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アートを買う

先週銀座の奥野ビル(旧式の手動のエレベーターがあるステキなビルで画廊がたくさん入っている)5階のギャラリーナユタに行った。


ー工房集セレクション展 もうすぐ春ですね(3月4日まで、水曜休廊)

を見てきた。


障害者施設の工房の3人による展覧会。

どの作品も熱のこもったステキな作品。

思わず一点購入してしまった。

あべみゆきさんの小さい丸い作品、小さいので少し安い、というのもあるけれど、大きさも価格も関係なくその作品に魅入られてしまった。

みいられる、とは、見入られる、と書けそうなくらい、作品の方が私を呼んだ感じ。

価格15000円は、でも、安いと思う。
唯一無二の作品だから。


ところで、

自分が何点自分以外の作品を持っているのか数えてみた。

私が自腹で購入した作品は今度のを入れて30点。

そのほかに物々交換(私の作品と交換)したものや母が買ったのをもらったもの、作品を買った時におまけにつけてもらったものなどが10点ほどあった。

そのほかに自分の作品も結構飾っているので、我が家の壁はアートだらけだ。

お蔵に入れてしまってるのはほんのわずか。

どこかしらの壁に飾って見られるようにしている。

私は今は少ない収入で質素な暮らしをしている。

去年と一昨年と家のメンテナンスに高額な費用がかかって少ない貯金が半減してしまった。

なので、もうアートを買うのはやめようと、随分前に心に誓っていたので、今回も一瞬躊躇はした。

でも、

この前、自分の展示に伴ったイベントでアートを身近にという話をした時に、自分が喋った言葉を思い出してしまったのだ。

>前にアートを家に飾ってみてください、という活動をした時に、よく言われた言葉に、うちはアートを飾るような家じゃない、とか、アートを飾る余裕はない、というのがありました。
でも、それは逆なんじゃないかな、と思うんです。
アートも飾らないような生活をしているから余裕ができない、むしろ、アートを飾る生活をすることで余裕ができるんじゃないか、と。

自分で言ったことには責任を持とう!と購入することにした。

今の日本は物質的な豊かさは十分行き渡っている。

水道をひねればきれいな水が出るし、お料理をするのも、お風呂もスイッチひとつで火がつく。
お店に行けば大体のものは買えるし、コンビニが近くにあれば夜中にだって食べ物も飲み物も調達できる。

基本不自由のない生活をしているのにああ自分は豊かだなあ、と感じる人はあまりいない。

それは、なぜかと言ったら、心が貧しい、さみしい、からじゃないだろうか?

うちはアートを飾るような家じゃない、というような人も、結構高級なお店で食事をしたり、ブランドのお財布を持っていたりする。車はいい車だったり・・・。

決してお金がないわけじゃない。

でもアートに払うお金はない、と思っている。

それはなぜか?

アートは生活には不要なもの、庶民は手を出すべきではない贅沢品と思われているからじゃないか?

でも、実際に私は若い頃からずっとアートを買い続けているけれど、むしろ、アートと共に暮らしているからこそ、”贅沢な物”を必要としないで済んできた気がする。

アート以外は至って質素に暮らしていても十分豊かさを感じることができる。
アートは高いというイメージはあるかもしれないけれど、ほとんどがひとケタ万円だ。
総額にしても安い車一台にもならないと思う。40年ほどの総額だ。

第一、自分の気に入った作品に囲まれている暮らしはとても居心地がいい。

日本も最近はようやくアート作品を買える機会が増えているように思う。

小さな作品でもいいから大量生産品ではない、アーティストの作品をひとつ、自分の空間において見てほしい。


「うちはアートを飾るような家ではない」「アートを買う余裕はない」というような方々も、人気の美術展に行くと帰りにミュージアムショップで絵葉書だのポスターだのを買って帰ったりはすることも多いと思う。

でも、そういう印刷物はどこまで行っても作品の写真であって、作品の影程の意味もない。

記念に、というのはわからなくもないし、私も忘れないために絵葉書はよく買うけれど、有名な作品の絵葉書よりも、有名でない人でも本物の作品の方がはるかにエネルギーは高いし、実際に自分や自分の空間への寄与は大きい。
value for moneyということで言っても、そういう印刷物はやがて色褪せるけれど、本物のアートは劣化しない。良い作品ほど劣化するどころか時間と共に輝きを増しさえする。

これは実際に自腹で買って見ないとわからないことだと思う。

アートを買う、ということをまだ未体験の方はぜひ体験して見てほしいと思う。







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