抑揚を持たない宇都宮誠弥と、彼のモラトリアムな年(11)

広川のインターで降りたはいいものの、「道案内するから」と言った太田は一時間近く前から居眠りしており、インターから大学までの道がわからない。とりあえず備え付けのナビを頼りにそれらしい方向へ車を走らせた。
道幅はせまく、田んぼと、雑草の茂った荒地と、灰色の建物がばかりだった。重そうな雲が増え、空も灰色だった。あとはぽつんぽつんと住宅とビニールハウスと個人商店。のどかである。色あせた選挙の看板と真っ赤なパチンコ屋の看板が隣り合わせに立っていた。背の低いカーブミラーが多く、赤の目玉しかない信号はずっと点滅している。駐車された車の軽トラック率が高い。この一帯はほぼ農家なのだった。国道に出ても一車線しかない。前を走る原付バイクを追い抜くこともままならなかった。こんな田舎にワークショップを受けに来る参加者がどれくらいいるのだろう。

ナビが示す位置に到着しても大学が現れない。同じ道を三回行ったり来たりして、ようやく「Q州O谷大学」の小さな看板を見つけた。看板を曲がり細い道を進むとようやく校舎らしき建物が見えた。駐車場が見当たらず、宇都宮の運転技術ではUターンもできないので、とりあえず細い道を奥へ奥へと進み、校舎の外側をぐるりと周ると、芝生を敷き詰めただだっ広いスペースに出た。これは校庭なのだろうか。芝生敷きの校庭を初めて見た。高速道路のサービスエリアのような風情を醸した建物が校庭に面しており、屋外の木製のテラスにはアルミの丸テーブルとイスが置かれていた。ブリックパックの自動販売機が二機並んでいる。おそらく食堂だろう。校舎とつながっていた。休日なので学生の姿はまばらだった。隅に車が規則的に停められており、どうやら校庭が駐車場も兼ねているようだ。宇都宮は駐車も苦手で、隣の車から一台分あけて停めた。

太田はまだ寝ていたので、ウマのマークのついた太田のカバンを勝手にあさり、チラシを取り出した。チラシには「physical integration」とタイトルが書かれていた。フィジカル インテグレーションである。ルビ振ってるから読めるだろう。太田には集中力がない。副題は「身体とメディアの融合」だった。「体操とパソコンのコミュニケーション」だとかなりダサいが、「身体とメディアの融合」と言うとカッコ良かった。
チラシをひっくり返してウラ面を見ると、太田の先輩らしき人物のプロフィールと写真が載っていた。

[アキラ・キタムラ]
インタラクティブテクノロジーを学び、パフォーマンスへと応用する研究のため、演劇、現代音楽、コンテンポラリーダンスなどとのコラボレーションを多数行い、身体とメディアテクノロジーの関係を探る実験を行っている。Q州O谷大学インタラクションデザイン研究室在籍。佐賀県出身。

写真の人物はものすごく大柄で、体重は軽く100キロを超えていそうだった。
宇都宮にはインタラクティブもコンテンポラリーもちんぷんかんぷんで、何と何を融合させようとしているのかさっぱりわからなかった。あと佐賀出身であることをなぜ最後に強調したのかもわからなかった。が、自分や太田がこのワークショップに参加するのは場違いであろうことは確信した。太田が寝ている間に車を出し、柳川でウナギでも食って帰ろうと思ってエンジンをかけた時、太田のスマホが鳴った。太田が飛び起きた。
「はいっ、ハザマース!」ハザマースは、太田が言うところの「おはようございます」だった。
「ハザマース!ハザマース先輩!……あ、もうそんな時間ですか!……はい、サーセン!……もう始まりますか!……始めますか!はい!……サーセン!……サーセン!……はい、サーセン先輩!」サーセンサーセンうるさかった。
「……サーセン!……今ですか!今……ちょっと、……今ちょっとお待ちください!……今ここどこ?」太田は小声で宇都宮に聞いた。
「大学の駐車場」
「あ、もう、大学です!……はい!駐車場です!……サーセン!すぐ行きます!はい!サーセン!すぐ行きます!はい!すぐです!サーセン!すぐ行きます!はい!サーセン!サーセン!はい!サーセン!すぐです!サーセン!はい!サーセン!はい!サーセン!すぐサーセン!はい!はい!サーセン!はい!サーセン!……えっと駐車場です大学の!サーセン!すぐ行きます!オナシャス!オナシャース!」太田が電話を切った。「おい、先輩、怒ってっから、すぐ行くぞ」
「……あ、うん」
あの写真の人物に怒られたら自分もサーセンサーセン言うだろうなと宇都宮は思った。おとなしく車のエンジンを切った。

