【人に見られているときに起こる変化】
人前で演奏するときに、僕の意識の内側で一体何が起こっていたのか、順を追ってみた。
僕はどんどんステージ慣れしていくし、あの感覚を体験することはもう二度とできないから、今のうちに思い出しておく。
いちばんの大きな違いは、自分の演奏について自分以外のからの評価の目線が生まれること。
もっと言うと、自分の体をどう動かすことによってどんな音が生まれ、それがどのように伝わってどのように聴こえているか?という観点が明確に生まれる瞬間を感じた。一人で弾いているときには、明確に感じていなかった観点。
自分がひとたび鍵盤に触れて音を出した瞬間から、自分の知らないところへ音が伝わっていく。音が、僕の手からこぼれ落ちていく感覚。
はじめてのリハーサルで一番記憶に残っているのは、この感覚を強烈に味わったことだった。
ずっと一人で練習してきて、人前で演奏するということがよくわかっていなかったようだ。
「ぼく今出しているこの音は、人にどう聴こえているのかな?」と、こんな思考から始まる。いや、動画を撮っているから客観的になるチャンスはたくさんあったんだけどさ。息遣い、雰囲気、直接伝わっていくコトに想いを馳せ、感覚が研ぎ澄まされ、脳が思考に支配されていく。
音をだしているんだけど、なんだかじぶんがなにをしているのかよくわからなくなってくるんだ。
人間、そんな未知の状況に遭遇すると、それに対応しようと心臓がいつもよりムダに威勢良く仕事をし始める。血が全身を駆け巡り、その多すぎる血流量に、繊細な動きを要する僕の腕は、エナジードリンクを飲んだ飲酒後のような、カフェイン多量に気づかず翼を生やそうとする中毒者のようにフラフラになって、制御なんかできるわけがない。頭もとっくにパンクして諦めているし、新しい切り口の向こうから今の状況を静観し続けている。
頭は演奏のことばっかり考えているから、演奏自体に集中しているかのようだけど全く集中なんかしていない。案の定、聞いたこともない音が僕の体を通して鳴らされているのを、どこか遠くの僕の耳が拾う。
30%くらいしか使われていない脳みそがそれでもなんとかしようと、自分の翼まみれの指の動きと、耳から入ってくる異文化の音色との関連性をみいだそうと必死になっているのを冷静に感じ取ろうとしている自分もいて、気づけば曲はどんどんどんどん先に進み、僕の指は鍵盤を叩き続け、暗譜は飛び、それを鍵盤の上に再現する任務に必死になり、気付けば最後の一音をホッとした気持ちとともに聴き終える。
こんなに人前で弾くのって、一人とは違うんだなってことが身にしみた事件でした。
この一連を一言で言おうとすると「自分の体が自分じゃないみたい」なのを体験した、とでもなるんだろうけど、リハ中とにかく「普段僕はどうやって体を動かしていたんだっけ?」ってことをずーっと思い出そうとしながら弾いていた。
この経験から僕が増やしたり変えようと思った行動は下記2点。
1. 人前で演奏する機会を作る
2. 弾く時は必ず、自分の動かす指と音との連動をコントロールしてる状態で
だね。