田中一村展を見て気がついたこと〜20世紀の画聖
田中一村の展覧会に触発されて改めて日本の絵画の伝統について自分なりに整理をしたいと書いています。
ここまで書いたものを挙げておきます。
日本の美術は西洋の多くの画家に影響を与えています。
特にゴッホは日本の美術に熱烈な憧れを持って、広重の浮世絵を模写したり、梅の木に似せたアーモンドの花の木を描いたりしています。
ゴッホは日本の浮世絵の影響を受けて情熱的で表現主義的な絵を描いた、と言われる事がありますが、私はちょっと違うと思うのです。
私が20代半ばの頃、アムステルダムのゴッホ美術館に行きました。
その時はゴッホの作品が時系列に展示されていました。
それをみていたらゴッホがいかに日本の美術を研究し、日本の絵の持つ要素を自分の絵に取り込もうと苦心していたかがわかったのでした。
情熱に任せたような要素は感じられず、むしろ研究に研究を重ねた、という印象です。
空にぐるぐる渦巻があったり、糸杉が燃えるような形をしていたりするのは情熱の表現ではなく、木や空気が持つ目に見えない要素を視覚的に描いたのではないでしょうか?
まあ、これは私の推測でしかありませんが・・・。
でも、日本の浮世絵の影響がゴッホにそういう絵を描かせたのは事実です。
それは、でも、たまたま、でもないと思うのです。
浮世絵の絵師たちは見るものにインパクトを与える気魄で描いていたでしょうから。
ところで、松尾芭蕉が「松のことは松に習え、竹のことは竹に習え。」と言ったそうです。
これはただ、対象をよく観察しなさい、というだけにとどまらぬ話です。
観察だけなら、忠実に写生をすればいい、ということになりますが、芭蕉の言葉はもう少し奥が深いと思います。
我がある限りは対象と自分の間に隔たりができる。
対象そのものになり切るためには我をなくさなければならない、そうして初めてそのものを表現できるようになる。
西洋の美術との最大の違いはここにあるかもしれません。
個人を大事にし、対象と自分をはっきり区別することを第一とする西洋の考え方とこれは真逆になります。
ただ、日本の我をなくす、ということは没個性的であることではありません。
この話は私には手に余るのでこれ以上突っ込みませんが。
私が田中一村の植物や鳥を描いた作品を見て一番に思ったのは、どの作品もそのモチーフの視覚的な特色だけではなく、まるでそのものがそこにあるが如く描かれている、ということです。
視覚から見える以上のものです。
だから、絵の中に直接光を見たり、桜の葉の香りが蘇ったりしたのではないかと思います。
よく写実的な作品の静物など、さわれそうなリアルさ、というのがありますが、そういう物質的なこととは別です。
日本には古来から江戸時代までは万物には魂が宿ると信じられてきました。
その意味での存在感でしょうか?
大きなイチョウを描けばそこに木の精がいるような、鳥を描けばその命がそこにあるような・・・。
大きな椿の絵は花々がおしゃべりをし・・・。
枯れ葉の図では秋の陽射しと枯れ草の匂いがする。
気を描く、生命感を描く、魂を描く、それが日本の伝統的な絵画の中で伝えられてきた真髄なのではないか、と私は思うのです。
(私が書いているのは全ての古典的な日本画についてではありません。ただ様式だけを踏襲して生命感に乏しい作品も多くありますから)
我をなくすというのは仏教の影響はあると思いますが、それだけでもないかもしれません。もともとあるもの全てに魂がありそれを尊重する、という文化です。自然とともに生きることに価値を高く置いた文化の上に仏教が結びついて我をなくすことに価値を置くようになった文化なのではないかと思うのです。
我を離れて自然と一体となるのは、日本においては一つの理想でもあったのではないでしょうか?
絵描きにしても、エゴを離れて対象と一体となって「画聖」になることが究極であるのかもしれません。
田中一村展を見て彼の人物像には強烈な自我意識を感じます。
だから彼が忘我の境地で絵を描いていたとは言い難いのかもしれません。
それでも、多くの絵から受ける私の印象は、描いている対象と絵描きの間に何もない状態、何も挟まっていないストレートさ、を感じるのです。
そして、たくさんの挫折と困難に遭ってもなお描きたい、逆にそれらがフィルターの役目をして、ただただいい作品を残したいという意識だけが残ったのかもしれません。
20世紀という物質主義が発展する時代に、その流れから離れて、ひたむきに絵を追い続けた、やっぱり彼は画聖と呼ぶにふさわしい絵描きだったのではないか、と思います。