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先日、映画のjokerの続編を観てきました。

個人的にはあまり好きではなかった。前作が素晴らし過ぎて期待をし過ぎたのもある。

jokerとアーサー。アーサーとjoker。

そこに着目してもう一度観るのも面白いかな、と思ったり。

 
誰もが自分の中に様々な顔を持っている。

職場での顔、家族に見せる顔、自分一人の時の顔。性的な時の顔。

どれもひっくるめて自分。

SMはそこがなかなか興味深い。

私はプレイの時の月麗の顔と、プライベートの自分の顔を完全に切り離している訳ではない。
私、と言う人格の中のSの部分を最大限に引き出してプレイをする。

でもマゾによっては

完全に別人格でありたい、と言う人も一定数いる。

一度の人生で別の人格を生きる。それはとても危険な遊び。

そこをうまく誘導しながら別世界の時間を過ごす。
終わりとともに現実の世界に戻してあげないといけない。
元の姿に戻して現実世界に戻すところまでがプレイだ。

その時間だけがプレイではなく
その後の彼らの人生のことも考えてプレイをする。

とても重要なことのひとつ。

現実逃避は快楽への道。でもいつかは現実に戻る時をどこかで理解している。

現実は厳しくも痛い世界。

だからこそ、非日常が快楽であり快感であり現実逃避の世界。

非日常が現実とひっくり返る時が来たらそこにはもう楽しみと快楽が存在しなくなっている。

私はその非日常を提供出来るように、そしてこの女性にな全てをさらけ出したい、と思われる様な存在でいなければ、と常に思っている。

個人的にはオラオラして怒鳴ったりするのは好きではなくてそして綺麗な言葉の中にエロスが存在してると思っている。

威張り散らして命令するのが女王様、ではない。

慈悲と尊敬。

ここに女王様としての存在意義があるのかな、と。

私の主観だけれど、自分のマゾとしての罪を赦されたい気持ちがどこかにあって
それを全て肯定して受け入れてくれる場所を探している。

だからといってずっと褒めて欲しい訳ではなく責められながらも肯定されることに興奮を感じるのではないだろうか。

マゾについて語ると終わりがないので、また今度。

貴方の中に眠っている顔は?自分に問いかけてみて。





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