「歌」と「ものまね」の力【儀式論 第7章 芸能と儀式】
今日は、芸能についてです。
紹介するポイントは3つです!
・芸術と芸能の違い
・歌は命のそのものである
・ものまねは自己超越の手法
…
・芸術と芸能の違い
芸術と芸能は、どちらも
それぞれに「カタ」を持ち
人びとに受け継がれてきたもの…
ではありますが、その違いは
「目指しているもの」にあります。
芸術=深く行きつく
芸能=人々に広く行き渡る
これは、言われてみると
ピンとくるのではないでしょうか?
芸術というのは
芸術家が自らの深いところにある
なにかを表現して生まれてくる
芸能というのは
多くの人々に対して
楽しませるように訴えてくる
このような違いがあるわけです。
…
・歌は命のそのものである
次は「歌」についてです。
この章には中々刺激的なことが
書いてあります。
そして、このことを表現しているのが
紀貫之の『古今和歌集』の「仮名序」である
と言っています。
特に重要な部分が
であって、これは
『森羅万象は歌を歌っている』
そしてその歌は
「力を入れずして天地を動かす力がある」
と言っているわけです。
そんな大げさな…と
思うところもあるかもしれませんが
例えば、
「今日仕事に行きたくない」と思った時
好きな歌を聞いたり
歌ってみると気分が良くなって
意欲がでてきたりしませんでしょうか?
歌の力…というのを
感じたことがある人は多いと思いますが
それを
「歌は命そのものである」
とまで言い切っている人も居る
…ということなんですね。
…
・ものまねは自己超越の手法
最後はものまねの話です。
先ほどの宗教哲学者 鎌田さんは
「心身変容の技法」を研究する中で
「物を真似る」=自己超越の一つの形
だということを指摘しています。
能の芸術性を確立したと言われる
世阿弥の話を紹介します。
物真似の奥義=老人の真似
老人=翁は日本人の中での「神」のイメージ
だから老人の真似=神の真似であり
物まねは「神懸り」に行きつくのだ
…という論法です。
物真似の奥義が老人の真似…というのは
あまりピンときませんが
世阿弥さんが言うなら
きっとそうなんでしょう。
日本の神のイメージが「老人」というのは
なんとなくわかりますよね。
七福神の恵比寿様とか布袋様とかも
おじいちゃんですから。
物真似が自分という一人の人間を超えて
「神」に行きつく技…というのは
今の感覚だと、しっくりきにくい
かもしれませんが、
その位に「真似る」という行為には
力があるんだ…ということだけ
納得しておけばいいのかな、と
私は感じています。
…
まとめ
・芸術と芸能の違い
芸術=深く行きつく
芸能=人々に広く行き渡る
・歌は命のそのものである
紀貫之は古今和歌集でこう言っていた
『森羅万象は歌を歌っている』
そしてその歌は
「力を入れずして天地を動かす力がある」
・ものまねは自己超越の手法
物真似の奥義=老人の真似
老人=翁は日本人の中での「神」のイメージ
だから老人の真似=神の真似であり
物まねは「神懸り」に行きつく
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