パンプキン_カフェ

氷河期世代は支えない

 残業も150時間を超えてくるといい感じに心が荒んできて、なんだか何もかもがどうでもよくなる。

 金曜も深夜0時を過ぎた頃、2年目女子(絶賛同期と半同棲中、わりとかわいい)が唐突につぶやく。部屋には僕と彼女の二人。独り言か、あるいは僕へのメッセージか。

「あの、なんかミスばっかりで、ほんとにすいません。迷惑かけてばっかりだし。でも、あんまり責められたりしないんでありがたいです。総務課の新人とかすごくしかられったて聞くし」

  少し潤んだ瞳でそんなことを言われるとフォーリンラブ、子持ちの四十男と二十歳そこそこの娘が織り成す愛のセレブレーション、あるいは泥沼の弦楽四重奏が鳴り響いてもおかしくはない。ないのだけれど、気持ちは捨て鉢、気分はもう戦争な僕は残念ながら、あるいは幸か不幸か、欲望の谷に落ちることはない。

「あー大丈夫、もともと期待値低いから」

 冷たく言った瞬間文字どおり彼女は固まって、あっ言ってしまった、なんて思うけど、まあ現実なんてそんなもんです。言葉は放たれ泡と消え、もういい加減疲れきった彼女をより一層疲れさせてしまう。

 もちろん言った本人、つまりは僕は反省してる。なんてこと言っちゃったんだって猛省している。でも、悪気はないんです、わかってくれるかな、わかってくれるよね、わかってよ。頼むよ、ね、お願い。お願いします。そんな風に言いそうになる。っていうか言いたい。言いたくて仕方がない。自分勝手なのは百も承知。二十歳の女に甘えたがってるクズ人間。わかってはいるが、包み隠さず伝えたい。この気持ちをお届けしたい。もちろん、気持ち悪がられるだろう。でも言いたい。包み隠さずさらけ出したい。気持ち悪いとひっぱたかれたい。ぶたれたい。破滅したい。右のほほをぶたれてもいないのに左のほほを突き出したい。どうせクズだ。もう今さらどうだっていい。妻子はいるが、見る前に飛べ。そんな言葉がぐるぐるとまわり、危うく暗黒局面に落ちそうになるが、ここはなんとか踏みとどまる。飛ばない。

「ミスしても、気にせずやってくれていいから、チェックはするし。人間だから間違えるの当たり前だし。安心して仕事してよ。」

 とりあえず、心にも無い言葉でその場を満たしておく。静かな執務室で、彼女がキーボードを叩く音が響く。心なしか、さっきよりもタッチが強い。

そんな時、2階から結構なヴォリュームで奇声が聞こえる。

「シャーオ」

 男性の甲高い雄叫び。しばらくしてもう一度。

 僕としては、

「シャーオ、いいシャウトだ」

くらいしか思わない。統計課のエス(30歳8年目男子)による深夜の恒例行事。風物詩のひとつ。この職場では皆少しづつ壊れてきている。ただ、二年目女子は明らかに気持ち悪がっている。まだ壊れていない証拠だ。二日続けてこんな声を聞かされたらおかしくもなるのが普通だ。ひどいところに就職してしまった、彼女はそんな風に思っているに違いない。でも大丈夫、君は間違ってない。そして君ももうすぐ慣れる。壊れるかどうかは、君次第だ。

「シャーオって、北斗の拳だと、レイだっけ?シン?」と僕。

「さぁ、ジュウザじゃないでしょうか、なんとなく」と彼女。

「ジュウザじゃないだろう、たぶん」

北斗の拳は詳しくないけれど、記憶をたどりながら言葉をつづける。

「ヒューイかも。ていうかヒューイってどんなやつだっけ?」

無論、そんな会話が世紀末近くに生まれた2年目女子とかわされるはずはない。今の会話は私の脳内でかわされたもの。ヒューイってのがいいよね。そんな風に自画自賛する午前1時。どうかしている。

 けど、一昨年まではエスとこんな会話をしながら楽しく仕事していた。これが楽しいかは意見の分かれるところだが、エスの代わりに来た2年目女子がついてこれるはずはない。藤子不二雄が二人だったことも知らない世代だ。漫画に関する小粋な会話をする余裕なんてない。そして、僕の少女漫画の知識は「赤ちゃんと僕」で止まっている。もう僕の引き出しには岡崎京子とさくらももこ、そしてガラスの仮面しか残ってないが、彼女に突撃して大丈夫だろうか。いや、そもそも8年目の変わりが新人ていうのが会社の先行きを暗示している。もう長くはないのかもしれない。これからは自分のことだけを考えることにしようと思う。自己責任を嫌というほど刷り込まれた世代。会社がダメになるのも、会社の自己責任てもんだろう。もう僕らは会社を支えない。この船はもうすぐ沈むはずだ。就職して一安心だなんて気持ちを持ったことなどないけれど、正直もう少し持つと思っていた。けど、案外早くその時が来た見たいだ。時は来た。沈む船から逃げ出すのはドブネズミと相場は決まっているが、果たして美しいんだろうか。

 様子を見にエスの元へ。痩せたエスに僕が聞く。

「さっきのシャーオ、あれ何?」

 エスはキーボードの手を止めて言う。

「えっ、シュー、ですよ。ガンダムがCM入るときにいうでしょ」

「あー、あれね」

言われてみれば、確かにあれだ。

「2回言ったでしょ。あれは、CM入るときと、開けたときですよ」

「確かに」

「てかまだ仕事終わらないんすよねー」

 エスが笑いながら言う。もう2時近いが、終わらないものは仕方ない。笑うしかない。

 邪魔したら悪いので席に戻ると、2年目女子氏はもういなかった。「お先に失礼します。無理しないでくださいね♡」なんてメモが残されているわけもなく、「帰ります」と無機質な文字。エスには悪いが僕も帰ろうと思う。明日もあるし。

 帰宅して、テーブルの上に妻からのメモを見つける。

「赤いバケツに子供の上靴をいれてますから、洗っておいてください。先に寝ます」

お、おぉ、と思わず声にならない声がもれる。そうか、明日土曜日か。学校は休みなんだな。そして僕は仕事なんだね。なるほど。上靴は洗われなければならない。日曜の天気は悪い。だから明日干すのは道理だ。そして明日は朝から僕は仕事で、上靴を洗うのは僕の当番。なるほど帰宅して僕が上靴を洗うのが筋というわけだ。さすが妻。さすがだよ。

 僕は娘の上靴を洗いながら、明日の仕事の段取りに思いを巡らせる。うまくやれば、日曜は休めるかもしれない。休んで仕事が終わるのか不安はあるが、休まないといけない世の中だ。働き方は改革されるみたいだ。改革が上からふってくるなんて、なんて素敵なジャパネスクだろう。美しい。美しいよ。
 上靴用の洗剤は、太陽と反応し汚れを分解する。もう深夜も3時が近い。靴をベランダに干し、月の光にあてる。シャワーで汚れと疲れを洗い流す。そしてこれから泥のように眠る。明日はうまく起きれるだろうか。そんなことを思う余裕もない。突然気絶するように意識を失う。眠りにつく。そんな日が日常で、異常に違いないが、僕たちは飛ばない。いや、飛ぶんだろうか。微睡む余裕も無い中で、革命を誓う。日本の夜明けは近い。

 万事快調。

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