2024年11月、雑記
2024年11月某日に祖母が亡くなりました。96歳の誕生日の翌日で、僕が当直中に電話がかかってきて亡くなったことを知りました。
コロナ禍に突入する直前の2020年1月に父が亡くなり、コロナ禍が「社会的に」終焉している2024年11月に祖母が亡くなることにある種の感慨を感じなくもないです。コロナ禍前には祖母は父と(折り合い悪くも)神戸で同居していたのですが、さすがに諍いが絶えず同居が無理となってから父の体調が悪化してそのまま亡くなり、90歳を超える祖母をコロナ禍の神戸にひとり置いておけないということもあって東京に引き取ったのが2021年。そこからずっと神戸に帰りたがっていて、但しADL的には全く不可能な、お話にならない状態で、訪問歯科診療というニッチな領域の専門家である妹が可能な社会的リソースをフルに投入してなんとか維持していました。
しかし、ADL的にもその他の意味でも在宅療養が困難となって施設入所したのが今年2024年、そこから肺炎で急性期病院に入院し、その際のCTで肺がんと思われる陰影が見えたのですが当然精査加療対象ではないでしょうということでホスピスに入り、亡くなる2週間前には訪問することができましたが、その時点でまだコンビニの「白玉ぜんざい」を経口摂取していました。
祖母の実際的なケアについては妹と母親にほぼ完全に任せていて、特に妹のライフワーク「最期まで口から食べる」の実践を見ていると、おお、流石に本職は違うね、という感想を抱きました。
「ひぃおばあちゃん」の葬儀には息子・娘も列席し、これが2人にとって「はじめてのお葬式」となりました。
まずはお疲れ様でしたと言いたい。
祖父が亡くなったときもそうだったのですが、祖母も夥しい、口には出せない歴史を抱えてあの世に行ってしまいました。祖父は第二次世界大戦中は「桜部隊」に所属して中国で諜報活動(主に補給に携わっていたらしい)に従事していたらしいこと、ソビエトロシアに抑留されていたらしいことは問わず語りのあれこれから知れたのですが、それ以上の詳細は断固として口に出さないままでした。国会図書館のデジタルアーカイブでは「任陸軍憲兵中佐◯昭和十六年五月九日」のところに祖父の名前が確認でき、また「桜部隊」についての短い言及もちらほら引っ掛かるのですが、大陸で何を考え、なにをしていたのかは全くわからないのでした。
歴史はいつも「起きたこと」について「語られたこと、記されたこと」が残り、しかし何かが「起きない」ために全力を出したことの積み重ねが「起きたこと」の地としてあるはずで、その匿名の何億人の声が「死者の声」としてわたしたちを端的に生かしてくれているのだと最近とみに感じます。
【ヘッダー画像は総武線グリーン車内で朝食を食べるムスメの横顔写真】