角を曲がる
まずは、騙されたと思って、この3分26秒の動画を見てほしい。
前衛的な踊りや無数に出てくる黒子、そして何かに身も心も取り憑かれたかのような彼女の表情を見て、気味が悪いと感じる人もいるかもしれない。
この曲を歌っているのは、アイドルグループ欅坂46の平手友梨奈さん
弱冠15歳にしてメジャーデビューシングル「サイレントマジョリティー」でセンターを務め、以降グループの中心として活動していたが、先日グループからの「脱退」が発表された。
したり顔であんたは私の何を知る? 「月曜日の朝スカートを切られた」
楽曲の中で彼女がこう叫ぶように、彼女の考えていることは、彼女にしかわからないだろう。
とは言いながらも、この喪失感を補うために、書かずにはいられない。
▼ 「角を曲がる」について
まずは、この楽曲が作られた背景について、簡単に。
この楽曲は、平手友梨奈が初主演を務めた「響 -HIBIKI-」のエンディングとして作られた。言い出したのは同作品の監督である月川翔氏である。
「響 -HIBIKI-」と「響~小説家になる方法~」
原作は柳本光晴氏の漫画「響~小説家になる方法~」である。
スマートフォンやSNSの普及により、深刻な「出版不況」に苦しむ文学界
そこに彗星のごとく現れた天才高校生作家、鮎喰響
圧倒的な才能と絶対に”曲げない”信念を持って突き進む彼女が、周囲の人間に影響を与え、凝り固まった価値観さえも変えていく様子が描いている。
15歳で世間の注目を一身に浴びるという境遇は、平手に酷似している。おそらく、彼女もそれを感じており、役に入っていきやすかったのだろう。
しかし、響と平手は似て非なるものだ。
どちらも、表現するということに対しては何者にも勝る力強さを持っている。しかし、響が確固たる自分を持って、自分の思うままに生きているのに対して、平手はまだその確固たる自分を見つけられていないからだ。(フィクションの世界と比べるなんて…という野暮なことは言わないでほしい。)
平手自身、「『鮎喰響』に改名したい」と言ったこともあるようだが。
それは響への「共感」でありながらも、「憧憬」でもあるのではないだろうか?
もっと言えば、平手友梨奈という人物は、周囲や世間によって天才、奇人、に仕立てあげられただけで、本当は普通の、いや普通よりもより純粋な少女なのではないだろうか?と思うのだ。
彼女はずっと、本当の自分=普通の少女の平手友梨奈と、世間が作り上げた自分とのギャップと戦い続けてきたのかもしれない。
そのギャップがかえって高い表現力を生み出しているんだとすれば、彼女は、まさに文字通り身を削って表現していることになる。
▼ 「角を曲がる」のMusic Video
そこで、この「角を曲がる」だ。
映画とともに、MVの監督も務めた月川は以下のように語っている。
-MVで表現したことを一言で表すなら?
“らしさとの戦いですね”。最初はただ踊ることが好きだった純粋無垢な女の子が、次第に世間から注目されるようになって。多くの人が自分のステージを求めるようになり、少女は楽しかった気持ちを忘れて周りが求めている踊りをするようになる。その結果、傷ついて自分を見失ってしまう。最後には「私らしさってなんだろう」と自分自身に問う内容になっています。 (月刊BRODY 2月号 欅坂46僕たちの好きな歌 より)
MVについて、詳しく見ていこう。
一筋の光が差す観客の誰もいないステージ、くるくるスカートを膨らませながら大好きなダンスを踊る平手
気づいたらステージの下には観客と思われる黒子が現れる。
踊り疲れた彼女が舞台を降りようとするも、黒子に押し戻され、舞台に戻る。
逃げるように舞台袖から通路に向かう彼女を待ち受ける黒子
あるものは平手を崇拝するかのように仰ぎ、またあるものは遠巻きに眺めているだけ
向かってきた黒子たちに囲まれ、捕えられ、頭を揺さぶられる
黒子たちと同じ動きをしてみるも、
周りのひとに決めつけられた
思い通りのイメージになりたくない
こういって彼女はまた角を曲がって進んでいく。
彼女の行く先にはまたしても黒子
行く手を阻むようにも、手を差し伸べているようにも見えるが、それを振り払って進んでいく。
追い付いてきた黒子たち、今度は明確に彼女を攻撃してくる。
彼女に、「みんなが期待する」イメージを押し付けるかのように。
またしても周囲と同調して、黒子と同じ動きをしてみるも、しっくりこないで彼らを振り払い、さらに進んでいく。
本当の自分はそうじゃない こうなんだと
否定したところで みんな他人のことに興味ないし...
