1人でも堂々とするには?
現在大学でぼっちを極めていますが、一人で堂々とすることはとても難しいことだと感じていませんか。ぼっちのような状況になった時、周りから「あの人1人だよ」とか「かわいそう」と思われているのではないかと考えてしまい恥ずかしくなってしまうことがある人は少なくないと思います。小学から今現在に至るまで何回かそのような思いをよく抱いてきた人間でしたが、大学後期も始まった今、とても遅いですがようやく堂々と行動できるようになってきたように思えます。それがなぜなのか、恥ずかしかった理由も含めて考えてみました。
ぼっちを恥ずかしいと思う原因
ぼっちを恥ずかしいと感じるきっかけを遡ってみたところ小学生の頃にもうすでにあったと思いました。小学校の頃、私は今と違って外で遊ぶことは好きで休み時間になればケイドロや鬼ごっこ等をしに友達と遊びに行ってました。そこにいつも教室で本を読んでいて一人のおとなしめな子がいて、その当時の私はその子をつまらなさそうだと思っていました。無神経な子供だったのでストレートにつまらなくないの?とか休み時間の遊びに誘ったり失礼なことを言ったこともありました。これは後に自分を苦しめる呪いとなります。
それから時は流れて小学校4年生頃、詳細なきっかけは忘れましたが当時仲良くしていた友達らと喧嘩をしてしまいました。そのときに体育があってペア分けがあったのですが、喧嘩をしたので意地を張って離れるとその友達らは別の子と組みました。先生が余っている人はいますか?らしきことを聞き、その本を読んでいた大人しい子と組みました。この状況がしばらく続き、その際とても恥ずかしくて泣きそうでした。その当時は友達に裏切られた怒りとかそういう気持ちにしか目を向けていませんでしたが、なによりも自分自身がその状況にいる己のことを"かわいそう"などと思っていたことが原因だったと今更ながら思います。そう、ぼっちを恥ずかしいと思う原因、それは自分自身がぼっちであることを恥ずかしいと思っているからです。
ぼっちにならないように周りに合わせるのは悪い事なのか?合わせないことが正解なのか?
それから中学高校とそれはもうぼっちを恐れて行動していました。中学の時私には、1つは成績が良くオタクで人目を気にせず1人でも堂々としていて過度に群れず自分の世界を持っていて場を壊しても嫌なことは嫌と言えるタイプ、そしてもう1つはオタクだけど緩いオタクでその場では周りの空気を読んで周りに流され二人や少人数のときに本音を言い合うタイプの2種類のタイプの友達がいました。私はオタクでもオタクになりきれないなんちゃってオタクだったり、とにかく周りに流され人の目を気にするタイプだったので前者のタイプの友達を尊敬して好きではあったもののもっと周りに合わせたり人の目を気にしたらいいのに、、もうちょっと空気読んでほしいなぁ〜、、とか暗い感情を抱くこともあり後者のタイプの友達との方がより仲良くしていました。性格がすこぶる悪いです。
高校受験、私は自分で言うのはアホですが中学で成績は良いほうだったので偏差値が上らへんの高校を勧められたのですが、なんと後者の友達がそっちに進学するからという理由で中の中の高校へ進学しました。
今ではこの選択を主体性が無く、とても情けない行動だと思います。が、当時の私はその子達がいるところじゃないとひとりになっちゃう!とか思っていて…本当に馬鹿です。
1人でも気にしない成績がいいタイプの先程の説明した前者の友達と同じところに行ってもあの人達は群れないし、おそらく青春しないしつまらないとかくだらないことを思って同じ高校に行かないでおこうと思っていました。
こうして友達に合わせて高校に入学し、高校では案の定、その主体性がない心持ちも要因の1つとなり周りに振り回され波乱万丈な学生生活を送り今の大学に進学しました。
大学でぼっちで行動を取るようになり、自らの興味のある授業を選択すること、自らの考えで昼食を選び買うこと、自らの意志で次にどこに行くかを考えることをするようになり、あれほど恥ずかしいとか寂しいとか思っていたぼっち行動が一言で言えば「なんかとても楽だなぁ〜」と感じました。ペアワークは覚悟はいりますが、中学高校に比べ圧倒的に少なめです。
ぼっちになりたくないからという理由で、些細な選択や果てには自分の進路に関わることですら人に合わせていた過去の自分が窮屈な状況にいたことに気づきました。過去の私のような愚かな行動を取る人がいるのかは分かりませんが、もしいるのならば人の目やぼっちを恐れて"合わせる"という行動はとても窮屈で退屈でたとえ1人になったとしても自分の考えで行動するということはとっても楽だということを伝えておきます。過去の自分のような方にはぜひ今は狭い世界で生きているけれど案外1人行動をしてみても全然大丈夫で悪くないしむしろ楽かもよ、と伝えたいです。
そしてこれは発見なのですが自分の考えと意志で自分のことを決めるということは自信にも繋がります。私は前期を無事に乗り切りアルバイトも始めましたが、1人で選択し1人で試行錯誤し1人でそれを達成できたときそれはもう紛れもなく自分自身のおかげであり、誰かに合わせていては得られない自信を得れます。もうそんなことに気づいている人なんてたくさんいるかもしれませんが、私にとってはとても感動したことでした。なおさらハキハキ喋れるようになったと思います。
周りに合わせないでいて友達はできるのか
これが大きな疑問です。私が今いる友達は高校や中学からの人で私が周りに合わせていた頃に出来た友達であり、、問への結論としてわからないです。周りに合わせないの定義は、自分の思ったこと考えたことを素直に選択し行動し言えるという認識でいます。なので、そうなると素直に生きていて友達ができるにはありのままの自分がよほど素敵でないと友達ができないのかもしれないと思っています。なので今は自分の内面磨きをやっています。
1人でも堂々とするマインドは何
これまでのことを踏まえて、1人で自分自身で考え選択することは楽で自信のつくことであり、そしていつかそのままで生きていてそのままの自分と合うような人と友達になれたらいいなぐらいの気軽さで行動していれば自然と堂々となると思いました。そしてなにより1人で行動することなんて何も恥ずかしいことじゃないことを自分自身が心から実感することが一番大切なことだと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。