熱湯風呂我慢大会
「にゃんこ大戦争」(©︎PONOS)に登場する、「にゃんこ」と称する、ネコとはあんまり関係なさそうなクリーチャー群には、独特のセンスを感じる。
ユルく造形されているようでありながら、プレイに際してはタイミングなど非常にシビアな判断が要求され、オッさんが隠れてこそこそプレイするに値するゲームである、と思う。
ステージ名も独特で、なかに「熱湯風呂我慢大会」と称するステージがある。風呂ぜんぜんマジで関係ないけど。
という書き出しの #クソ日記 であるが、こちらについての話。
記事の後半は、6月19日に起きた特定の出来事について記載されている。
正直なところ、Twitterでの通報一発が効いたのかどうかよくわからない。というか、あっという間に復活しとるやないけ。せっかい先生、この顛末を論文にする言うてはったけど、大丈夫やろか。
そもそもAmazonは「売ってると怒られそうなコンテンツを引っ込める」事に関しては定評ある(??)ので、anti-vaxxerという現在「売ったら怒られる」コンテンツに関して、それを一旦店頭から引っ込めることに何のためらいもなかったはず。
昨年もKindleコンテンツとして売っていた、ALS患者嘱託殺人事件の犯人による書き物が引っ込められているし、言論の自由ってそれなあに?儲かるの?というスタンスかと思う。
要するに「怒られたから消して、また別の方向から怒られて復活させた」わけで、これをもう少しそれっぽく表現すると
となるでしょうか。
Amazonで入手できなくなった時、「禁書になった訳ではないから言論の自由は守られている」というのは、事態の一部しか反映しない見方と思うけれど、多くのお医者さんたちがそういう立場を〔知ってか知らずか〕採択していた。Webプラットフォームが、そこに載せる言論の内容を判断して良いのかという広義"Google八分"問題で、トランプ前大統領があらゆるSNSアカウントをbanされた事と地続きの事態だし、割と危ういと思うのだけど。
また、SNSによって「お医者さんたちの言説」に温度差があるのも興味深く思った。と言ってもTwitterとFacebookしか観察してない。
個人的には、ワクチン打つなら打つ、打たないなら打たないできみの好きにしたらいいよと思う派です。というか、「理由が存在してから特定の行為を選択することが『行為の倫理性』である」と考えるのが大きな誤謬だと思うんですよね。これ言いすぎると怒られるけど。
定期的にネット論壇で話題になる「セクハラで逮捕されないためのAEDのかけかた」についても、現場に居合わせたら全然感覚が違うと思う〔行為が理由に先行しない〕。躊躇いなくAEDを使用して救命したら、救命対象の人物にセクハラで訴えられた。あなたは決然としてそのクソみたいな人物を救命したのだから、あなたは倫理的に正しい行いをした。セクハラと言われるのが嫌でAEDを使用しなかった。あなたは決然として過度のポリコレに異を唱えたのだから、あなたは倫理的に正しい行いをした。それでいいじゃない。Twitter論壇(笑)でのピーチクパーチクは、実際のところ指一本動かす理由にならないと思う、というか、理由が先行するんじゃないのよ。
補足すると、理由→行為であるという信念のもとに情報をアウトリーチする専門家(団体)の活動は貴重であると思う。人間の自由意志の存在は疑問に付されているが、そういう研究をした研究者は「自由意志に基いて」研究したと思っているはずで、もしそれが誤謬であるにしても、それは人間であるが故の尊い誤謬だ。
わかるかなぁ(以下略
ただ、内海聡の本を読む人たちは、内海聡の本を読んで「フェアな情報から判断して」ワクチン接種を拒否するようになるというよりも、ワクチン接種しない理由を求めて内海聡の本を読むんじゃないだろうか。だってあれ読んで「フェアに判断できるための情報が増える」って思わないじゃん。医療従事者以外はもしかするとそう思うのかな? その辺よくわからない。そういう意味〔それをもう少し解像度よく知りたい〕で、あの本の購入層がどのような社会的バックグラウンドを有していたのかには興味がある。
