見出し画像

手塚治虫『ブラック・ジャック』豪華版・秋田文庫版の特徴

1983年から85年まで週刊文春に連載された
手塚治虫の『アドルフに告ぐ』は、
版元の文藝春秋が漫画出版社ではないという事情と
作者本人の「格調を高くしたい」という要望が相まって、
ハードカバー四六判、表紙に漫画の絵を使わない
文芸仕様で単行本化されました。
それが話題にもなり、さらに売れ行きも好調だったことから
さっそく他社も追従して、角川書店は『火の鳥』、
秋田書店は『ブラック・ジャック』の
ハードカバー豪華版を企画しました。
少年チャンピオン・コミックス版が24巻まで出揃い、
すでに新作も描かれなくなったタイミングで、
「過去の名作を愛蔵版で読みたい」という当時の機運とも
マッチしていたのでしょう。
豪華版第1巻の発行日は1987年4月5日。
1冊1,000円と漫画本としては高価なこともあり、
当初は「傑作選」のつもりだったようです。
1~2カ月おきに1冊ずつ刊行されて、
手塚先生が亡くなるまでに12巻が出されました。
公式に完結が宣言されたわけではありませんでしたが、
1993年には秋田文庫で12冊分まとめて文庫化され、
箱売りもされていたため、
全12巻扱いされていた時期が長かったですね。
1994年に13巻が出されてからは、刊行ペースが数年おきとなり、
2003年のブラック・ジャック30周年記念に
文庫版17巻が出されていよいよ完結の運びとなりました。

表紙デザイン・装丁

何よりインパクトがあるのは西口司郎による
リアルタイプ・ブラック・ジャックのカバーイラスト。
毛穴まで描かれていて、最初見た時は「誰?」と思いました。
装丁は多田和博。

1巻のカバー

カバーは1~10巻が黒地、11~17巻が白地となっています。
また書店に置かれる際は帯が巻かれるのが前提のため
表紙の見せどころが帯に隠されないように工夫されています。

13巻の表紙と帯

「豪華版」という呼称は、表紙にも奥付にも書かれていませんが、
帯には堂々と書かれていますし、宣伝にも盛んに使われていたので
ファンが勝手に呼んでいる愛称ではなく、一応公称です。
背表紙には「The best ○ stories by Osamu Tezuka」と書かれています
(○には収録話数が入る。また本体表紙とトビラにも書かれています)。
この文句は最終17巻まで入り続けますが、傑作選であったことの名残です。

ハードカバーの核となる本体表紙も10巻までと11巻以降とで
作りが変えられていて、
前半は砂子紙、後半は黒の光沢紙が使われています。

1巻と11巻の本体表紙。図書館が置きたくなる気持ちもわかる高級感。

また遊び紙も10巻までが無地のきぬもみ風色紙で、
11巻以降は白黒の絵が印刷されるようになります。

10巻までは巻ごとに色が変わり、11巻以降は巻ごとに絵が変わります。

トビラもまた10巻までは文字だけ、11巻以降は絵が入るようになりますが、
その絵は他の巻のカバーイラストが流用されています。

1巻と11巻のトビラ。11巻の扉絵は2巻のカバーイラストの流用です。

2巻以降にはスピン(しおり紐)が付くようになりますが、
なぜか1巻には付いていません。
ただしこれについては、すべての版を確認できているわけではないので、
版によって変わる可能性もあります。

1巻の目次と各話タイトルページ

目次は横並びの縦書きで、「第○話」の話数表記はありません。
各話タイトルページには、タイプライターかゴム印のようなフォントで
タイトルが縦書きされているだけですが、小さく英訳が振られています。
「医者はどこだ!」は「WHERE'S THE DOCTOR?!」。

