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『メンドクサイ』が幸せの源泉だ【儀式論 第13章 家族と儀式】

今日は「家族」についてです。

家族に関する儀式…といえば
最も大きなものというと
何が思い浮かぶでしょうか?

多くの人は
新たに家族になる儀式…

結婚式

を挙げるかと思います。

あるいは、家族とお別れする儀式…

葬式

を挙げる人もいるでしょう。

本書でも結婚式や葬式の重要性が
とり上げられています。

ただ、最近はこういった式を
しなかったり、簡略化していったり
…ということが多くなって
います。

合理的に考える人が増えている昨今
それも無理のないことです。

ハッキリ言って「メンドクサイ」ですからね。

ですが、そんな現状に
著者は警鐘を鳴らすわけです。

本章の結論を言ってしまうと

メンドクサイことにこそ、幸せがある

ということです。

この数十年の間に
結婚式、披露宴の形は大きく変わりました。

仲人、結納、金屏風…といったものは消え
かつては「家と家」の結びつきでも
あった結婚式がもっと個人的なものに
なってきていると、著者は言います。

特に著者は「結納」が衰退したことを
残念に思う…と述べます。

結納とは、その漢字が示すとおり「結び、納める」と書きます。ここで結ばれるものは、結婚する新郎新婦だけでなく、その両家を意味しています。つまり結納とは、「結婚する両家が結ばれ、一つに納まる」ということ。結ばれる家と家が、お祝いの品を交換することを意味しています。

https://hotel-chinzanso-tokyo.jp/wedding/for-wedding-sub/prepare/engagement/yuinou01-chisiki/

この縁を結ぶ儀式が無くなった
…というのが、
日本人の離婚率が上がっている原因
…なのかもしれない
、とさえ
著者は言うわけです。

儀式は面倒な方がいい

結納が衰退した理由は
形式ばっていて、面倒だから

まさに儀式の特徴そのものです。

ですが、著者はこう言います。

儀式というのは、少しくらい面倒な方がいい。そのほうが、脳に強い情報を与えられるからである。
(中略)
儀式とはもともと形式的なものである。そこに実利的な意味が認められないからという理由で否定するのは筋が違う。
(中略)
「かたち」には「ちから」がある。儀式は心や魂に力を吹き込み、決定的な影響を与えるための人類の知恵である。

P489

儀式は面倒な方がいい
→脳に強い情報を与えられるから

儀式には力がある
心、魂に力を与えるための
人類の知恵である

こういうわけですね。

面倒でも、儀式はやったほうが
心に力が沸きますよ!

という話です。

特に心に力が足りない人には
儀式がおススメ
、ということですね!

儀式は面倒な方がいい

というのは、著者的にとても大事なことなので
「葬式」に関して書いている部分でも
再度繰り返し述べています。

「面倒くさいこと」は記憶に残るものである、簡単にできてしまったこと、つまり面倒くさくないことは脳内でスルーされてしまって、記憶に残らない。まさに「苦労こそ最高の思い出」なのである。
(中略)
「面倒」の中にこそ幸せの本質がある。

P509

「面倒」の中にこそ幸せの本質がある

これは中々味わい深い言葉だと
私は感じました。

言われてみれば、自分が幸せと
感じていたタイミング…というのは
何かしらの負荷がかかるような
「面倒」とセットであった
ように思います。

そう考えてみると
メンドクサイ儀式を、避けずに真面目に
やってみる…というのも
悪くないのかな…と、思います。

まとめ

儀式は「面倒」な方がいい

「面倒」でないと、記憶に残らず
自分の中に蓄積されない

「面倒」の中にこそ幸せの本質がある







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