ナチュラルファンキーなうちの家族
今日は家族の事。何かと話題性のある私の家族(友人達の中でね)なのです。
《写真は父が撮った家族写真inインド@五歳》
以前、インタビューを受けた事で、自分で気にしなかった事を自分に問いかける事になった、と書いたのですが、今日はその続きを。
仕事の取材だったので(取材と言うほど大それたものではないけど)、もちろんわたしが作っている商品についてや、どんなきっかけで作る事になったのか、作る時に心がけている事、どんな人に使って欲しいか、など。
そしてふと聞かれたのが「ご両親の影響はあったのですか?」と。
、、、いや、もちろん、ないわけはない。
ただ、父のようになりたくて、こんな母を見ていたから〜的な憧れな目線ではなく、私は両親のようにはなりたくなかったし、特に思春期の頃はかなりのコンプレックスに感じていました。
一言、はい、いいえで答えられる話ではなくて。
その時初めて、自分が両親からどう影響を受けているのか、言葉にして書いてみなくては、と思ったので、ちょっとうまく書けるか分からないけど、書いてみます。
家族構成
それには、もう赤裸々にうちの家族の話をするのが一番早いかなと。
我が家は父、母、私、妹(2つ下)の4人家族です。
そこから外に出て住んでいるのはわたしだけで、大の大き過ぎる大人3人で住んでると、まぁ色々あるとは思うけど、私が帰省した時はみんな仲良く出迎えてくれます。
家族でも仲が良いの種類は色々あるけど、友達のようとは言いがたいし、両親の事を理解出来ているとも全く思えない、けど、私にとってはいつまでも前に立っている人たち。
とても尊重されているけど、全てを支配されているような。
そして妹とは、この両親の下に産まれた同志的な結束を年々強めている気がします。
生きてきて色々なおもしろい人と出会ったけど、父と母を超えて来る人はやっぱり、中々いない。
誤解のないように言っておくと、それは両親がおもしろい、楽しい人間とゆう事ではなく、産まれた時から育てられ、大人になった今までずっと見て来て、今この時代になったからこそ言える事なのかも。
どちらかと言うと、気むずかしいと言うか、それでいてとても温かいんだけど、癖もトゲもある、変な言い方だけど家族じゃなかったら全然仲良くなれないと思う(笑)
父と母に影響は受けているけど、なりたくてなったとゆうよりは、どうしても寄っていってしまうのは仕方ない。とゆう感じで。
もう、書き始めながら色んなエピソードがあり過ぎて、これは一冊の本になる位長くなるんじゃないかと思い始めました。
個性強めな母と芸術と
うちは根っからの女系家族で、母方がとにかく強い。母方のおばあちゃんの持ちマンションに親戚で住んでいたし、親戚中どこ見ても女が明るくよく喋り、お父さんは横でニコニコ話を聞いている絵が定番です。
大事な話し合いなんかも大体女側が主体(血筋の親戚がほとんど女ってゆうのもあるけど)。
もしも、母がSNSのある時代に産まれてたらどんな発信をするんだろう。多分、同世代(70代)でもやってる人はいると思うけど、母はもちろんそんな事しない。し、出来ない。
とにかく、客観性とゆうものがないとゆうか、周りからの目線を気にしないとゆうか、自分たちさえ分かってれば良い、とゆうスタンスがすごくて。
彼女の表現と言えば、絵や芸術。
そして、最初に写真を載せたけど、父はずっとカメラをやっていた人で、生活や価値観や性格も、言ってしまえば全てがちぐはぐな二人の繋がりは、この形のない芸術とゆうものなのかも知れない、と思った事があります(因みに二人ともそれで生活をしている人では、ない)。
残念ながら、二人の芸術肌は全て妹が受け継いでいるのだけど。
昔のオーガニック、玄米は宗教
母は遅くで私を産んでいて、私が生まれる前は父と母二人で世界を旅したりNYに住んでいたりしていました。
私が生まれてからは真面目な二人しか知らないけど、もろに愛と平和の象徴Woodstockの世代であり、世界を旅していたと聞けば、あれだ。総称すると私の親はヒッピーとゆう事になりますね。
私が五歳の時に幼稚園を長期に渡って休んでインドとネパールに行ってるし、可愛く言ってもちょっと世間ずれした家庭で育った私。
けれども通っていた幼稚園と小学校は学区域の公立校だったし、友達は出来たけど、幼心に"何か分からないけどうちは他の家とは違うな"、とゆうのは感じていて。
そのちょっと世間ずれした親の元で、まさかのとにかく普通とゆう枠を好んでいた私は、その普通じゃない感じに胸を張れなかったし、それがコンプレックスでもありました。
