「儀式」無しに「時間」無し!?【儀式論 第8章 時間と儀式】
今日は「時間と儀式」の話です。
さて、ここで一つ考えてみてください。
私たちは、どうやって時間を
認識しているでしょう?
何もない状態で
時間を認識することって
人にはできないですよね。
なにかに頼ればいいわけですが
今は時計があるから簡単ですね。
では、時計が無かったらどうでしょう?
きっと太陽を見ていれば
1日の始まりと終わりは
わかるでしょう。
では、1か月…なら?
これは月の満ち欠けで
概ねわかるでしょう。
では、1年は?
とか
あなたは何年生きているでしょう?
とか
長くなってくると
わからなくなってきますね。
社会学者エミール・デュルケムは
時間に対してこう言っています。
人間は、なにかで区切ることで
初めて「時間」を考えることが
できるようになる…と言うんですね。
たとえば、1年を認識するために
「年中行事」というものがあります。
正月やお盆の行事が
まさにこれですね。
また、人の一生を認識するためにも
色んな行事がありますよね。
七五三や、成人式
歳をとってくると
「長寿祝い」があります。
長寿祝いというのは
60歳の還暦 とか
70歳の古稀
77歳の喜寿
88歳の米寿
99歳の白寿
…など色々あります。
いずれにしても、どうやら
私たちは一生を「儀式」によって
認識していたということのようです。
著者はこう述べます。
「儀式無くして人生無し」
儀式推しの著者らしい
強烈な結論ですが
儀式無しには人生を認識できない
と言われてしまえば
確かにそんな気もしてきますね。
また、儀式の持つ効果について
「長寿祝い」を例にして
こんなことも言われています。
老い…のように、
人間が不安を感じる状態のとき
効果を発揮するのが「儀式」だ
というわけです。
確かに、宗教的な儀式に参加すると
心が安定していく気がする…
というのは、私にも覚えがあります。
不安には儀式
というのは覚えておいても
良いかもしれませんね!
…
まとめ
人間は「何かで区切る」ことをしないと
時間を認識できない。
その何かは「儀式」である
「儀式」には「不安」を減らす効果がある
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