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「僕は星野源かもしれない」について思うこと
タイトルはヤバそうだが大丈夫、正気だ。心配は要らない。
僕は文筆家ではない。
noteを徘徊していると、「しがないサラリーマンです」「普通の主婦です」「ニートです」と名乗ってはいるが、『本当はプロの物書きなのに正体を隠しているんじゃないか?』と思わざるを得ないような、魅力的な文章を書く人が多く存在する。
必ずしも“肩書・職業=文才”ではないことは承知しているが、それでもやはり「“普通の人”なのにすごいなー」と感心する。
僕も彼らと同じように“普通の人”だが、彼らと肩を並べられるような文才を持ち合わせてはいない。
やはり人を惹き付ける文才を有している人は、生まれ持った才能があったり、もしくは、寝食を惜しんで執筆に時間を費やし、血を吐くような努力をしていたりするのだろう。
僕は生まれる時に神様的な誰かから才能の入った巾着袋みたいな物も持たされなかったし、美味しいものを食べたいし、夜は寝たいし、できれば血だって吐きたくない。
「そんなに楽をしたいとしても、せめてnoteを開いている時くらい彼らから色々吸収したらどうなんだ」と言いたい方もいるだろう。
確かに、フォローしている方々の多くに学ぶべき要素はたくさんある。
だが、読んでいる最中に「学ぶという意識」はいつの間にかどこかに置き忘れる。
「へぇー」、「面白いなー」、「上手いこと言うなー」の3語程度をランダムに唱えながら、アホ面で口を半開きにするのが関の山だ。
こんなものは、「学ぶ」とは言えないだろう。
それでも、僕は『文筆家』を名乗りたい。
誤解を招きそうなので断っておくが、なにも「文章で生計を立てたい」とは言っていない。
文字を書くことで収入を得ている方を心から尊敬しているし、出来ることなら僕だってそんな人生を経験してみたい。
しかしだ。
決して自由を謳歌しているとは言い難いが、会社に雇用され社会保険や雇用保険にも守られ、毎月決まった収入を得られる現状に満足していないと言えば嘘になる。
この状況を放り投げてまで「有るか無いかも分からない才能」に全額賭けて勝負する気概など毛頭ない。
こちとら妻子持ちなのだ。
リスクなど少なければ少ない方が良いに決まっている。
そこで、考え方を少々変えてみる。
言葉の上ではどうとでもなるのではないだろうか。
こちらをご覧頂きたい。
才能溢れる男、星野源のプロフィールだ。
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とりあえずWikipediaより転載。
「お金を貰えるようになったらプロ」という常識的な概念はここで一旦、貴方の脳内の引き出しにしまって欲しい。
以降、当記事内に限り名乗った者勝ちルールを適用するものとする。
勝手な妄想を広い心で見守って頂きたい。
ミュージシャン・歌手・俳優・文筆家
なんかカッコイイじゃないか。
彼はただの文筆家ではない。
四足の草鞋のうちの一足が文筆家なのだ。
「会社員です。営業です。文筆家もやってます。」
僕もそう名乗りたい。
ぜひとも言ってみたい。
なんなら名刺に記載された役職の後ろにシレっと(文筆家)と追記しておきたい。
と、ここで自分自身のことを振り返ってみる。
僕はギターを弾く。
ギター歴はといえば、かれこれ30年近い。
他の楽器についても、技量は低いがベース・ドラム・ボーカル・パーカッションはひと通り齧っている。
作詞や作曲、編曲だってする。
D T Mもレコーディングも嗜む。
彼はラジオで「わりと最近、おうち時間でDTMを始めた」というようなことを言っていたので、経験年数だけで言えば僕の方が長いくらいだ。
また、趣味の範囲ではあるが、このご時世になる前は(偏りはあるものの)年間3~10本くらいのライブに出演していた。
カラオケも好きだし、たまに車の中でも歌う。
はい、ミュージシャン・歌手、クリア。
次に俳優。
残念ながら俳優の経験はないが、下記の投稿で「演技力が向上している時期があった」という内容を綴っている。
また、営業マンとして白々しい演技もたまにするし、小学校の学芸会での演技経験もあるので、良いことにする。
なのでギリギリだが、俳優、クリアとする。
そして、昨年からnoteで文章も書いている。
今この瞬間も、書いている。
いや、執筆している。
よし、文筆家クリア。
こうなってくると、「文筆家を名乗りたい」どころの騒ぎではない。
もはや、ほとんど“星野源”である。
非常に珍しい偶然の一致だとは思うが、星野源同様、僕の目も一重瞼だ。
毎週『星野源のオールナイトニッポン』にも携わって(ラジオで聴いて)いるし、僕もエッセイ『いのちの車窓から(著・星野源)』を(自分の読書リストの“読んだ本一覧”に)書いた。
自分がリーダーを務めるバンドで星野源の『SUN』を演奏したこともある。
カラオケで『恋』を熱唱したことだってある。
SUNの作曲は楽しかった、恋ダンスの振り付け苦労したなー、逃げ恥もMIU404も撮影大変だったなー、という(捏造された)記憶すら鮮明に蘇ってくる。
そして何より、ガッキーのことも好きだ。
これは恐るべき共通点。
このことは、僕が星野源である可能性を示唆している。
どのくらい好きかと訊かれれば、ガッキーの名前を連呼する記事を投稿するくらいのレベル。
証拠は揃った。
これ以上ない、確たる証拠だ。
記事内で明言しているので、僕がガッキーではないことは明らかだ。
ガッキーではない、ということは、星野源ではあるかもしれない、という完全な方程式が成り立つのだ。
僕=ミュージシャン・歌手・俳優・文筆家
星野源=ミュージシャン・歌手・俳優・文筆家
ゆえに
僕=星野源
(証明終わり)
改めまして。
基本情報
クリエイター名 : 〇〇について思うこと
(世を忍ぶ仮の姿。中身は星野源の可能性あり)
配偶者:有(新垣結衣の可能性あり)
出生名 : 非公表
生誕 : 1982年(39歳)
出身地 : 日本 (東日本)
学歴: 某 私立大学 卒業
ジャンル : J-POP、日常・妄想系エッセイ
職業 : 会社員・ミュージシャン・歌手・俳優・文筆家
簡単ではございますが、以上をもちまして自己紹介の挨拶にかえさせていただきます。
本日はお集まり頂きまして、誠にありがとうございました。
星野源さん、新垣結衣さんご本人ならびに所属事務所様、ファンの皆様、関係者の皆様、ちょっとふざけてみたかっただけです。許してください。ほんの出来心なので怒らないでやってください。
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