私と映画

明日の予定に映画を入れた
私は映画が好きだ

映画は好きなのはそうなのだけど
映画を見るという行為が好きなのかもしれない

映画の劇場は非現実空間で
現実逃避にはもってこいだし

映画を見るためにスケジュールを立てる
映画の時間に合わせて
どこでランチをして
どこのお店で時間調整をしようとか
映画を見る時に飲む物食べる物を
何にしようかと考えることも楽しい

映画は人の人生のストーリーを
垣間見ることができる
現実に人の人生を感じる方が
リアルなんだろけど
映画でも人間ドラマを体感できる
所詮映画なのかもしれないけれど
されど映画だと思う

主人と映画に行くことも好きだけれど
一人映画が私の基本だと思ってる
映画は私にとって色んな要素がある

楽しみでもある
現実逃避でもある
イベントでもある
それから
精神面の強化でもあるし
ある程度の教養を保つためでもある

専業主婦の私は
特に子供たちも自立して
家事に精を出すだけの日々の中で
家の中に閉じこもっていたら
腐っていってしまう気がする

考えなくてもいいことを考え
どうでもいいことにこだわって

だからあえて外に出かける
映画を見ることを楽しむ

家の中にいる事も好き
家族のために家を整えることも
その合間に刺繍をしたり本を読んだり
そんな時間も大切

私は人と関わるのが苦手だから
友達はいない
いたらいいなと思う事もあるし
今までそれなりに友達と言える人はいたけど
ちゃんと付き合えていたのか…
そもそも自分を作らないと
人とは関われないところがある
友達との関わりは
楽しいと感じる事も多いけれど
面倒な事も多い

あの人がどうだとかの悪口も嫌だし
それに乗れない私は嫌われる
上辺の付き合いが下手くそなのだと思う

普通に人と関わることが難しい

きっと人と違うから
何をしてあげたら喜ぶのか
何をしたら嫌なのか
その感覚が違うから
結局悩んでばかりになってしまう
それが苦痛なのだ

だから私は一人が好き
でも一人は楽だけれど
学びも成長も少ない
人は人の中で生きているものだから
孤立してしまうと
頭の中も凝り固まってしまう気がする

運良くなのか
私は子供の頃からの夢であった
専業主婦になれて
こんな自由な時間を手にしいる

主人が仕事の時に
こっそりと一人映画に行くのは
少し罪悪感があるけれど…

私にとっては大切な時間だと思う
それは映画だけではなくて
一人でちゃんと依存だけでなく
個の私として
精神的な自立をしていたいから
これからもソロ活を
楽しんで
学びや成長のための行動をしていきたい

だけど今日予約している映画は
見ないことになった

急遽お嫁さんと孫が遊びにきてくれるらしい
私は今映画よりも
お嫁さんが来てくれることの方が
大切なんだって思った

やっぱり私は
自己満足的になるんだろうけど
行ってもいいですか?とか
子供を見てもらってもいいですか?とか
そうゆう時
いつでもおいでよと
いつでも見てあげるよと
そうゆうスタンスでいたい
いい人でありたいというより
そうゆう場所を作りたい
そうゆう場所があるということで
安心をあげたいという気持ちなのだ
ただの自己満だとわかっているし
誰も求めてもないのかもしれないけれど

これもやっぱり
私の階段の上で泣いたあの
幼い頃の私の為になってしまうのかもしれない
そこに繋げてるのは
私なのかもしれないけれど
結局そうゆう選択をしてしまうのは
そうゆうことなんだと思う

私が大切だと思う人たちには
私があの階段の上で泣いた
あの感情を1ミリたりとも
感じてほしくないと思ってしまう

それがもしかしたら
私の生きる原動力
のようなものなのかもしれない

だから私は映画を見る
あるべき姿や普通を探す

結局私は所詮
幸せボケの専業主婦なのかもしれない

だったらいいな

それならこの苦しみが
ただの幻想に変わるのに

イヤ幻想なのかもしれない

映画はそんなくだらない思いも
どうでもよくしてくれる
きっとね…

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