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花は赤子のように抱えられてる時が2番目に可愛い

たくさんの中から私達が選ばれる側

 誕生日、行きつけの花屋さんに行った。優しいマダムを絵に描いたような女性が一人切り盛りしている花屋。
 ショーウィンドウに並べられた、色とりどりの花を見て、その言葉は花から生まれたに違いないというほど、色んな色の花たちが夏を見ている。
 花が1番可愛く輝いてる瞬間。目が眩むほどのたおやかさ。

 花を選ぶ時、私たちはうんうんと唸って選ぶ。ケーキを買う時と同じぐらい悩む。花を買うのは特別な事だから、うんと、自分の気分に自分の想いにあったものを、そうして、自分が支配者のようにして得た花は、実は逆で、私たちは花から選ばれているのではと思う。
 花が、本当は花屋がもっと言えば土に生えていた時が1番心地よかったが、終の住処として、こいつにしてやろうと、花が選んでいるのではと思う。そう思う理由はその方がロマンチックだからに他ない。

 私は少し大きなひまわりと、赤白混じりの小ぶりのバラが6つほど付いた枝1本と、そうして、花屋さんの計らいで小ぶりなひまわり一本をいただいた。
 どれも、今を生きようと背を伸ばしていた。

花は抱えられてる時が2番目に可愛い

 お会計を済ませ家に来てもらう際、花を逆さに持つのが1番いいと聞いたことがある。
 でもそんなことをすると花の綺麗な色が見えないので、私はいつも赤ちゃんを抱える母のように横に抱き、潰れないように折れないように慎重に持っていく。
 その時の花のかわいさは言葉で言い表せない。
 艶やかで麗しい美女が、赤子のように私の腕に収まっている。そんな背徳的な瞬間は家路につく15分しか楽しめない。
 花を包むカバーはまるでおくるみのようで、ああ、この子は今日からうちの子になるのだと、そう思うと顔が綻ぶ。愛おしく美しく麗しくいとけない、その艶やかな花たち。

玄関に飾り立てた後の花は死を待つのみ

 そうして最後に清潔な水を花瓶に入れて、花を生ける。
 飾り立てた後は私の生活を彩らせたり、辛い時に慰めたり、色の持つ力は強い、そして花の持つ生命力はもっと強い。その生命力を目の当たりして、一歩外に出る勇気をもらう。

 対して花はもう、切り花にされてしまっているのだから、死を待つだけである、花の死はいつなのだろうか、水を吸えなくなった時だろうか。

 私はドライフラワーを作るのが好きだ。花は思い出だから。現在進行形で進んでいく、思い出。1秒も忘れられない愛しさを、残しておくために。

ドライフラワーとして3番目に可愛く

 就職祝いに2年前に買った花もまだ色を保っている。今年の花も、そうしようか。いつまでも忘れないように、あなたが生きたことを、私たちのエゴで枯れていく事を憎まれながら、私たちの心の生きる糧として使われた事を恨まれながら。

 私は花が好きだ。花は私が嫌いだろう。そんなの関係がないぐらい。花が好きなのである。

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