秋田文庫版

秋田文庫版は手塚先生の死後、豪華版の刊行が途絶えていた時期の
1993年に1~12巻が一度に発売されました。

秋田文庫版1巻のカバー

豪華版以上に帯を巻くことを前提としたカバーデザインになっていて、
ボックスセットの中身にも帯が巻かれています。
豪華版の表紙は10巻までは黒地、11巻以降が白地でしたが、
秋田文庫版はデザインが統一されています。
『ブラック・ジャック』の1巻が秋田文庫の栄えある「1-1」。
『ブラック・ジャック』のみならず、その後に続いた他のタイトルにも
このデザインは引き継がれています。
秋田文庫版『ブラック・ジャック』は各巻が発売後一年間で
100万部売れたそうで、そのインパクトがよほど大きかったのか、
秋田書店はその後、漫画全集を出し直すのではないかと思う勢いで
手塚作品の文庫版を出しまくりますし、
一旦締めていた豪華版を再開して13巻以降を出すようになりました。
そればかりか「豪華版を出してから文庫化」という手順をすっ飛ばして、
15巻以降は豪華版より文庫版を先に出すようになってしまいます。
ただ漫画の文庫本自体は1970年代からありまして、
秋田書店も「秋田漫画文庫」というシリーズを出していました。
手塚作品では『ガラスの城の記録』や『時計仕掛けのりんご』などの
マイナー作品ばかり出していたので、
この時はそれほどのムーブメントにはならなかったようです。

カバーを外した本体表紙は、楕円の中にタイトルが書かれた
秋田文庫統一仕様。
白抜きで作品のイメージイラストが描かれています。

1巻の本体表紙。たまたまクリーム色でわかりにくいですが、注射器の絵が描かれています。
1巻のトビラ
1巻の目次と各話タイトルページ

目次は横書きを縦に並べています。
各話タイトルページは明朝体の縦書きでタイトル、
ゴシックの横書きで英訳が書かれています。

文庫版なので巻末には解説が書かれています。
1巻には手塚先生の奥さんの悦子さんの解説というより思い出話が書かれているのでファンは必読です。
2巻以降の解説者は以下の通り。
 2巻 永井明 3巻 高村薫 4巻 立川談志 5巻 花井愛子 6巻 豊福きこう
 7巻 羽仁未央 8巻 菊地秀行 9巻 小池真理子 10巻 大森一樹  
 11巻 青池保子 12巻 竹内オサム 13巻 宮部みゆき 14巻 杉野昭夫
 15巻 辻真先 16巻 堤幸彦 17巻 里中満智子

カバーイラストは、すべて豪華版のイラストをトリミングしたもの
と思いきや、なぜか16巻だけ別の絵が使われています。

豪華版16巻(左)と秋田文庫版16巻(右)

これはおそらくですが、文庫16巻の帯に「クライマックス」の言葉が
使われているとおり、この巻を最後にするつもりで、
蔵出し的に別の絵を使ったのではないかと邪推するのですが、
どうでしょう。

収録内容

最初は「傑作選」だったとは、再三書いてきましたが、
最終的には、この豪華版におけるエピソードの取捨選択が
新たな収録基準の決定版となりました。
この後出される少年チャンピオン・コミックス新装版や
「手塚治虫文庫全集」版は
おおむねこの豪華版の収録基準に拠っています。

雑誌掲載順を無視してバラバラにエピソードが並べられているのは
先の少年チャンピオン・コミックス(以下チャンコミ)版、
「手塚治虫漫画全集」版と同様ですが、
さすがにバラバラすぎた漫画全集版を反面教師としたのか、
連載第1話の「医者はどこだ!」をきちんと冒頭に置いていますし、
ピノコや本間先生、如月恵などの主要人物の登場話を
1巻目にまとめて収録していて、
むしろイチゲンサンには親切な構成になっていると思います。
傑作選としてみれば至極妥当な編集です。
ただし作中のセリフなどで前後関係がわかる程度の
エピソード間のつながりまでは気にしていないようで、
「畸形嚢腫」と「ピノコ愛してる」が1巻と3巻に分かれていたり、
「誘拐」と「万引き犬」が2巻と4巻に分かれてしまっていたりするのは
残念でした。どちらかを未収録にするならともかく、
2巻ばかり離して収録するくらいなら、並べてほしかったところです。
またその逆の例では、「弁があった!」と「99.9パーセントの水」が
ともに5巻に収録されているのですが、
たった4話前に会ったドクターキリコの妹に向かって
ブラック・ジャックが「おまえさんだれだっけ」というのは
これもまた残念でした。

豪華版・秋田文庫版で注目すべきは、
同じ秋田書店でもチャンコミ版の版下などを流用したりせず、
写植もやり直して、場合によっては加筆修正までしている点。
この時代はまだデジタル製版ではないので、
判型も違えば当然なのかもしれませんけど。
また各巻の第1話の最初の5ページが新規に着色されています。

