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raraの手元でいつまでも

シングルマザーさんの 家庭だから
ネクタイが無い

たまたま raraに ネクタイが必要になった!と
母から その話しを聞いて 
「あーそれなら あげられるよ!
お気に入りの中で
raraに似合いそうなのが有るから 何本か送るよ!
ネクタイピンは 確か 楽器のピンが売ってるから
本人に選ばせてあげよう!」
ネクタイだけは 先行して お気に入りの中でも
raraに似合いそうな ピンクとグリーン 2色
それぞれ基調のを選び 送った

そして 楽器のネクタイピンを 選ばせてあげて
すぐに 追っかけ注文した

「可愛いネクタイありがとう
大事にするね!」
返事が来たけれど それほど 頻繁には
使わない筈で 演奏会の衣装替えでしか
締めることのない ネクタイだから
きっと いつまでも 綺麗なままで 保存されるの
だろうな・・・

そんなことさえ
わたしが いなくなったときに
想い出として 記憶の中から 蘇るだろうか?

一年の中で ほぼ年齢が近い 有名人さんの訃報に接するとき やっぱり わたし自身の 
じぶん勝手な「お節介」が いつまで続けられるだろう?
そのことが 脳裏に浮かび 落胆する

一つ一つ 一回一回
わたしがすることは「忘れて!」
伝える気持ちに 嘘はない
所詮 高齢者の端くれでしかない わたしだから
いつか かならず 形あるものだけが
想い出になるんだな・・・

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