福岡国際マラソン2024 8位2時間10分50秒
結果は2時間10分50秒で8位入賞&自己ベスト更新。
セカンドベストが8月北海道の2時間16分28秒なので5分38秒の更新。JMC(ジャパンマラソンチャンピオンシップ) G1大会での8位入賞。そして栃木県最高記録の更新。
ランナーなら誰しも憧れる福岡国際マラソンでこんなに良い走りができたという喜び。
と同時に3度目のフルマラソンにして早くも集大成を前借りしてしまったのではないかという不安。思い出は一生の財産だということで忘れる前に随筆したい。
トレーニング内容
10月の東京レガシーハーフを62分12秒で自己ベストを更新。その後は福岡国際、そして来年3月の東京マラソンも視野に入れつつトレーニングを行った。
9月10月と長い距離を走る練習が減っていたのでレガシーハーフ翌週に41.7㎞走を入れた。
スピードを出すトレーニングは1200m×6 (2’50/km) を入れた。
2週間前にはもう1度41.2㎞走を入れて基礎の部分は確実に取り入れて臨んだ。マラソンに限らず長距離走は「○○分走ること」が大事だ。
私のマラソンタイムから逆算すると150分前後のトレーニングが鍵となる。余裕を持ったペース設定にするので結果的に40km程度に落ち着く。「40km走」という名前が付けられるが本質は150分間走だ。聞こえの良い方を選べばよい。
レースは日体大5000mで14分切りチャレンジ、八王子LD10000mで自己ベストチャレンジを入れたがどちらも失敗した。やはり欲を張ると良いことは起きないことを知った。特に八王子LDは福岡国際のちょうど1周前で相当自信を失ってしまった。最後の1週間でなんとか修正したという感じ。
レース内容
日本記録更新を狙う第1集団(2’58/km)と2時間08分前後を狙う第2集団(3’02/km)に別れた。
今回は自分のレベルアップのためにも後半沈んでもいいのでハイペースで行く計画だった。とはいえさすがに2’58/kmは速すぎたので迷わず第2集団に位置づけた。3’02/kmでも自己ベスト2時間16分台の自分にとっては十分速すぎるペース帯だった。
5㎞通過は15分06秒。10㎞通過は30分19秒。
集団は10人程度で非常に安定していた。こんなペースであと30㎞も残している不安はもちろんあったが、各セクションをクリアしていく毎に安堵が大きくなっていった。
2か所だけ焦った。5㎞と10㎞の給水が取れなかったことである。
5㎞地点の給水はそこまで重視していなかったので補給できなかったこと自体は問題ないが、それよりも給水ボトルの見分けがつかなかったことの方が焦った。
スペシャルドリンクはビブナンバーの末尾毎にテーブルに置かれる仕組みだ。スペシャルを設置できるAブロックの人数を考えると1テーブルに10本近く並んでいる計算だ。
その中で自分のモノを見分けて取るわけだが(テーブルのどのあたりに設置されるかは毎回ランダム)、どれも似たようなボトルであることに加え、こちらは3’02/kmのペースで走っているので自分のボトルを識別できなかった。こんなペースでマラソンを走ったことがない弊害だった。
これはマズいと思い、15㎞以降はずいぶん前からテーブルを凝視し、ペースも少し落として確実に取るようにした。
10~15㎞の区間を15分06秒、15~20㎞区間を15分18秒でカバー。余裕がないときはキロ数秒の差が気になってしまうが、今回は全く気にならなかった。17㎞地点で監督(大学時代の先輩)の応援にも反応できるくらいだった。
ハーフ通過は64分08秒。スタート直後からハイペースで「いつ落ちるか」という不安と戦いながら進めていたが、中間点通過64分08秒でもまだまだ余裕を残していたことで、不安が自信に変わり、どんな記録で平和台に帰ってこれるか楽しみになっていた。
ちなみにNTT西日本・小林選手は3人いたペースメーカーのリーダーとして中間点までアシスト。頻繁に後ろを確認して集団の余裕度を見ながらコントロールしてくれた。YouTube越しでしか存じ上げなかったが一気にファンになった。