えっ なんで泣いてんだろ?
ステージへの入り口に戻ると、今度は別のところで何かを取り囲む黒子の群れ
「みんなが期待する」自分を演じ続ければ、他人の興味や関心なんて、簡単に移ろいでしまう。
だって近くにいたって誰もちゃんとは見てはくれず
まるで何かの景色みたいに映っているんだろうな
フォーカスのあってない被写体が泣いていようと睨めつけようと
どうだっていいんだ
わかってもらおうとすればギクシャクするよ
与えられた場所で求められる私でいれば嫌われないんだよね?
問題を起こさなければ しあわせをくれるんでしょう?
心身ともに疲弊してボロボロになってしまった彼女
黒子たちを振り払い、たどり着いたのは行き止まりの鏡
-1人になったと思ったら通路は行き止まりで。平手さんは拳を振りかざして目の前の鏡を割ります。
つまり「全て鏡の中の出来事だった」ということにしたかったんですよ。今までのことは全部虚像でしたと。だから映像的にも鏡面を通過するようなカメラワークにしています。鏡を割ると違う部屋が現れますけど、彼女は虚像の世界から出ていって、本質の自分と対峙する描写をしています。
-え、どういうことですか。
今まで見てきたものは、すべてパブリックイメージの中の“私”だったんです。だから、今までのことはすべて虚像。最初に何も考えずに楽しく踊っていた頃の主人公が、鏡を割って本質の自分と対峙し、“私らしさ”を掴んでいくのです。
(月刊BRODY 2月号 欅坂46僕たちの好きな歌 より)
ガラス…もとい鏡を割る彼女
パブリックイメージでもあり、しかして虚像でしかない鏡に映る自分
抑圧や想像を象徴するガラス
それを打ち破った彼女は、本当の自分と対峙する
鏡・ガラスを割ったその先には、冒頭とおなじようにのびやかにダンスを踊る自分
しばらくの間、踊り続ける二人
苦しみ、もがき続ける姿と、のびやかに、美しく踊る姿
まさにアンビバレントな、一人になりたい・なりたくない自分
らしさって一体何?
あなたらしく微笑んでなんて
微笑みたくないそんな一瞬(とき)も
自分をどうやれば殺せるだろう?
みんなが期待するような人に
絶対になれなくてごめんなさい
ここにいるのに気づいてもらえないから
一人きりで角を曲がる
最後は、鏡の中の自分のアップで終わる。
何か答えが出たのか、まだ迷いの中にいるのかはわからない。
彼女がそっと囁く一言も、「大丈夫」にも「ごめんね」にも聞こえる。
予め述べた通り、したり顔で彼女が至った答えを語ることはしたくない。
ただ、彼女がまた、まだ「角を曲がり」続けていることは間違いないのだろう。
悩み、苦しむ中で、それでも生きていくこと…そんなメッセージを私は感じ取った。
…ふと思い浮かんだ楽曲がある。尾崎豊の「僕が僕であるために」だ。
僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸にわかるまで
尾崎豊 「僕が僕であるために」
この歌詞を拝借するとすれば、
「僕が僕であるために、生き続けなければならない」といったところか。
さて。
ここまで読んでくれたあなたは、あと4分弱くらいは付き合ってくれると思う。もう一度、件のMVを観てほしい。
きっと、何か感じることがあるのではないだろうか。
自分”らしさ”っていったい何だろう?
本当の自分なんて、そんなもの本当にあるんだろうか?
この楽曲を最初で最後(?)にテレビで披露した際のキャプチャ画像でこの章を終えようと思う。
左右で表情が違うことがわかるだろうか。
Twitterなどで話題を呼んだ画像だが、これまでの楽曲同様に強い意志を孕んだ右側の表情と、助けを乞うように怯えた左側の表情
相反するような二つの表情、感情を持っている自分を、この楽曲に乗せてさらけ出していたのかもしれない。
▼ おわりに~これから~
彼女のこれからについては、何も明らかにされていない。
芝居に進んでいくという噂もある。
どんな道を進んだとしても、世間の注目を浴びざるを得ないことは間違いあるまい。
「らしさ」から自身を解き放ち、ありのままの姿の彼女が見られることを願うばかりである。
まだ彼女は、一人きりで、まだ「角を曲がり」続けている
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