頑張って当然vs報われたさ

私は頑張ってる。
仕事、家事、育児、自己研鑽。
仕事ならお給料もらってる限り頑張って当然。
生きていくなら家事はやって当然。
自分が親なら育児を頑張って当然。
自分の心を保つため、自分の未来のために自分を磨いて当然。

やって当然なので、やりがいとかモチベーションとか報酬の有無以前に、そもそもやらないわけにはいかないことばかり。
そんなことはわかってるのにもっと報われたい。

ここでいう報われたさはなんだ。
誰かに褒められたい。もっとお金が欲しい。休憩したい。楽しい時間が欲しい。何かもらいたい。好かれたい。とかか。

やって当然なことに、この報われたさが忍び寄ってくるから、頑張りに対する精神的負荷が増える。いつか報われたいがモチベーションになってるけど、やって当然なことに報酬はずっと来ない。
とっとと悟り開いて頑張るマシーンになってしまいたい。解脱、解脱!

たぶん、みんなも頑張ってる。
みんなも報われたいんだろうし、あんま報われてないんだろうなとなんとなく思う。勝手な世の中に向けた印象。生来のネガティブ由来。
厳密には、報われてないわけではないけど、自分が欲しい報われ方をしてないから、足りないんだろうな誰かも私も。もっと欲しくなってしまっただけだろうな。

だから、自分を報ってやるか。
おい、何がほしいんだお前は。

いいなと思ったら応援しよう!