一方、「絶対に接種しない」と答えた人は共和党員(27%)、農村部の住民(24%)、トランプ前大統領の支持基盤でもあった白人で福音派のキリスト教徒(23%)で突出している。
フェアな判断はそもそも存在せず、出生と社会的バックグラウンドがアプリオリに評価・判断・行動を規定しており、そこに人々は逆行的に理由づけを求める〔さらにそれがミーム戦に利用されて、行動強化の契機になる〕ということについて、普段のサービス精神溢れる文体から遠く離れたやまもといちろうさんのnoteに、大変いけないことがサラッと書いているので長めに引用してみる。
このnote句点が一切ないけど、口述でもないだろうし、なんなんだろう。
実際のところ、おまえがどう評価するかはある程度所与である
たぶん、人間は生まれつきある程度価値観は決まって生まれる あまり環境によって左右されず、子どものころに親や学校によって植え付けられた価値観や感情も、成長し30歳を超え中年に差し掛かるころには生まれ持ったものに立ち返っていく(だから教育が大事だと言われる)
他方、人間の立場は可変である 例えばお前がアメリカの大学に行けば共和党支持者であるとは表立って言えない そこでキャリアを築いていくころには立派な都会生活者となり民主党支持者となる 立場を守るためにトランプを馬鹿にしなければならない トランプを支持したレッドステートは馬鹿の集まりなので平気でシャドウステートとか信じるしコロナワクチンは打ちたがらない 分断が行動を伴い、有意差として本当に社会は分かれていく 同じ国の、同じ社会なのに
しかし、政治は基本的に愚者のものであって、一日の自由になる時間の半分はテレビを観たりゲームをしたりして過ごす 一カ月で親しく付き合う友人の数も平均で4名から8名ぐらいまでで、限られた人間関係、決まりきった娯楽、固まった家族の中で暮らしている
そういう人たちにこそ、ミーム戦は効く 世の中で起きたこと、とりわけ本人にとって不満だと思っていることに対して、その世の中で起きている不満は「これが理由だ」と指し示してやればいいからだ
物事に対して意味づけをして、それへの支持を促してやればいいのである
閑話休題。
該当書がAmazonで売られる自由は担保〔というよりも死守〕されるべきか、Amazonで売られている他の反ワクチン本は野放しで良いのか、など、「一律の言論の自由」を守るハードルはとても高くなっている。何せ僕たちがそうやって内海聡の言論の自由(?)を守っても、別に向こうは素知らぬ顔で枠珍とか貧苦(←マスク、と読むそうです)とか、訳わからん事を言うてこちらの仕事を妨害してくるわけで。
「プラットフォーム上で『杓子定規に』表現の規制を『行わない』こと」のコストは、今や熱湯風呂我慢大会みたいに跳ね上がっています、ということで、表題。
そして、好きにしたらいいよ学派の自分がいま憂鬱なのは、親族のひとりがものすごいテンプレ通りの反ワクチンになっていて、ファイザー社元副社長/ワクチンは卵巣に蓄積/10年後の後遺症/イベルメクチンなどインボー論よくばり全部のせセットになってるという事です。こんなん説得無理ですよ。理由は行為に先行しないから。こちらが何を言っても「あちら側の人間の発言」にカテゴライズされてしまうわけで、もう最終的には「医療従事者を嫌いになってもワクチン嫌いにならないで」的な支離滅裂になるという。まぁベースで「好きにしたらいいじゃん」と思っているので説得に熱意がないというのはあるけど。
蛇足だけど、イベルメクチンは安いから製薬会社が儲からないので云々と言うけど、本当に臨床試験やって有効っぽかったら、製薬会社は新しい適応病名つけて価格吊り上げてくるんちゃうの。過去にコルヒチンでやられた奴や。
ということで #クソ日記 おしまい。この1週間は家族の体調不良と仕事の締切ラッシュもあり、マジきつかったです。
いただいたサポートで麦茶とか飲みます。