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俺に挑む人生、挑戦するオレ 後編

それまで、自分自身は育児の疲れによるノイローゼ的な精神疾患であると信じて疑わなかったのですが、私はあることに気づいたのです。
私は、自画自賛ですが、本当に自分は優しい人間で、自分を傷つけたり、医師に怒号を浴びせるような人柄ではないと思っていました。つまり、「こんなのは自分じゃない、これは病気ではなく、何か悪い霊に取り憑かれているのではないか」と考えるようになりました。

折しも、私の住んでいた団地界隈では様々な怪現象、怪事件があったことを思い出したり、見つけたりしたのです。

ひとつは、同じ時期の少し前に私と妻が子供をつれて公園に散歩に行った時のことでした。ベンチで日光浴をしていると、ある木に目が止まりました。
なんと、その木には少女を象ったフランス人形が、上の枝から首を吊る形でぶら下げられていたのです。私達は気持ち悪くなって、私はすぐに役所に電話をして、「誰のいたずらかしらないが、外してほしい。」とお願いしました。

また、別の日には、同じ団地の別の部屋からミイラ化した白骨死体が見つかってニュースになったり、サラリーマンらしき男性が飛び降り自殺をしたりと悪いニュースが色々と飛び込んで来たのです。

妻とそのことを話し合うと、妻の知り合いの知り合いに除霊的なことができる人が、どうやらいるらしい、とのことで、早速連絡を取ってもらい、家に来てもらいました。いわゆる除霊師さんのような和風な感じではなく、どちらかというと占い師のような洋風な感じではありましたが、ともかくその方にお祓いといって良いのか、儀式のようなことをやっていただき、しばらく様子をみました。しかし、それまでになんとなく感じていた、体全体に染み渡る、すごくどんよりとした重たい感覚が、なくなることはありませんでした。
結局、この手の商売によくある、大金をボラれたり、除霊グッズを買わされるようなことはありませんでしたが、心がすっきり晴れ渡ることもなかったです。しかし、すでに私の中では原因は霊にありと、その一点を信じて次の作戦に移ります。
私自身、この一連の事象とは関係なく、普段から朝のルーティーンとして、般若心経を唱えていたので、これを機に新たな経を覚え、自己浄霊することにしたのです。毎日自分に対して喝を入れ、経を唱え、水のシャワーを浴びたりしました。すると、その直後は、なんとなくすっきりしたような感覚になりました。でも、どことなくどんよりとしたあの心の重苦しい状態というのはなかなか取り除けなかったのです。

霊だろうが迎え討つ

私は水のシャワーではだめだ、と思い、次に滝行を検索しました。兵庫県では、法華寺というところが有名らしく、私はそこを選び、早速予約を入れました。季節は11月とまだ、寒いと言うには少し早い時期でしたが、まあまあ、多少の気合は入れれるだろうと人生初の滝行に臨みました。

山の上へ行くと、平地よりかは若干涼しく、長袖、上着は必須という気温でした。予約の際、電話に出ていただいた住職に迎えられ、滝行の段取りを教わり、すぐに滝の方へと向かいました。滝はそれほど大きなものではなく、身長よりやや高めのところに石が屋根のような感じであり、その更に上方から流れ落ちてくる水がその屋根を伝って降り注いでいました。水の量も初心者には程よい感じで、手で水に触れてみると結構な冷たさでしたので、「これはいい!」と思い、気合を入れて、いざ滝の中へ。

私は、手を合わせ、あらゆる邪気を振り払わんとする気持ちで一心不乱に経を唱えました。上からは止めどなく冷水が体を打ち付けて、体と心が一気に浄化されていく感じです。観音経、般若心経などいくつかの経を唱え、時間にして10~15分だったでしょうか、実際滝に打たれている間は時間など気にする間もなく、終わってみればあっという間でしたが、とにかく自分で納得の行く自己浄化は出来た感じでした。
終了後は着替えて、住職と悩み事についてのお話だったのですが、色々と今回の件もお話させていただいたのですが、オチとしては、私の毎朝の読経が良くなかったんじゃないか、とのこと。確かに私は出家した経験もなく、お経は独学で覚え、唱え方など特に勉強もせずになんとなくでやっていたので、よくなかったのかもしれません。

私はオリジナルの読経をしばしやめることにして、その後、私たち夫婦は、少し離れた町に家を購入し引っ越しました。地場の霊だったのか、引っ越してからは、私の精神状態も正常に戻り、今では家族全員快適に暮らしています。

しかし、滝行の爽快感は本当に素晴らしかった。
挑戦してよかったと思います。
次回はもっと寒い1月とか2月に行こうかと目下計画中です。

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