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出会い系アプリを徘徊する既婚者たち:43歳「せっかち君」(一話完結)

私は派遣で働く30代。恋愛感情が欠けていると思う。学生時代は恋多き女と言われたこともあるけれど、本当に恋に落ちたことなどない。男のことは、半分バカにしているんだと思う。夫である橋口君とは「恋愛感情抜きのパートナー」として、お互いに割り切って結婚した。どうせ、周りの既婚者たちも、10年もすれば恋愛感情なんて失っているんだから。

そして今、私は「ギリギリの若さ」を利用して、ある実験を始めることにした。テーマはシンプルだ。既婚者たちは、出会い系アプリの先でどんな行動をするのか。そして、その行動に私の心は動くのかどうか。

プロジェクト・リリ。「リリ」はアプリ上での私のハンドルネームだ。
リリが飽きたら、ゲームオーバー。

男との待ち合わせは表参道にある車メーカーのレストランだった。私は表参道の駅を降り、Googleマップを片手に店へと向かう。

時計を見ると、すでに12時を過ぎていた。数分遅れているが、まあ許容範囲かな。人混みをすり抜けながら、急ぎ足で歩く。

「こんなところに、カフェがあったんだ…」

マップが指す建物を見上げる。
1階は車のショールームで、以前から何度か前を通ったことがあった。だが、2階にレストランがあることは知らなかった。大通りから2階を見上げると、窓越しにランチを楽しんでいるカップルの姿が見える。

ショールームの自動ドアに立つと、背後から「もしかして、子リスさん?」と声をかけられた。
振り返ると、店の前のガードレールに腰掛けるように立っていた男が、こちらに近づいてくる。

40代、ブルー系のチェックのシャツにチノパン、黒いトートバッグ。
身長は170cmに届かないくらいだろうか、顔は素朴で、大学生がそのまま大人になったような童顔だ。

「これが今日の男『タツ』か…」。

毒はなさそうでホッとする気持ちと、「何かが生まれることはないよね」という落胆の混ざった気持ちを処理しながら、私はうなづいた。

「こんにちは。わかりました?」

「ええ、きれいなロングヘアが印象的だったんで。写真の横顔と同じだなって思いました」

「子リスさん、急いで来てくれて、誠実な人なんですね」。
それには反応せず、話題を変える。

「こんなところにレストランがあったんですね」

「僕も初めてなんですけど、前から気になってたんです」

そう言いながら、私を先導してショールームの横にある階段を上がり始めた。後ろから改めて男の全身を眺める。カジュアルなスニーカーが余計に学生っぽさを引き出している。

階段の途中までくると、レストランフロアにスタッフが立っているのが見えた。その途端、男は階段を小走りに駆けのぼった。私が階段を登り切ると、小声でスタッフに話しかけている。予約をしていた旨を伝えているのだろう。小声なのは、私に本名を聞かれたくないからだ。

私たちはすぐに窓際の席に案内された。

「とてもきれいですね。あのアプリにこんな女性もいるんですね」
男は席に着くなり、唐突に切り出した。

自己紹介を回避できて、ちょうどいい。
私は、私のことを話すより、刺激的なストーリーを聞きたい。
「他にも会った人います?」
そう聞き返す。

「1年ほど前に二人ぐらい会ったかな。最近は少し出会い系が面倒になって、アプリはたまにのぞきますが、メッセージのやり取りもしていないし、会ってもいないんです」

彼が答えたところで、ウェイターがメニューを持ってきた。私たちは会話を中断し、メニューの説明を受け、ランチコースを注文した。

「どんな女性でした?」
ウエイターが立ち去ると、私は聞き返した。

「うーん。一人はごく普通の主婦の方でした。30代で」
「どんな雰囲気でした?きれいでした?」
「いや。ほんと普通ですね。なんだろう。言葉は悪いけれど、いかにも主婦という感じで。仕事もしていないみたいで、何を話たら良いのかわからず、ただ当たり障りのない話をして、ランチだけで解散しました」

「あらら。もう一人の方は?」

「駅で待ち合わせをしていたんですけど…。会った瞬間いきなり、『じゃあ、行きましょう』って言われて。そのままホテルに向かおうとするんですよ」

「へー、それで?」

「いや、さすがにいきなりそれはないでしょう、と思って。
だから、『先にお茶でもしませんか?』って提案したんです。
そしたら、彼女が不満そうに『そうなんですか…』って言って、少し考えた後に『じゃあいいです』って、突然帰っちゃったんです」。

「すごい!もしかして、ホテルに行ってお金をもらおうと思ってたんじゃないですか?」

「かもしれませんね。アプリで何歳って書いていたかは忘れましたけど、たぶん40過ぎてたんじゃないかな。すごく化粧をがんばっている感じでしたけど」。

「会った瞬間に帰っちゃったってことでしょう?肩透かしですね」

「でも、正直なところ、あの人と一緒にカフェに行っても会話が続く気がしなかったので、まあ、いいかなって。トラブルに巻き込まれなかっただけ良かったと思ってます」

「なるほど。それで疲れて、最近はアプリはお休みしていたってことですか?」

「正直、出会い系アプリって疲れますよね。メッセージのやり取りだけでもかなり時間を取られるし。良い感じになってきたなと思ったら、お金を要求されたり」

「あのアプリ、男性に届くメッセージは、ほとんど売春業者みたいですね」

「男性会員はメッセージするだけでお金もかかるし、そろそろやめようかなと思っていたんです。でも、子リスさんの写真を見たとき、雰囲気が素敵だったし、プロフィールとかメッセージもすごく常識のある人だなって。それで、会ってみてもいいかなって思ったんです」

