救いをもたらすのは、結局○○である

今、辛い思いを
抱えていればいるほど
救い…ほしくなりますよね。

今日は、そんな救いの話です。


自己実現は救いにつながる

先日、自己実現について
書きました。

「自分の力で」「何かを成す」
=「自己実現」

この範囲は実はかなり広くて…

怒りをこらえるのも自己実現であり、和解や赦しをするのはさらに高い意義を持つ自己実現だ。そのような自分の気質や性向の面における内的な自己実現は、他人がなかなか気づかないものだ。しかしながら、自分にとっては高い意義を持つし、「救い」をもたらすものでもある。

白取春彦. 生き方はニーチェに聴け! (p.34). 株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン. Kindle 版.


「怒りをこらえる」というのも
一種の自己実現なんです。

さらに、和解、許しをするのは
さらに高い意義を持つ自己実現。

こうした、自己実現が実は
『救い』をもたらす
んです。


なぜ、自己実現が救いをもたらすのか?

それは、そもそも救いというのが
どういうことなのかを考えてみればわかります。

救われる、というのは
つらい、苦しい状況から脱する
ことを表しているわけです。

自分そのものか、
あるいは自分を取り巻く環境が
変わることで、救われる
といえるわけです。

自分が変われば、その影響から状況もまた変貌する。というのも、これまでの苦しい状況をつくっている要因の一つが自分のあり方だったからだ。

白取春彦. 生き方はニーチェに聴け! (p.35). 株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン. Kindle 版.

自己実現とは、
自分を変える取り組み
です。

そして、自分の変化は
環境の変化にも繋がり
ます。

自分そのもの
あるいは自分を取り巻く環境が変わる

つまり、救いにつながる可能性が
あるということ
です。


イエスの言う『救い』

一方、『救い』と言えば
宗教的なイメージを持つ人も居るでしょう。

ですが実は、結論は似たようなところに
落ち着くんです。

 『新約聖書』でイエスが「あなたは救われた」と告げる場面をよく読んでみれば、本来の救いの意味がはっきりとわかる。その人がこれまでのその人の考え方や行ないを一変させたときにのみ、イエスは「救われた」と宣言しているからだ。
 救われないのは、いつまでもこれまでの自分にしがみつく人、幼児の素直さを持っていない人、どこまでも疑いの深い人だ。そもそも彼らは、おのれの態度や行ないを根底から変えようとする気など持ちあわせていないからだ。

白取春彦. 生き方はニーチェに聴け! (p.35). 株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン. Kindle 版.

その人が考え方・行いを
一変させたときに
イエスは「救われた」と宣言する

先ほどの自己実現も
自分を変える取り組み
、でしたよね。

結局のところ、救われる人…というのは

自ら、自分を変えるべく
行動を起こす人

ということになるんです。


ただ、外に救いを求める人は
救われることはなく

自らの力で、内側から
変えていこうという人が救われる

これだけだと
弱い人に厳しすぎないか?

という気もしてしまいますが

自己実現…
自分の力で何かを成すことは
子供の頃は誰でもやっていたことです。

つまり、本来、救われる力を
持って人間は生まれてくる…と
言うこともできる
でしょう。

救われないのは、いつまでもこれまでの自分にしがみつく人、幼児の素直さを持っていない人、どこまでも疑いの深い人だ。

再掲

幼児の素直さ を思い出せば
救われる…ということでもあります。

このことは、頭の片隅に
置いておいてもいいのかな、と思います。

いいなと思ったら応援しよう!