北海道日記(15)
(前回までのあらすじ)あごを引きました。
昼の公演は、福谷さんの「終末の予定」と、島田さんの「乗組員」の上演です。「終末の予定」は、世界が終わる、最後の数十分を描いた作品のようでした。ト書きも読む演出だったのですが、上演される際の具体的なイメージの湧くト書きが多く、福谷さんはご自身で演出されたのだろうなあと思いながら見ました。僕はちゃんと演出した作品はまだ1つしかなく、具体的なト書きは、自分には書けません。「笑い」への意志の感じられるやりとりがうまくいき、客席がわいていて、嫉妬しました。「乗組員」で淡々とした台詞を積み上げる演技をしている小島さんと柴田さんと小山さんが、「終末の予定」でははっちゃけていて、ギャップを楽しみました。「終末の予定」も「あなたとのもの語り」と同じく、最初の20分程度の上演だったので、最後まで見たいなあと思いました。
舞台転換中のトークで、前田さんは毎回、リーディング公演をする意味について触れていました。北九州では、北九州芸術劇場が率先してリーディング公演を行っているので、地元の劇団にも浸透し、お客さんにも、比較的違和感なくリーディングという形式で観劇する土壌が出来上がっていると思います。北海道は、俳優のみなさんに聞いた限りでは、北九州ほど頻繁にはリーディング公演は行われていないようでした。前田さんは、リーディング公演のメリットを、主にスケジュールやコストの面を強調してお話されていました。今回は4本の戯曲をリーディング上演しているのですが、4本の作品を、リーディングではなく通常の公演で行おうとした場合、莫大なコストと稽古期間が必要になります。短い稽古期間や台本を持つという制約のため、俳優の細かな演技のニュアンスは消えてしまいますが、今回のように戯曲を紹介する、お披露目の意味では、低コストで行えるリーディングという形式は適しているので、目的に応じてどんどん行ったらいい、というようなことをおっしゃっていました。煮込み料理ではなく、刺身だ、ともおっしゃっていました。
島田さんの「乗組員」を見るのも3回目です。昨日のアフタートークで、僕が「乗組員」の意図を理解できていないことを前田さんから指摘され、その点を気にして見たので、あぁ、そういうことだったのか、と思い、見ることができました(島田さん、重ね重ねすみません)。
舞台作品というのは、自分が関わっている公演でない限り、よほどのことがないと1回しか見ません。理解力・読解力のない僕は、おそらく今までたくさんの誤った解釈をしています。ブルーエゴナクという北九州の団体の、「交互に光る動物」という公演が以前あったのですが、何と何が交互に光っていたのか、僕は未だに理解できていません。でも、おもしろかったのです。作者や演出家の意図を探ろうという意志は持って見ているのですが、つかみ損ねることが大半です。自分が感じたことを自分なりに解釈して楽しむしかないと思っています。本や映像作品であれば、わからない所は戻って何回でも見れるので気にしていませんでしたが、瞬発性のある理解力・読解力っていうは、鍛えられるものなんだろうか、ということを考えました。まあ、考えただけでどうこうするつもりもありません。今後も僕は、誤まった解釈をし続けると思います。そういう目線が、別に嫌いなわけではないのです。
ただ、作者に対しては申し訳ない気持ちになります。島田さんすみません!3回目の「乗組員」も、僕は僕なりに楽しみました!
終演後、アフタートークがありました。メンバーは、前田さんと、島田さんと、出演者のみなさんです。島田さんは、どういうつもりでこのシーンを書いたのか、登場人物は、この時どういう心情だったのかなど、2回目と言うこともあり、前田さんがかなり突っ込んだトークを展開していて、客席もわいていました。夜公演後もアフタートークがあるので、こんなに突っ込んで聞かれるのかと、ちょっとこわくなりました。
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