私は常識があるのだろうか。ゲーム感覚で出会い系アプリに登録して、男に点数をつけるような女だ。

「そういえば、私はどうしてこの人に会うことにしたんだっけ」。
ふとそう思ったとき、男が続けた。

「子リスさんは、どうして僕と会おうと思ってくれたんですか」

正直、この男とメッセージでどんな会話をしたのかも忘れてしまった。
私が登録している出会い系アプリでは、女性側には毎日コンスタントにメッセージが入る。もちろん、ほとんどが性欲丸出しのジャンクメールだ。

まともなメッセージでも、気分がのらないと私は返事はしない。この男は、たまたまタイミングが良かったのだと思う。理由なんかない。

「タイミングですね」
私は正直に答えた。

男はきっと、自分についても肯定的な回答が欲しかったのだと思う。「メッセージが素敵だったから」とか?

それが得られないとわかると、男は話題を変えるように、自分の仕事について話し始めた。

鞄メーカーで企画やマーケティングの仕事をしているという。
趣味はサイクリングとギター。同い年の妻と暮らしていて、夫婦仲は「全然悪くはない」とのこと。

「そうなんですね。それなら、そもそもどうしてアプリに登録したんですか?」
私は不思議そうな顔を作って、ありきたりの質問をした。

既婚者がなぜ出会い系アプリに登録するのか。
男も女も本当の理由は、ただ一つだ。
配偶者以外にセックスをする相手が欲しいから。

だが、男も女も第二、第三の理由を最もらしく口にする。
私はそれを聞いてあげるために、ありきたりの質問をする。

「どうしてアプリに登録したんですか?」

この男は多少は正直者だらしい。一瞬目が泳いだから。
そして、「ほんと、何を求めているんでしょうね…」とつぶやくように言った。

「正直、僕自身もわからなくなっています。最初は何かを求めていたと思うのですが、最近は暇つぶしにアプリを開いては、閉じるという感じで…」

どこか気弱で、冒険を楽しめるタイプには見えない。
本当は休日に夫婦でサイクリングを楽しんだり、自室でギターを鳴らしているような姿が似合う男だ。

それでも彼は、自分の人生に物足りなさを感じて、こうして週末の昼間に、見ず知らずの女に会いに来ている。結構な冒険だよね。
人間というのは、なかなか満たされないようにできているらしい。

「子リスさん、商社で働いていたんですよね?」と彼が急に話題を変えた。「実は僕の仕事でも商社と付き合いがあるんです。だから、商社って聞いてすごく興味が湧きました。子リスさん、仕事もできそうですね。でも、そういう人がアプリに登録するとは意外でした」

「あら、そうですか?」
世の中の事件の半分は、意外なところで、意外な人が起こすのに?

男はみんな、私を見て「出会い系アプリに登録する人に見えない」と言う。そして、どうやらそれは褒め言葉らしい。そして、「なぜ、あなたが?」と続くのが定番だ。

では、「出会い系アプリに登録するように見える人」は、どんな人?と聞きたい。
その答えこそが、『何を求めているんでしょうね…』と呟く自分へのアンサーであることを、この男は気づいているだろうか。

食事が終わると、男は「先に会計してきますね」と言って、いそいそとカウンターの方へ向かった。
少し背中を丸めて、慌てたように歩いていく男の後ろ姿を眺めながら、私は「ハンドルネームは「『せっかち君』だわ」と呟く。

会計を終えて戻ってきた男は、席に座りながら「この辺りに、良さそうなカフェがあるみたいなんです。良かったら行ってみませんか?」と誘ってきた。

私は一瞬迷った。ここで断れば彼はきっと「そうですよね」と静かに納得し、ゲームオーバーとなるだろう。しかし、この先に彼がどんな行動を取るのかを確かめないと、プロジェクトは完了しないような気がした。

「すごくインスタ映えするらしく、女性に人気みたいですよ」と彼は続けた。

「ぜひ」

カフェは予想以上に遠く、私たちは15分ほど歩き続けた。男はGoogleマップを確認しながら、小さな歩幅でせわしげに進んでいく。日差しがきつい。暑さで世間話をする気にもなれず、無言で男のスニーカーを追いかけながら、私は「ランチだけで帰れば良かった」と後悔した。

デート中のカップルやショッピング客で賑わう表参道を歩いていると、商社勤務時代の華やかな思い出が重なる。
かつてはデートで何度も訪れた場所だ。彼の運転する車に乗り、表参道ヒルズの地下駐車場に車を止め、ウィンドーショッピングを楽しみ、おしゃれなレストランで食事をし、夜のバーへ。

