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マーケティング的な事、ある視点


 例えばTVでこんな面白いものがありますよ、というレポートを見ると、次の週末にわざわざ出かけていって、それを見に行きたくなる、という人が多い。そして、そこにあるTVで見たとおりのものを、「あった」と確認するのである。「面白い」とも確認する。ほかにいろいろ別のものをついでに見るけれど、それらはお目当てではない。
 観光地に行っても、そこで一番有名で、ガイドブックに載っているものを見なければ気が済まない。「ああ、あった」と確認して満足するのである。
 TVで、タレントが「美味しい!」と言った同じものを食べにいき、やっぱり「美味しい」ことを確認する。美味しいかどうかわからないものを食べたりはしない。
 「面白い」と評判の映画を観て、「面白かったねぇ」と確認し合う。けっして、面白いかどうかわからない未知の作品を観に行ったりしない。本も、何が書いてあるのか事前に調べ、評判を聞いて、「面白い」「どんでん返しがある」「少し泣ける」というような調査に基づいて読み始め、そのとおりであることを確認して満足するのだ。もし、そのとおりでなければ、「いうほどでもなかった」と不満になる。

森博嗣/「思考」を育てる100の講義

これは抜粋だし、ある視点からの表現である。

しかし、「面白さや驚き、感動」といった感情を現代人は確認作業しているという洞察にはとても腑に落ちるものがある。
SNS含むメディアという存在が人間の行動欲求を大きく変えたのだろう
促進したが正しいのかも知れない。

これが良い悪いではなく、現に自分もそうであるように、こういった行動欲求で人は動くことがあるのだと認識することが大事だと思う。
情報に接する機会が急激に増えている現状だからこそコスパ、タイパが重要視される。無駄かもしれない「失敗」な情報を取り込んでいる暇は無いのだ。
モノを買うときなどもそうだろう、口コミや評価を確認して買う人がほとんどなのではないか


こういった現代の行動欲求を理解しておくことは商売する側からしてもとても重要な戦略的観点に思う
ただ逆手に取ったような戦略を良く目にするのは困ったものである
AIによるレコメンデーションは凄まじい精度になることは間違いないので、このようなちょっと怪しいのは排除されていくとは思う。

未知なるものを体験してみて「ああ、失敗しちゃったな」とかもその時はがっくしくるが、後々笑い話になればいい経験なんですけどね。


たくさんあるなぁ。。


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