【エッセイ】切れてしまった電球をみて/らりる🦥【2023年5月21日】
こんにちはー!
らりるです。
今日はお出かけの電車内からnoteを書いています。そういえばこの毎日エッセイはipadのキーボードを買ったことを契機に始めたんです。
「労働のための漫画制作」みたいな本を偶然図書館で見つけて読んでいたんですけど、結局読み切れませんでした笑
その本では労働とは別に創作をした方がいいんじゃないか、みたいなことが書かれていました。
創作活動でのらりる自身の問題点
創作において僕は描きたいものがたくさんありすぎたり、全くなかったりするんですが、僕には常に共通した問題点が2つあります。
1つめ、自分が考えた問題点に対する適切なアプローチがわからないこと。例えばポリティカルコレクトネスについての考えみたいなものがあったとします。
絵であればどういう題材を使って描けばいいのかわからないし文字だと直接的すぎるような気がします。
こんな感じでなんとなくのアイデアとか考えみたいなものが引き出しの中に溜まっていっているわけなんです。
昔に引き出しに入れたものは奥に入りすぎてしまっていて取り出すことが難しくなってしまっています。
なのでとにかく思ったことや考えたことをメモし始めたのですが、結局それをこんなふうに表現しようとすると2つ目の問題が出てきます。
2つ目、業務で疲れているのと他のやりたいことに流されて表現の時間が確保できない。
これは社会人の方だったらわかると思うんですが、疲れすぎて趣味に振り分ける時間がないという状況になってしまいました。
創作活動しながら社会人として動かれている方は本当に尊敬します。
自分は大学生の頃ですら創作をあんまりしてきませんでした。
創作活動をしないことで、創作活動で成功している可能性を潰したくなかったのだと思います。もし創作活動をしてそれが失敗すれば僕にはもう何も残っていないのではないかという疑念が大きくなります。
この疑念は自分の精神状態を悪くすることはあれども良くすることはありません。自分が心地良く過ごすために、創作活動から目を逸らしてきました。
このこと自体は去年頃から自覚していましたが、それでもその行動自体を変えることはしてきませんでした。
理由は就職活動、卒業論文と新卒入社という明らかに精神負担が大きい3つの行事があったためです。
精神的に追い詰められると予想できる時期に自分から苦しい創作活動を始める理由がありませんでした。
(ちなみに短編小説や短い文章制作、模写はやっていましたが、新たな表現形式の獲得みたいな大きい創作活動はしていませんでした)
なぜnoteを始めたのか
ではなぜこのタイミングでnoteを始めたのかというと、トイレの電球が切れた時にあることに気づいたからです。
このままみたくないものをみないようにしているのは、短期的には良くても長期的に考えると気分が良くないなということに気がつきました。
そうなると次に考えるのはどのように発信するのかです。僕は三日坊主気質なので黙って1人でコツコツ続けるみたいなことは余程好きで自分が疲れないことでないとできません。
創作活動はどう考えてもバチクソ疲れるので、自分が無理のない範囲になるようにすることと自分がその成果を確認できるようにすることが必要でした。
そのためにnoteの毎日エッセイを始めました。今日はこれまでに比べて長くなってしまったので、今後の予定は明日以降に書きたいと思います。