あの頃の私は、10年後の自分が、まさか出会い系アプリでつながった初対面の男と一緒に、汗をかきながらここを歩いているとは、想像もしていなかっただろう。

表参道から少し奥に入った場所にあるカフェに到着すると、ガラス越しにカラフルな店内が見える。

「どうです?入りますか?」男がそう尋ねる。

一瞬、「入らない選択肢もあるの?」という言葉が浮かぶが、私はその意地悪な質問を打ち消し、「いいですよ」と答えた。
彼は敵ではない。プロジェクトの貴重なデータ源だ。

店内は白を基調に、赤や青、黄色のタイル、ミラーがモザイクのように配置されていて、なんだか落ち着かない。テーブルと椅子の脚はパイプでできていて、プールサイドのバーのようなカジュアルな雰囲気だ。

空いている丸テーブルに座って、キョロキョロと店員の姿を探してから、セルフサービスのお店だと気づく。

「ドリンク買ってきますね」と彼が言い、私は「アイスカフェオレで」と返す。彼がレジへ向かう後ろ姿は、やはり小走りだ。

改めて店内を見渡すと、10代、20代のカップルや女の子グループが多くて、私たちは完全に浮いている。

しばらくして、彼はトレーに自分のアイスコーヒーとアイスカフェオレ、そして小さなチーズケーキを載せて戻ってきた。

「あら。ケーキも。ありがとうございます」
「写真撮りますよね?ここ、インスタ映えするって有名なんですよ」

「じゃあ、せっかくなので」
自分のiPhoneを渡し、男の「撮りますよー」に合わせて、無理やり笑顔を作る。男は驚くほど素早く写真を撮り、私にiPhoneを返して「どうです?」と聞く。

「後ろのカップルが映り込んじゃってますね」
私はiPhoneを男に向けた。引きつったような私の笑顔の右後ろに、20代の女の子がとても楽しそうに笑っている横顔が写っている。

「本当だ。じゃあもう一枚撮っておきますか」
今度はやたら慎重にアングルを決めて撮影し、「どうですか?」と画面を見せてきた。

カップルの姿は映っていないけれど、今度は私の頭頂部が数ミリ切れている。

あれほど時間をかけて、どこを確認して撮影したのだろう。少しイラッとしながら、私は会社で指導した新人の男の子を思い出す。何度注意しても、彼が作成した書類には、レイアウトにわずかなズレがある。私は「細部まで心を配って」と何度も伝えたが、彼のずさんさが改善されることはなかった。

「ありがとうございます」
私はiPhoneを受け取り、写真を保存するふりをして、「削除」を押した。
いい加減な写真を撮る男が嫌いだ。
女性を美しく撮れない男は、セックスも下手に決まっている。

カフェでの会話が一段落したころ、店を出る準備をしながら彼が唐突に言った。

「よかったら、LINE交換しません?」

正直、交換するのも断るのも面倒なシチュエーションだ。
「どうぞ」
私は自分のQRコードを差し出した。彼はQRコードを読み取り、何やら操作している。

私のiPhoneに「よろしくお願いします」とメッセージが浮かび上がって、消えた。私はメッセージをあえて開かず、「後でつながっておきますね」と伝えた。

「ええ。また会えたら嬉しいです」

そう言われて改めて、私はもう会う必要がないと思っていることに気づく。男のことは、大体わかった。掘っても叩いても、これ以上、興味深い何かが出てくるとは思えなかった。
プロジェクトは次に進むべき。個人的にも、見た目が好みなわけでもなく、ましてや、体の相性を確かめたいとも思わない。

大通りの交差点で信号を待ちながら、私は「ちょっとお店に寄って帰るので」と、信号とは別の方向を指差した。
その瞬間に信号が青に変わり、彼は不意打ちを喰らったような顔をしながらも、「じゃあ」と言って信号を渡り始めた。
何度も人にぶつかりそうになりながら、時々こちらを振り返る。

寄りたいお店があったのは、嘘ではない。
私はオーガニック食材店でいくつか野菜を買い、アロマショップでルームフレグランスを買い、山手線に乗った。

電車のドアにもたれかかりLINEを開くと、「タツ」からの未読表示が4つもついている。そういえば、アプリ上での彼のハンドルネームも「タツ」だった。本名なのか。

「タツ」のメッセージを開くと、4つの未読が一気に既読に変わった。
1通目が、LINE交換した時の「よろしくお願いします」。その後に、
「どうですか?」
「やっぱりダメですか」
「スルーなんですね。じゃあ、諦めます。子リスさんも良い出会いがありますように」
数分おきに3通が届いている。

やっぱり、せっかちだ。

「買い物をしていて、お返事が遅くなりました。すみません」

まずは、常識的なお行儀の良い返信を送る。

そして、彼のLINE上の登録名を「せっかち君」と書き換える。そうしないと、明日には誰だったか忘れてしまう。

そこまでして、私は思い直した。そして、「せっかち君」をそっとブロックした。

このせっかちなLINE攻撃はアウトだよね。
こうして、「せっかち君」はゲームオーバー。

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子リス
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