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飽きるのは、あなたが○○していないからだ
飽きることって、よくありますか?
会社に飽きる
遊びに飽きる
人に飽きる
生活に飽きる
…いろいろと飽きることが
あるかもしれません。
その理由は
「変わりばえしないから」
なのだと、説明する人もいるでしょう。
ですが、実際は…
飽きるとは、自分がいつも同じ見方しかしてこなかったという証拠だ。
子供の頃、同じものずっと見ていませんでしたか?
飽きずにずっと同じものを
見ていられる存在…と言えば
「子供」が挙げられるでしょう。
まだ言葉もおぼつかないくらいの幼児は、毎晩同じアニメビデオを観せてもいっこうに飽きない。寝るときに毎晩同じ童話を語り聞かせしても飽きない。なぜか。
幼児は毎回、その物語の中の異なる部分に注目しているからだ。狼に注目したり、赤ずきんちゃんの言い方が変だと思ったり、森の暗さに驚いたりしているのだ。ストーリーだけを追うといった単純な聞き方をしているわけではないのだ。
子供が飽きないのは
同じものに対して
いつも違うところを見ている
からだ
というんですね。
ここから、大人が飽きてしまう理由が
見えてきます。
大人が飽きるのは、幼児のように自分からものの見方を変えていないからだ。いつも物事の同じ面しか見ていないから飽きる。
物事がつまらないのではない。物事を見る自分の姿勢や視線がマンネリズムにおちいっているのだ。
なぜ、マンネリズムになるのか。自分自身の中に変化がないからだ。要するに、ニーチェが言っているように「飽きるのは自分の成長が止まっている」からなのだ。
物事がつまらないのではなく
物事を見る「自分」の方に成長が無いから
つまらなく見える
というわけです。
かなり厳しい言葉ですね。
同じことが、対人関係でも
当てはまっていて
同じような態度が他の人間に対しても向けられている。だから、あの人は退屈だなどと言いだすのだ。深く関わらず表面しか見ていないから退屈だと言うのだ。
表面的に見て、
自分の中で型にはめてしまえば
「退屈」なかかわりになってしまう
ということですね。
私自身、人と対話をしていて
感じることですが
表面上は「普通」に思えても
中身を探っていくと
一人一人全く違っていて、
「面白い」と思える面がどんどんでてきます。
自分に新たな視点が加わったうえでなら
同じ人と関わっても
また、違うことが見えてきたりします。
ですから、今日の話である
「飽きるのは自分の成長が止まっているから」
というのは、感覚的にわかります。
自分が成長し続けていれば
同じ物事に対して、新たな見方が
出てくるので、飽きることはない
んです。
何かに「飽きたな」と感じた時は
自分の成長が止まっていることのシグナルだ
…と、受け取るようにしましょう。