抑揚を持たない宇都宮誠弥と、彼のモラトリアムな年(14)
作業をしていると「はかどっていますか?」とセオさんに後ろから話しかけられた。セオさんの日本語は流暢だった。
「演技はサナリさん、映像はフーさんが引っ張ってくれているので、はかどっています」宇都宮は振り向いて言った。
セオさんはうなずき「후, 잘 해봐」とフーに言った。フーはモニターを見たままうなずいた。セオさんの口調は強く、バイタリティのあふれる方なのだろうということがよくわかった。そうでないと20人もの生徒を日本まで引率したりしないだろう。
「休憩は各グループで都合のいい時にとってください」とセオさんは言い、別のグループの様子を見に行った。気がつけば四時間が経過していた。はかどっているとは言ったものの、まだ冒頭のシーンしか作っていない。煮詰まってきたので一旦休憩することにした。
みんなで建物の外に出ると、近くに設置された喫煙スペースで、受付にいた丸い印象の女が煙草を吸っていた。宇都宮が会釈すると、丸い女も無言で会釈した。トゥーンはどこで覚えたのか「オツカレサマデス」とぎこちないイントネーションで言うと、丸い女は少し笑って「おつかれさまです」と返した。
休日の食堂は寮生のためにしか開いておらず、アキラ・キタムラから最寄りのファミレスの場所を聞いて向かった。山を切り開いて建てた校舎なのか、車で入って来た道の反対側は斜面になっており、急な階段を上がった。夕方になると肌寒くなってきた。ホールの中に上着を置いてきたことを宇都宮は後悔した。
移動中もサナリとミンソは何やら演技のことを話しており、トゥーンがミンソの様子を気にしていた。さらにその様子をフーと宇都宮は横から見て、にやにやと笑った。フーとはやはり気が合った。
階段を上がりきると目の前は材木置き場で、太い木がピラミッド型に積まれていた。脇に黄色い重機が停まっている。細い道の上を電線が異常にたくさん走っていた。歩いていると、赤い庇で囲まれた卵の自動販売機がぽつんと設置されており、ミンソが「エッグ?」と聞き、サナリが「イエス、エッグ」と答えた。通り過ぎる時、トゥーンもフーも口々に「エッグ?」と言い、みんな興味津々だった。誰も買わなかった。
国道沿いを少し歩くとファミレスがあった。ドアを開けるとメロディアスな入店音が流れ、男の店員がやってきた。「何名様でしょうか」と店員が聞くと、サナリが手をパーの形にして「ファイブ」と答えた。日本語でいいのに、と宇都宮は思った。使用言語がごちゃごちゃになっている。店員は一瞬ぽかんとしたが、「こちらへどうぞ」と窓際の席へ案内してくれた。店内はそれなりに混んでおり、ほとんどが学生っぽい若者で、ドリンクバーを片手にだべっていた。この辺りで他に遊びに行く所などないのだろう。テーブルをはさんで片方のソファに宇都宮とサナリが座り、もう片方にフーとトゥーンとミンソがぎゅうぎゅうに座った。宇都宮はふと気になって「ドゥー、ユー、ハブ、ジャパニーズ、マネー?」とフーに聞いた。フーは「ヤァ」と言い、お札を見せてくれた。
フー達はメニューを見ながら韓国語で話し合っていたが、決まったようで、宇都宮を見てうなずいた。宇都宮はテーブルの隅に置かれたブザーを指して「ザッツ、ブザー、プッシュ。ウェイター、カミング」と言った。ミンソがブザーを押すと、妙にくぐもった呼び出し音が店内に響き、店員が「お決まりでしょうか」と言いながらやってきた。「オォ」とフー達は言った。店員はぽかんとした。
宇都宮はチキン南蛮、サナリはスパゲティを注文した。フー達はメニューを指して、ハンバーグやグラタンを注文した。店員も彼らに日本語が通じないとわかったようで、メニューを指しながら「ライス、セット?」などと聞いていた。最後に宇都宮が人数分のドリンクバーを注文し、「ドリンク、セルフサービス」と言って立った。フー達も立ち上がった。サナリは腕組みをしたまま「マシャ、コーヒー」と言った。
宇都宮がサナリのコーヒーをしぶしぶ注いでいると、トゥーンが隣に来て「ウイ、ハブ、ノー、タイム」と言い、困ったような笑顔を浮かべた。時間が足りないということだろう。「ヤァ」と宇都宮は言った。~しなければならない、は確かマストで合ってたよな、と学生時代の知識をフル動員し「ウイ、マスト、ペースアップ」と宇都宮は答えた。トゥーンがうなずいた。
ご飯を食べながら、宇都宮とサナリは彼らの質問責めにあった。「仕事は何をしているのか」「趣味は何か」「兄弟はいるか」「結婚しているのか」などなど。宇都宮もサナリも、たどたどしいながら英語で答えた。しゃべることに一生懸命で、日本語でやりとりする時よりも素直に言葉が出るのが不思議だった。周りの客がちらちらこっちを見ていたが、気にならなかった。サナリは既婚者だった。マジか、と宇都宮は思った。子どももいるらしい。
支払い時にレジで案の定もたつき、宇都宮は「彼はハンバーグセットの分です」などとフー達と店員の間を取り持った。その役回りがイヤではなかった。
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