明日死ぬなら、絶対会社になんて行きたくない。それでも…【会社から受けた贈与の話】
ある時、ふと考えた
もし明日死ぬのなら
もう絶対に出社しないだろう
2日後ならどうか?
やっぱり出社しない
じゃあ、それが3日後なら?
1ヶ月なら?
半年なら?
1年なら?
3年なら?
5年なら?
考えてみると、線引きが難しい
自分にとっての
「働く意味」を考えた時
会社が私に与えていた「呪い」に
気がついた… そんな話。
…
何年で死ぬなら出社しないか?
私の答えは5年だった
理由は簡単で、今の貯金額で
5年なら生きられそうだと思ったからだ
何かしたいことがあるわけじゃない
ただ、仕事がしたくないだけ
したくないことに、
残り少ない人生を
使いたくないと思ったからだった。
…
同僚に
同じことを聞いてみた
すると、
残りの命が1ヶ月でも会社で働く
と言った人がいた。
なぜ? と聞いてみる。
「会社に迷惑をかけたくない。
キチンと引き継いでから
人生を終えたい。」
あー…すごい。
私はこんなに仕事を大事にできない
3人に1人は
死ぬまで1ヶ月しか無くても働く
と答えていた
すげー会社だなぁ…と思った
「私、浮いてるなぁ…」とも思った。
…
聞き終えたあと
しばらく一人で考える
一つの問いが私の中に生れてきた
「仕事の中身」はどうでもいい
「会社の行末」も知ったことではない
それは、私の中で確かだ
でも「人」は?
一緒に働いている「人」
お世話になった「人」を
私はどうでもいいと思っているのか?
答えは NO だった。
私は、一緒に働いている人が好きだ
好きな相手を困らせるのは
恩を忘れるのは
私の本位じゃない
…ああ、なんだ、そういうことか
「会社に迷惑をかけたくない。
キチンと引き継いでから
人生を終えたい。」
っていうのは
「お世話になった恩を返してから死にたい」
ってことだったのか
それなら、
人生が残り1日でも
出社するしかないよなぁ…と
思った。
恩を返さずには死ねないんだから
結局私も、似たようなものだった
…
恩を返しきるまで
私は会社をやめられない
それは、いつになるのだろう…
…
余談だが、
ここまで書いてみて
この話が
モースの贈与論における
「ハウ」の話なのだと気づいた
「ハウ」の話というのは
平たく言えば
贈り物には精霊(ハウ)が宿っていて
ハウを人に渡さないでいると死ぬ
つまり、貰ったら返さないとならない
というものだ。
一種の「呪い」に近い。
つまり、会社視点に立つなら
「死ぬまで働いて欲しいなら
労働者を贈り物(ハウ)で呪え」
ということになる
私が受け取ってしまった贈り物は
「素晴らしい同僚」だった
私、完全に呪われてるじゃん…。
…
贈与論、ハウの話について知りたい人はコチラ
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