豪華版1巻1話の冒頭
秋田文庫版1巻1話の冒頭。なぜか書き文字の赤が緑に塗り替えられています。

6巻の巻頭の「ホスピタル」、13巻の「水とあくたれ」、16巻の「アナフィラキシー」には、元々雑誌掲載時のカラー原稿があるのですけど、
カラー書き替え問題については話がややこしくなるので、
また項を改めます。

豪華版が出る頃にはもうチャンコミ版や漫画全集版は一段落ついていたのですが、豪華版が単行本初収録だった話が6本あります。
3巻の「執念」、11巻の「戦争はなおも続く」、12巻の「信号」、
そして17巻の「金!金!金!」「不死鳥」「おとずれた思い出」。
12巻までの3本については、手塚先生本人の承認のもとで
単行本収録されたので何の問題もなく、
後になってチャンコミ25巻に収録されましたし、
「執念」「戦争はなおも続く」は漫画全集20巻にも収録されました。
しかし最終17巻の単行本初収録作品3本は、
手塚先生があえて単行本収録しなかったものを、死後、
手塚プロダクションと編集部の判断で蔵出ししたもの。
未収録だった作品が単行本で読めるようになったのは喜ばしい反面、
これらを単行本に収録したくなかった手塚先生の気持ちを考えると
複雑な気分になります。
手塚先生の漫画作品、とくに『ブラック・ジャック』となれば
人類共有の文化遺産なので、理不尽な理由で変に隠しておくものではない
とは思いますけど、それでも少なくともこの3本は
「手塚先生が生前単行本に収録しなかった作品」という注釈付きで
読まれるべきものだと思います。

未収録作品

そのように豪華本・秋田文庫版によって「封印が解除」された
エピソードがある一方で、
現代の倫理観に合わせた出版社の自主規制により
収録が見送られたエピソードもあります。
未収録はチャンコミに収録されている作品も含めた以下の11本。

 「血がとまらない」(チャンコミ3巻収録)
 「指」
 「しずむ女」(チャンコミ4巻収録)
 「2人のジャン」(チャンコミ4巻収録)
 「植物人間」
 「快楽の座」
 「水頭症」(チャンコミ6巻収録)
 「最後に残る者」(チャンコミ13巻収録)
 「魔女裁判」(チャンコミ17巻収録)
 「壁」
 「落下物」

ただしこのうち「2人のジャン」「壁」「落下物」の3本は
2008年発売の秋田文庫『ブラック・ジャック トレジャー・ブック』に
収録されているので、
17巻セットの中には入っていませんが、
秋田文庫のくくりの中には入っていることになります。

その他周辺作品

2003年がブラック・ジャック生誕30周年ということで
その前後2001年から2004年にかけて、秋田文庫では
様々なブラック・ジャック関連書籍が刊行されました。

漫画本編ではありませんが、扉絵を網羅した「イラストレーション・ミュージアム」は
全17巻と並べておきたい逸品。
刊行物が多かったため食傷気味で、クイズや名言集には食指が伸びませんでした。

またその頃は『ブラック・ジャック』未収録話が最も安売りされていた時期で、「幻の」と勿体を付けつつ、新創刊の雑誌「チャンピオンRED」のスタートダッシュの箔付けに収録されたり、はたまた「AKITA TOP COMICS」(コンビニ本)にすら収録されたりしていました。
そんな中で2003年に出た秋田文庫版17巻に単行本初収録が3話あると言われても、素直に喜べなかったのかもしれません。

30周年記念出版の中でもっとも意義深いと思われるのは
『オールカラー版 ブラック・ジャック』(2004年)。

豪華版と同じ仕様のハードカバー本ですが、全編カラーです。

昨年2024年に『ブラック・ジャック ヒストリカル・カラー・ピーシズ』が
立東舎より刊行されましたが、雑誌掲載時にカラーだったものをカラーのまま収録するという、それと同じコンセプトのものを20年前に出しています。

また件のコンビニ本のシリーズも、豪華版の版下を流用して編集されているため、派生作品と言えるかもしれません。


この項を書くにあたって、西口司郎氏のお名前を検索したところ、
昨年(2024年)亡くなったという情報が飛び込んでまいりました。
X の情報ではありますが、謹んでご冥福をお祈りいたします。

いいなと思ったら応援しよう!