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親の考える幸せの道を歩むことだけが自分の幸せではないと気づいた話。
”親の幸せは子が幸せでいてくれること”
実によく聞く話で、私の母ももれなく同じことを私に言って聞かせていた。
でも最近、母の考える幸せと私の考える幸せに相違があることに気がついた。
私の母の言う幸せというのは「苦労せず安定した会社で”普通”の人生を生きてほしい」という願いが込められている。だが時にその願いは子である私の創造性を阻んでいるのだ。
夢の実現は苦労することもある。しんどいこともある。諦めたくなって、それでも諦められなくて、悔しい思いをしながら生きていく。この生活こそが私の幸せなのだ。夢があって、それを追いかけている現状が幸せなのだ。
母からすると今の私は幸せの状態とは程遠いだろう。
ベンチャー企業で精神を病みながら自分のやりたかったことを次々とやっているなんて。
でも私は、やりたいことを言えないまま、モヤモヤをかかえたまま通勤通学していた時より数段幸せだと感じている。生を実感している。
今はまだこのジェットコースターを楽しんでいたい。
もちろん育ててくれたことには心から感謝してるし、尊敬もしている。
でもだからといって、母の考える幸せを追い求めて生きるのは私には合っていなかった。
私は私で勝手に幸せになるからさ、母は母の幸せを見つけておくれや。母と子ではあるが、別の個体だからさ。非常時以外は他人事ぐらいで案外ちょうどいいのかもしれない。
そんなことを考えながらまどろんでいると、実家で柔らかな日差しの中、猫と無邪気に遊ぶ自分の姿が見えた。
「こうやって世界中飛び回って、急に暇見つけて実家帰って来れるこの瞬間が幸せなんだよねぇ。」
そう母に言って、母は笑っていた。
なんだか急に柔らかい雰囲気になってしまったが、肩に力が入っているからこそ力が抜けた時に幸せを実感できるのではと思った。もちろん肩に力が入っている自分も大好きで、誇りに思っていて。でもだからこそ、ふっと力が抜けた瞬間に全部手に入っていることに気がつけたりするんじゃないかと。
これからの生活はもっともっと楽しいものになっていく。
自分でも動いて、周囲から与えてもらえるものにも俊敏に反応して。
はぁー!楽しみだ!!