具体的にどうゆう事かと言うと、まず小学校高学年になるまでうちにはテレビがありませんでした。なので、友達が話してる内容がまったく分からない事、結構あった。
そして何と、今はおしゃれでもてはやされているオーガニック。健康に良かったり地球に優しかったり。
やっと時代が追い付いたとはまさにこの事で、我が家は30年以上前からかなり実践的にオーガニックを取り入れていた家庭で。
父は菜食主義、母は肉だけ食べない、とゆう食生活を実践していて、それを子供に強要する事はなかったけれど、必然的に肉は出て来ない。
まず、幼稚園のお弁当とかに玄米が入ってると、普通にからかわれます(戦後のこどものように白いご飯に憧れる)。
そして、大豆ミートで出来たソーセージがお弁当に入っていると、物珍しい変な目で見られます(多様性の多の字もない)。
要するに、今ならお洒落で意識の高いものが30年前となると、変わってる人を通り越して、周りからは"宗教家"ぐらいに思われてたんじゃないかなぁ。
(家に謎の祭壇があったり、あながち間違ってはいないんだけど、一応無宗教です)
今、自分も親になってみると、その環境での子育てが出来た事には尊敬しかないな、と思えるのだけど。
私は三歳頃まで人参の甘さだけで育ったらしい(そういえばよく、親の目を盗んできび糖をつまみ食いしてた)。
台所によく落ちる強い洗剤はなくて、泡立たない石鹸がある(お風呂にもアレッポ石鹸があって子供心に臭かったし、とにかく泡に強い憧れを抱いた)。
もちろん、予防接種も受けてなければ、風邪薬を飲ませて貰った事もない(そんなナチュラルっぽい生活の中で毎週土曜日はマックに連れて行って貰ってた、気がする。気のせい?)。
けど、お陰様で健康そのもので育ってきました。
お父さんは休日になると家の前の公園で太極拳(公共の場で自分の父がやってるのを見るには中々の動きでしたよ)やってるし。
スピリチュアルも何か昔から近くにあり過ぎて。もう、スピリチュアルを軽く通り超して、母が突然インドのアシュラムに弟子入りして名前を貰って来たり(これ、謎の祭壇の正体)。
最近では占いとかも楽しいと思えるようになったし、自分から友達にお願いするようになったりもしたけど、思春期の私には生まれた日や場所や時間でその人の運命や方向性が定ってるなんて、まったく信じられなくて。雑誌に載っている星座占いで充分で、そんな本格的な数秘術や占星術は完全に"怪しい"の域。そんな占いをする人が父と母の数少ない友達だったりする。
そんなわけで、私はオーガニックとスピリチュアルは何か小さい頃の反動もあり何か素直に受け入れられない部分もあるんだけども、結果的に食品表示の裏を見る癖は付いてるし、環境の問題や政治についてとことん向き合う、までは行かずとも、少しは考えるような人間になったと思う。
本当に、今となっては感謝ですね。
印象的なのは、父にエジソンは偉い人なの?って幼心に聞いたら(byちびまる子ちゃん)「難しいけど、何かを発明したからといって、偉いかどうかってゆうのはまた別だよ。すごいとは思うけど。」的な回答が帰って来て、そんな応えを望んでいたわけではなかった私はチンプンカンプン。多分、私が一年生位の時だけど、今思うと問いに対して父なりに大真面目に答えているけどやっぱりちょっとズレてる。
因みにうちの親も歳を取って、この間帰った時にはトイレに力強く『消臭力』がどどんと置いてあって、そのブレっぷりにびっくりしたけれど。
昔はコンポストも家にあったけど、今では税金払ってるから普通に捨てると仰ってる。。
まぁ色々突っ込みどころはあるにせよ、それだけ子育てに注いでくれたとゆう事。にしておこう。
どっちにしても、お洒落感はないんです、うちの場合。
そんな訳で親の影響は、ちょっとこじらせてアレルギー反応出ちゃうほど、受けまくっている、とゆう事で。
本日はお開き。まだまだ掘れば掘った分だけ出てくるので、いつの機会にか書きたいと思います。
〈自己紹介〉Rasaと言います。2008年に東京から移住し、沖縄県の石垣島とゆう島に住んでいます。現在はSunnyTimeとゆう小さな工房を営んでおりまして、Instagramをメインに商品の事などを紹介しています。noteでは、Instagramで伝えきれていない、商品の誕生するまでのお話だったり、関わってくれている素敵な人達だったり、そもそも素晴らしすぎる石垣島で採れる原料のお話だったり、個人的な事を書いています。