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未来がわかる設定がある「葬送のフリーレン」なのに、無理がない点について…
未来がわかるっていう設定の作品は多い。
でもだいたい無理がある。
未来がわかるなら、もっとやれることがあっただろ!
ってツッコみたくなる所が多くなるので、自ずと作品への評価は低くなってしまう。
その中で唯一受け入れられたというか、すげぇって思った作品が「進撃の巨人」だったんだが、最近、新たに受け入れられる作品が。
「葬送のフリーレン」
ここには、物語が始まった時、すでにいないキャラなのだが、2人の未来視の能力を持った登場人物が出てくる。
全知のシュラハト(魔族)
南の勇者(人類)
この敵対する人類と魔族の双方に能力者を置くことによって、未来視があっても行動に説明ができるようになっている。
利害が逆の双方に未来視できる能力を配置することによって打ち消し合い、矛盾点の解消を出来るようにしている。
例えば、「断頭台のアウラ」に、シュラハトが「お前は未来フリーレンに自害させられる。魔力では勝てないから、奴には『服従の天秤』を使うな。」的な事を言っていれば良かったんじゃないの?とかツッコみたくなる所だが、それすらも「1,000年後に魔族が絶滅している引き金になるからしなかった。」とか、「それを忠告してしまうと南の勇者の行動が変わり、うまくいかなくなる。」という言い訳が可能になるのだ。
また、魔族が人類より寿命が長い事も、未来視できる2人の利害が同じ未来で一致したことの説明にもなる。
おそらく南の勇者も、1,000年後に魔族が絶滅する未来もわかっていたと思う。が、しかし、人の寿命は短く「今」の数十年が、現状生きている人たちにとっては重要なので、1,000年も待てない。一方魔族は寿命が長いので、今、多少減ったとしても、1,000年後も魔族が滅びずにいるのが重要。このため、相打ちという状況が、お互いの妥協点になったのだと理解できる。(まぁ本当は全然違うかもだけど、重要なのは読んでいる自分が未来視の能力に納得できるかどうかなので)
魔王が生きてしまっていると、1,000年後までに例の剣を抜ける勇者が現れてしまい、魔族を絶滅させられるのだろう。しかし、その前に魔王が倒されることによって、勇者は生まれず(覚醒せず?)、魔族の絶滅も回避出来るということなのではないだろうか?
ただそれまでにも人類は魔族に殺され続け、未来視が出来る南の勇者からしたら、許容できるものではなかった。
そういう設定ではないのだろうか?と、思った。
また、もしかしたら、フリーレンも特異点のひとつで、暴走的な要素で、フリーレンがフリーレンでなくなると、魔族を根絶やしに出来るのではないかと思う。でもそれは、フリーレンにとってとても不幸なこと。魔法を愛しているフリーレンではなくなってしまう事なのかな、と。
その未来も見えている南の勇者は、フリーレンに一応声は掛けてしまうが、そちらの未来は選択しなかった。(まぁもし本当にそちらの未来を南の勇者が選択しようものなら、シュラハトが阻止するだろうけど)
と、シュラハトや南の勇者の話が出た時に、「えぇ、フリーレンもそっち系の能力出しちゃうの…ヤダなぁ…」って思ってしまった私だったが、よくよく読んでいけば、「なるほどぉ!しゅごい!!!」と関心させられていて、「無能な私のような者が、葬送のフリーレンという良作に、疑念を抱いてしまい、申し訳ありませんでした。」とさせられてしまった。
というお話w
「葬送のフリーレン」おすすめです🎶
ポスターとかあると気持ちがアガる😆
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