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障害者への支援と過疎地への支援について

割引あり

乙武洋匡さんのこのポストをきっかけに少し考えてみた。

最初私は、人間主義上において効率の悪いコストを掛けるという意味では、障害者支援も過疎地支援もコスパ悪くやっぱり同じなのではないか?と考えた。Noteが優良なため浅はかな私は、障害者には誰しもなる物だから、過疎地の問題とは違うセーフティーネット的な意味があると言いたいのでは?と考えてしまった。

しかし、その後の乙武さんがリポストした内容をみると、考え違いをしていたと気付いた。

上の2ポストを見ると、「過疎地を切り捨てる」=「人を切り捨てる」にはならない。なので、人を切り捨てることになる障害者の切り捨てと、過疎地の切り捨てには明確な違いがある。と言いたかったということだとわかった。

しかしそれでも私は詭弁だと考える。
そこにしか住みたくない。離れたくない。と考える人を切り捨てる事になるのだから、「人を切り捨てている」と同様の意味だろう。
もし命を奪う事だけが切り捨てているのであれば、障害者を個々人で支援するのはコストが掛かり過ぎるので以下のようにします。

資産がない人はある施設に全員入ってください。そこでなら公金を使用した支援を実施します。
死ねなんて言っていません。コストが掛かるから、自前でそのコストを用意出来ないなら施設に入ってくれと言っているだけです。
その上で町中のバイアフリーの公金はすべてなくし、起業へのバリアフリーの義務もすべて撤廃し、就職支援行いません。その資産をすべてその施設に充てます。

こういった場合、そうですね。仕方ないですね。受け入れます。命は保証されているのですから。
と言うのだろうか?言わないだろう。
「それは人権侵害だ!」
言うだろう。私もそう思うし。
だから、問題の根本は同じだと表現しているのだ。
そこが違うをいくら言ってもそれはすべて詭弁にしか私には聞こえない。

そんなことを考えさせられるポストだった。
〜 おわり 〜
(あとがき)

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