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「儀式」無しに「時間」無し!?【儀式論 第8章 時間と儀式】

今日は「時間と儀式」の話です。

さて、ここで一つ考えてみてください。

私たちは、どうやって時間を
認識しているでしょう?

何もない状態で
時間を認識することって
人にはできないですよね。

なにかに頼ればいいわけですが

今は時計があるから簡単ですね。


では、時計が無かったらどうでしょう?

きっと太陽を見ていれば
1日の始まりと終わりは
わかるでしょう。

では、1か月…なら?

これは月の満ち欠けで
概ねわかるでしょう。

月の満ち欠けのくりかえす日数 (およそ29.5日) が1か月のもとになっています。

https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/CDD7C1C72F1A4ABB7EEA4C8A4CFA1A9.html

では、1年は?
とか

あなたは何年生きているでしょう?
とか

長くなってくると
わからなくなってきますね。


社会学者エミール・デュルケムは
時間に対してこう言っています。

われわれは、さまざまな次元を区分して、初めて時間なるものを考察してみることができる

P315

人間は、なにかで区切ることで
初めて「時間」を考えることが
できるようになる
…と言うんですね。

たとえば、1年を認識するために
「年中行事」というものがあります。

正月やお盆の行事
まさにこれですね。

また、人の一生を認識するためにも
色んな行事がありますよね。

七五三や、成人式
歳をとってくると
「長寿祝い」があります。

長寿祝いというのは
60歳の還暦 とか
70歳の古稀
77歳の喜寿
88歳の米寿
99歳の白寿
…など色々あります。

いずれにしても、どうやら
私たちは一生を「儀式」によって
認識していた
ということのようです。

著者はこう述べます。

ここまで、儀式は時間を質的に特徴づけるものであることを述べてきた。このことはつまり、「儀式を行うことによって、人間は初めて人生を認識できる」と言っても過言ではなかろう。
 儀式とは世界における時間の初期設定であり、人生に時間としての区切りを与える行為である。そして人生と生命を肯定することなのである。さまざまな儀式がなければ、人間にとって時間は等質で擦り減っていくだけのものとなってしまう。一日の中で、一年の中で、一生の中で、それぞれに意味のある儀式が折り込まれていることはけっして偶然ではない。
 まさに「儀式無くして人生なし」なのである。

P316

「儀式無くして人生無し」

儀式推しの著者らしい
強烈な結論ですが

儀式無しには人生を認識できない

と言われてしまえば
確かにそんな気もしてきますね。

また、儀式の持つ効果について
「長寿祝い」を例にして
こんなことも言われています。

 これらの儀式の本質は「魂のコントロール術」であるととらえることができよう。
 儀式が最大限の力を発揮するときは、人間の魂が不安定に揺れているときである。老いていく人間の魂も不安に揺れ動く。なぜなら、「老い」とは、人間にとって最大の不安である「死」に向かってゆく過程であるからである。

P313

老い…のように、
人間が不安を感じる状態のとき
効果を発揮するのが「儀式」だ
というわけです。

確かに、宗教的な儀式に参加すると
心が安定していく気がする…
というのは、私にも覚えがあります。

不安には儀式

というのは覚えておいても
良いかもしれませんね!

まとめ

人間は「何かで区切る」ことをしないと
時間を認識できない。

その何かは「儀式」である

「儀式」には「不安」を減らす効果がある



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