしまったのよね。
アタシの生まれる前の世界に想いを馳せる。ショーゴが昔の技術、ロストテクノロジーに憧れる気持ちもちょっとわかる気がする。
「昔は良かった、ってやつ?」
「そんなことないわよ、今だってもちろん幸せよ。あなたがいて、こうして抱きしめてくれているんですもの」
お母さんを抱きしめ、アタシはやっと事実を受け止められた。やっと、笑うことができるようになった。
ちょっと変わっているけれど、お母さんと、ようやく家族になれた気がする……。
〈バイトアルト〉の運行によって、地上とは段違いのスピードで満月が頭上に上ってくる。
ボロボロ泣きながら抱き合っているアタシたちを静かに照らしだして。
あのお月様がまた船の向こうに沈んで、反対側の太陽が昇ってくるまでこうしていよう。
それから、お母さんと一緒に、何度も何度も地球を巡ろう。
今まで離れ離れだった分を取り返して、ずっと一緒にいるんだ……。いつまでも、ずっと……。
〈つづく〉
―――
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銃と宇宙 GUNS&UNIVERSE
2016年から活動しているセルパブSF雑誌『銃と宇宙 GUNS&UNIVERSE』のnote版です。
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