この大学にはパフォーミングアーツに関する学科があり、照明、音響、映像などの設備を備えた専用のホールを持っていた。校舎とは別棟になったその建物に入ると、薄暗いロビーに長机と椅子が置かれていて、丸い女が座っていた。そんなに太っているというわけではないのだが、全体的に丸かった。
「ワークショップに申し込まれた方ですか?」
「あ、はい」
「お名前は?」
「太田と宇都宮です」
丸い女は机に置かれた名簿にチェックを入れ、「参加費を徴収いたします」と言った。見た目とちがい、話し方はしゃきっとしていた。太田と宇都宮は14000円ずつ支払った。
「もう始まっております。そちらの廊下をまっすぐ行き、突き当たりがホールです」
「はい」太田がにやにやして言った。にやつくと、右の頬にあるホクロがぐにゃと曲がった。
廊下の壁には、過去にこのホールで行われた公演のポスターや舞台写真が飾れていた。知らない外人の作品が多かった。さすがにシェイクスピアは知っていた。でも作品を見たことはない。窓から先ほどの芝生敷きの校庭が見渡せた。歩きながら太田が「さっきの女の人、丸かったな」と言った。太田も同じことを思っていた。宇都宮はなんだか緊張してきた。やっぱり久留米でラーメンでも食って帰ればよかった。

ホールのドアを開けると、段になった客席なんかがあるのだろうと勝手に想像していたが、そんなものはなく、八角形だか十角形だかのだだっ広い空間だった。壁は黒く、床にはグレーのリノリウムが敷かれている。全体的にシックな色味だ。人が30人くらいいた。けっこういるなと宇都宮は思った。すでに五、六人ずつのグループに分かれており、それぞれ話し合いをしたり、ノートパソコンの画面をながめたりしていた。太田から「パソコン、持ってるなら持って来いよ」と言われていたので、宇都宮もノートパソコンを持参していた。
太田と二人、ホールの隅でぼーっと様子をながめていると、身長が2メートルくらいの大男がこちらに近づいてきた。佐賀県出身のアキラ・キタムラだった。おそらく本名はキタムラアキラだろう。
「遅えよ」
「サーセン」太田が謝った。
アキラ・キタムラは太田を見下ろして威圧した。でも目はつぶらだった。クマを想起させた。太田はサングラスの丸いレンズをぱかっと外してフレームの斜め上に持ち上げ、「かんべんしてくださいよ~」とへらへら笑った。あのサングラス、そんな風になってんだなと宇都宮はどうでもいいことを思った。
「とりあえず、もう始まってるから、どっかのグループに入って。カツキは、あの隅の五人のグループな。君は……」
「あ、宇都宮です」
「宇都宮くんは、ノート持参?」
「あ、はい」
「使えるソフトは?」
「DTPソフトは、一通り扱えますが……」
「あ、そう。動画、作れる?」
「動画?」
「そう動画。映像」
「映像は……、作ったことないです」
「あ、そう」アキラ・キタムラの口癖らしい。「まあいいや、あっちで輪になって座ってるグループに入って」
「あ、はい」
宇都宮はアキラ・キタムラに言われたグループの方に歩いて行った。太田も自分のグループへと散って行った。あんな太田でも、顔見知りのいない所で離ればなれになるのは心細かった。

ホールの天井は高く、体育館のように壁沿いに中二階が設置され、照明機材が置かれていた。点いてはおらず、天井の蛍光灯がホールを照らしていた。多角形になっているため、どのドアから入ってきたのかすぐにわからなくなった。それぞれのグループで何やらディスカッションが始まっており、スピーカーからはマイクをチェックする音が聞こえ、声と音がホール中にわんわんと響いた。照明や音響の機材とコンピュータをつなぐケーブルが無数に床を這っている。一方、寝転がって柔軟体操をする女子もおり、よくわからない空間になっていた。ディスカッションの様子を見回っている講師らしき女性と目が合い、宇都宮は会釈した。女性は宇都宮を見てにこっと微笑んだ。

アキラ・キタムラから指示されたグループは、四人でパイプイスを輪の形に並べて座っていた。ひょろっとした茶髪の男と、太った唇のぶ厚い男と、背が低くて目つきの鋭い女は年下っぽかった。もう一人、キューピーのマヨネーズと同じ髪型の男は年齢不詳だった。バリカンで刈り上げ、頭頂部のみ髪がちょろっと立っていた。自動車の衝突実験で車内に置かれている人形のような身体つきで、姿勢も良く、何かスポーツをしているんだろうなと思った。
「遅れてきた人?」キューピーの男が言った。
「あ、はい、すいません」
「いいよ、まだ何にもやってないから」
「あ、はい」
茶髪の男がパイプイスを出してくれたので、宇都宮はぺこぺこしながらイスに座った。
「自己紹介でもしようか」キューピーの男が言った。
「あ、はい」宇都宮は座ったばかりなのにまた立った。「あ、宇都宮誠弥です。26歳です。会社員です。よろしくお願いします」緊張と照れで、ものすごく早口になった。
まんべんなく他の四人を見ると、キューピーの男以外は無反応だった。小柄の女に至っては宇都宮をにらんでいるように見えた。
「イングリッシュ、プリーズ」太った男が言った。
「……え?」
「プリーズ、イングリッシュ」
「……イングリッシュ?」
「彼ら、日本語通じないから」キューピーの男が言った。
「……え?」
「彼ら、韓国から来た学生」

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