いつかゲームでぼこぼこに負けたい
息子はじめてのコンピュータゲーム
先日、私がゲームで遊ぶところを息子が見たいと言い出した。妻とそう約束したらしい。
息子の際限ないyoutube視聴を抑制するために、現在我が家はリビングにテレビを置いてないので、息子の見ている前でゲームを遊んだことはほとんどない。
隣の椅子に息子を座らせ、とりあえず遊び始めた。
最近遊んでいたゲームは「シロナガス島への帰還」というアドベンチャーゲームで、大変面白いのだが、文字も読めなければ話も難しい、なんならサスペンスでちょっと怖いので、息子に見せるには向いてない。
そこで、長年眠っていたスーパーファミコンミニを引っ張り出して、スーパードンキーコングを遊ぶことにした。遊ぶのは小学生以来だろうか。
これならストーリーを理解する必要はなく、画面上で起きてることもわかりやすいし、キャラクターもわかりやすくゴリラだ。
ステージをクリアした時の踊りを真似たらニコニコ笑って、都度いっしょに踊ってくれた。
しかし私もいい加減おっさんになり、年々アクションゲームが難しく感じる。少し進んでくるとミスが目立ち始め、ゲームオーバーとなった。めげずにやり直すもののあまり上手くいかない。
そんな父のプレイに業を煮やしてか、自分で遊んだこともないのに「こっちのボタンを押せばよかったんじゃない?」とか、「逃げるんだよ!」などと口出しし始めた。
3歳にして指示厨・・・ではなく、ミスを連発する人を前にすると口を出さずにはいられないのが人間のさがなのかもしれない。
息子に見せる用に遊び始めただけなので、次第に飽きが来た私が次に選んだのはロックマンX。そしてこのチョイスは失敗だった。なぜならほとんどロックマンシリーズを遊んだことがないうえに、ドンキーコングよりもずっと難しいから。
下手すぎる父のプレイを見た息子は「ジャンプするんだよ!」と叫び、死んだらすごく苦々しい顔で「あぁ…」とため息をついた。厳しすぎる。
ゲームの面白さの核は、プレイヤーにストレスをかけ、それを解消することらしい。私がうまくクリアできず息子はストレスを感じていたようで申し訳ないが、初めて見るゲームでまさにその通りの体験をしている姿を見て、大変興味深かった。
ゲームの良いところ
子どものころからゲームで遊ぶのが大好きです。
初めて触れたゲームは多分、ファミリーコンピュータの「星のカービィ 夢の泉の物語」。
何歳のとき遊んだのかはわからないけど、発売当時の私はまさに今の息子の歳。にもかかわらずディレクターの桜井政博さんはまだまだ現役のクリエイターで、めまいがする。
ちょうど家庭用ゲームの黎明期に生まれ、ゲームの進化とともに成長してきた世代なので、世の中さまざまある娯楽の中でも特に思い入れが強い。
物語、音楽、アート、仕事としてそれらを生み出した人たちへの興味関心、ゲームを通じた友達とのコミュニケーション、攻略のための情報収集、お小遣いの使い道などなど、単純に遊んで楽しかったということ以上の様々な体験をもたらしてくれた。もちろん楽しいだけでもいい。
母は私がゲームを遊ぶことを快く思っていなかったふしがあるけど、あまり口出しせずにいてくれたからありがたかった。
今の自分を形成するもののうち30%くらいはゲームに由来するだろう。もし私に何か良いところがあるのなら、ゲームを通じた体験がそれを形作った側面は確実にある。
息子がもう少し大きくなったら、一緒に対戦ゲームをやりたい。勝ちまくって悔しい思いをさせてやりたい。悔しさをバネにやりこんでもらって、その次はぼこぼこに負けたい。