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マスヤゲストハウスでの日々

2015年秋、私は東京日本橋から中山道を歩いていた。平坦な関東平野を過ぎ、碓氷峠の急坂の登ると長野県に入る。

11月13日、金曜日。中山道随一の難所といわれる和田峠に差し掛かる。峠の先には下諏訪宿がある。けもの道のような旧街道の坂を登りながら私は、スマホでその日に泊まる宿を探していた。
下諏訪は現在も温泉街なので泊まる場所に困ることはないはずだ。ただ、できれば宿泊料金を抑えられるところがいい。諏訪湖畔にはネットカフェがあるようなので、そこでも構わない。

そんな中で見つけたのが「マスヤゲストハウス」だった。
ドミトリーが何のことかよくわからなかったし、ネットカフェに比べると若干高い。けれど古い旅館を改装した良さげな雰囲気だし、中山道筋からすぐのところだしいいだろう。そういう訳で予約の電話を入れた。

この日は25㎞という長い行程を歩かなければならなかったので、朝6時くらいには前泊宿を出た。道端に掲げてある「熊出没注意!」の看板にビクビクしながら峠道を歩き、下諏訪に近づくころには薄暗くなってきていた。諏訪大社下社秋宮がみえたところでこの日の行程を切り上げ宿に向かう。

最初は場所がいまいちわからなかった。
同じ道を何度か行ったり来たりして、なんとか門の前にたどり着く。薄暗い中にたたずむ赤レンガの立派な壁とどっしりと構える門に、最初は少し圧倒されてしまう。
こういう時にネットカフェは気が楽なんだよな…なんて考えが一瞬頭をよぎる。恐る恐る門をくぐると、建物の中で暖かい明かりが灯っていて、ゆったりした感じの女性スタッフの方が中へ案内してくれた。

チェックインをして、ドミトリーで居合わせた宿泊者の人と挨拶をかわして、荷物を整理してベッドメイキングをして、確かそんな感じだったと思うが記憶が定かでない。恐らくそのあとも、スタッフに紹介もらった銭湯で歩き疲れた体を休めて、どこかしら周辺のお店で食事をしたと思うが、やっぱり覚えていない。

印象的だったのはその日、一緒に泊まっていたお客さんの中に、中山道を以前歩いたという人と、下諏訪町の町会議員か何かで、中山道の整備などをしている人がいたことだった。お酒を飲みながらこれまでの思い出やこれから先に待ち受けているであろうこと、街道整備の活動のことを伺ったりできたりと、良い夜を過ごす事ができた。

中山道を京都まで歩ききって関東に戻る途中、報告ついでに再びマスヤに泊まった。そこでも暖かく迎えてくれて、それから私はマスヤに何度も訪れるようになった。

ふと思うことがある。もしあの日にネットカフェに泊まることを、下諏訪を通過することを選んでいたら。マスヤとの出会いは、そしてゲストハウスのおもしろさを知る機会は訪れなかったのだろうか。いや旅好きの自分のことだから、どこかのタイミングでそうした面白さを発見していただろうか。

ちなみにその後、私はマスヤに何度も泊まり、最終的には短期ではあるがスタッフも経験した訳だが、“中山道を歩いた”という人には会えていない。
もし中山道最大の難所といわれる和田峠を越える日が13日の金曜日ではなかったら、あの日の出会いはなかったということになる。いやそれとも、ずれていたらそれはそれで素晴らしい出会いがあったのだろうか。

ゲストハウスを知ってから私の旅の形態は変わった。
青春18きっぷでローカル線を乗りつぶすのが好きな私は、それまでは始発から終電まで列車に乗って、ネットカフェの6時間パックで夜を明かすといった、なかなかストイックな旅をすることが多かった。それはそれで面白いのだが、たまに人と話したくなるときもある。そんななかで駅の待合室などで、ふとした拍子に会話が起こると楽しいし、地元の小ぢんまりとした飲み屋に入って店主と話す、といったこともした。

ゲストハウスに行けばより気軽に、いろんな人と交流ができることを知った。一緒に泊まっている人やスタッフやその地域の人などとお酒を飲みながら、旅の話や地元のおすすめのお店、夜が深まれば仕事の話や抱えている悩み事を、話したり聞いたりもする。

ゲストハウスには面白い人が多い。そんな濃密な時間を過ごしたくて、夕方くらいまでには移動を切り上げ、ゲストハウスにチェックインするようにして、朝もできるだけ出発を遅くしてのんびりするようになった。

行きたい場所ができたら、「〇〇(地名) ゲストハウス」と検索して旅行計画を立てるようになり、ひげむぅFootPrintsなどのゲストハウスを紹介するサイトもよく見るようになった。
こうして終電から始発までの時間をつぶす場所にすぎなかった寝床が、目指すべき行き先に、つまり手段が目的になった。

その後始めた仕事は、なかなか休みがとりにくかったが、なんとか合間をつくって旅行に出た。マスヤに訪れると、いや、帰るとスタッフの人が「おかえりー!」と明るく出迎えてくれる。
ゲストハウスは私にとって、日常から離れて一息つくところだった。ずっと続いてくれればそれほど嬉しいことはないが、そんな訳にはいかない。旅行は日々の仕事をするうえでの活力でもあった。けれど同時に、旅行の終わり、帰りの電車内では決まって、「日常に戻りたくない」「次にこうして旅行に出られるのはいつになるだろう?」という気持ちになった。

2020年8月、縁とタイミングが重なってマスヤのヘルパーをさせてもらうことになった。「今まで非日常と思っていた場所で、日常を過ごすというのはどんな気分なんだろうか?」と、当初は興味深かった。けれど、正直言って1ヶ月の滞在ではまだ、そこが"日常"という気分には完全にはならなかった。とはいっても旅行のときのような非日常感が強い訳でもなく、なんとなくどっちつかずな不思議な時間だった。
下諏訪図書館で図書カードをつくり、“長野県諏訪郡下諏訪町〜”というマスヤの住所を記入したときなど、「自分は今、長野で、マスヤで日常を過ごしているのか」と改めて感じる場面もあった。

スタッフ期間中にも、素敵な出会いがたくさんあった。
もしマスヤのスタッフをするタイミングがこの時でなかったら、今の自分はどうなっていただろうか。全然違う考えを持って暮らしていたのだろうか。いやそうとも限らず、なんだかんだで今と近い状態にいたかもという気がしなくもない。

ゲストハウスに行くことで、様々な人と出会う。すると最初は一本の線だった人の繋がりが、いろんな方向に延びていって、やがて編み目状になっていく実感があった。その時にそこで会わなくても、別の場所で会えていたのではないか。そんな気がしてくる。

マスヤから出発する日。だいたいいつも通りの時間に起きて荷物をまとめて、リビングに行ってゲストの人達の会話を耳にする。連泊の人が今日の予定と明日の予定を話している。
その“明日”には既に自分がいないのか、と感傷的な気分になっていが、そんなときに突然、裏口から「ひでくーーん!」という甲高い叫び声が響いた。オーナーのきょんさんの息子・千莉だ。保育園に行く前にきょんさん一家がマスヤに寄ってくれたようだ。そんな元気な姿に感傷的な気分は吹き飛んだ。

ゲストハウスを出発するときの挨拶は決まって「またどこかで」となる。一期一会であることを承知のうえでの言葉ではあるのだが、まるっきりそれを信じていないという訳ではない。またどこかで会える気がする(もっともSNSなどで繋がっている場合も多いけど)。

そんな楽しみを期待して、私はまたゲストハウスに行く計画を立てる。

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