「願い事」が無い理由
七夕の日、友人からふと問いかけられた。
「願い事は何ですか?」
私は、答えられなかった。
何も答えが思いつかなかったことに
自分で驚いてしまった。
ちなみに、一般的に「願い事」というと
こんな感じらしい。
なるほど…
健康・安全
楽しい日々
お金
人間関係
仕事の成功
どれも、確かに
私としても「欲しい」ものではある
ただ、ここでもう一つ思うことが出てくる。
これらは、「願う」ようなものなんだろうか?
やれることを全部やり切った上でなら
「願う」以外にやることがない…ということも
あるのだろうけれど
そこまでしている人は
一体どのくらいいるのだろう。
たとえば、
食事、睡眠、運動、いずれかを疎かにしながら
「健康」を願う…なんてことをしていたら、
それは何かおかしいのではないだろうか?
健康を願いつつ
暴食をしている人…なんて人は
願う前に、食べる量を減らすべき
…というのは、
誰でもわかることのように思う。
ここまで想いを巡らすと
私に「願い」が無いのは
当たり前のことをやりきっていない
自覚があるから
ということが見えてきた。
楽しい日々を願う前に
「楽しくなる」ための行動をやりきったんですか?
いい人間関係を願う前に
人間関係作りのための行動をやりきったんですか?
仕事を成功を願う前に
成功のための行動をやりきったんですか? …
こういう問いに「YES」と答えられないから
私には「願い」が無い…
正確には
「願う前にやることがある、と分かっている」
ということだ。
一瞬、「願いが思いつかない」ことに
ショックを覚えはしたけれど
少し考えてみれば「これでいい」と思える。
淡々と「願う前にやること」を
これからもやっていく。