結局たどり着く場所

全部を投げ捨ててしまえたら
どんなに楽になるんだろうってね
何度想像したってね
それは結局幻で

幻だから意味があって
幻だから手にしてみたくなる

対峙するたびに強くなるなんて事はウソで
まるで赤身丸出しの皮膚のように
小さな事が痛みなったりすることある

だけどそれも全部
そう思えばっていう思考

自分の思いを捉え方を
変えることができたなら
感情をコントロールして
楽を手にすることができるんだってね

それができない理由もわかってる

きっとね
私はそんな人間くさい人間ドラマが好きで
体感していたんだと思う

悲しみも苦しみもあったから
今があるってそう思うからこそ
ただ簡単に楽を手にすることを
逆に難しくしてるって

楽しいやワクワクだけじゃね
つまらないんじゃないかって
そう思っているうちは
ここから抜け出せない

心がズンとしずまった時
何かが生まれてくる感覚がある

ここが私の場所なんだみたいな
懐かしささえ覚えてしまう

ずっとその場所で
私は泣いていた

その代わりに
幸せにならなくてもいいという
安らぎを手にする

不幸であることで
幸せになれないことを肯定してしまう

ネガティブを利用して
楽になる方法を選択していただけ

ポジティブの中は痛かったから

だけど本当の私は
きっとね
幸せになりたかった

それは私が幸せだとそう感じることよりも
誰かに幸せそうだねと言われるような
そんな幸せを求めてた

誰かに認めて欲しかった
見せかけでもいいから
幸せそうだねって

本当は誰かから見て
幸せそうに見えなくても
私が幸せなら
そう感じているのなら
それでよかったのに

どうしてもそれじゃ意味がないような気がした

小さなかわいい花を
道端で見つけた瞬間や
空を見上げた時
透き通る青と白の広がる雲を感じた時
私は幸せだった

なによりも幸せだった
裏切りのないそんな幸せ

春の匂いがした時
あなたが笑った時
心が温かくなる瞬間

私は幸せだったのに

それは誰にも幸せそうだねなんて
言われる事はなくて
むしろそんな事を幸せだと言うことを
否定されてしまうことが辛かった

幸せは誰のためにあるの?

ポジティブの中で笑うことよりも
ネガティブな中で泣くことほうが
楽になってしまったのは
本当の自分を否定していたからだろうね

親の価値観の中で生きることを
しなくてもいいって
ちゃんとそう思えたのは
もうずいぶんと大人になって
つい最近のことなのかもしれない

私が感じる幸せを大切にしてもいい
それは違うよって言われてもいい

誰かのためじゃない

私は私のために
私の大切な人のために
生きていたい

お父さんとお母さんのためじゃあなくて
私は私を生きてもいいよね

今までずっと
お父さんとお母さんのために生きてきた
あなた達のために私は存在していた
そんな気がする

本当の気持ちを
今だにあなた達には言えない

超えたと思っていたけど
諦めだったのかな…

心が支配されていることに
変わりはないのかもしれないけど

そのままで終わりたくはないんだよ

逃げることは解決になる?

分かり合うことが不可能ならば
逃げてもいい?

あなた達の価値観の幸せを
私はもとめなくてもいい?

私は私の幸せを感じていてもいい?

お父さんとお母さんに
あなたは幸せだねって言われなくても
私は私の感じる幸せの中で笑っていたい

それは不可能なのかな…

私にとっての幸福や
私目線の気持ちを
わかってもらうことが
こんなにも難しくて、不可能だなんてね

それを望んでいるつもりもないのにね
心が勝手に反応してしまう

結局そこにたどり着いてしまうのかって落胆を
何度繰り返せば終わるんだろうね


私は私の幸せを感じていたい

青の空の中
暮れる夕日

大切な人の笑顔

抱きしめた今日の空気
諦めと悲しみは
昨日に置いたままで

今日は笑おう

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