中間点通過後、残ったペースメーカーの2人が集団の人数が減っていることもあってか、ペースを落とし始めた。さすがに3’02/kmで30㎞まではついていけないし、自分にとってはちょうどいい調整をアドリブで入れてくれた。イーブンペースで無機質に進むペーシングライトでは再現できないコントロールだ。
28㎞過ぎで脚が攣りはじめた。ここまで順調に進めてきた分ショックだった。だが、不思議と冷静に対応できた。というのも過去2回のフルマラソンともに後半で脚を攣っている。
と経験を積んでいたので「攣りをコントロール」しながらゴールを目指すことにした。
定期的に接地を変えて1秒でも別の筋肉を使うといったテクニック的要素もあるが、どちらかと言えばエネルギー配分的な面である。
どれもランナーにとっては逆の意味での「我慢」になる。
サブ10ペースで進めているのは分かっていたが、ガンガン攻めたペース配分はここまでにした。攣りが致命傷にならないようゆっくり出血させつつも粘りで領土を広げるイメージでゴールを目指した。
30㎞ではなく35㎞。いや、37km,38㎞からの走りで1分くらいはすぐにひっくり返ることを知っているからこその判断だった。
「行けるところまで付いていく」で行くと後半信じられないくらい垂れる可能性があるし、その場合ダメージがデカい(身体も心も)。テレビへの露出時間は減ってしまうのでプロランナーにとっては致命的であるが、自分は自分の走りをすることに徹した。
折り返し(31.6km)以降は第1集団から落ちてきた選手を1人ずつ追いながら進めた。
風は気にならなかったが、ビル影のない国道3号を日差しに向かって走って行くので消耗が激しくなる局面だった。福岡国際で名勝負が見られるのはこのラスト10㎞の環境が影響しているのだろう。
40㎞地点では前後にランナーはおらず順位は確定していた。せっかくなので応援になるべく反応しながらゴールを目指した。サブ10は届かなかったが2時間11分切りは確実だったのでテンションも上がっていた。総合順位は全く把握できていなかったのでゴール後なにか首に掛けられて完走メダルかと思いきや、やけに軽くてまさかの8位の札だった。タチの悪いドッキリではないかと疑ってしまった。
目標タイムも順位も特に決めてはいなかったがどちらも予想していなかったような成績だった。あっという間だけど、最高に濃い2時間10分50秒だった。しかも栃木県記録更新のおまけつき。全くノーマークだったのでこれは驚いた。
レセプションに参加
西鉄グランドホテルでのレセプションパーティーに参加した。
招待選手の紹介、優勝したGMO・吉田選手のインタビュー、レースのハイライトに加えて旨すぎる食事。北海道マラソン終了後、札幌グランドホテルでの記者会見や表彰も凄かったけど、今回のレセプションも素晴らしい体験になった。
中電工・二岡選手とお話することができた。
二岡選手は34kmあたりで一度は引き離したと思っていたが38kmで再び追いつかれ、そこから残り4.2㎞で1分近く差をつけられた。自分と同じように後半を大事にされていたそうだが、二岡選手はもっともっと上手かった。
ずっと世代トップを争っていた西山和弥選手とも話すことができた。中学2年のジュニアオリンピック1500m決勝で初めて同じレースを走って以降、一度も勝ったことはないし、彼が東洋大学に進学してからは今後一生勝つことはないだろうと思っていた。2’58/kmで攻めたので後半は相当落ちたようだが、12年掛かって初めて先着することができた。高校進学以降はとっくに別世界の選手だと思っていたので、覚えていてくれて本当に驚いた。
レセプションパーティー後は九大陸上部卒業生との打ち上げ。同期の入籍祝いのはずだったが自分の8位入賞祝いも兼ねて貰うことに。感謝。
試される大地。からの試される福岡。
北海道マラソン終了後の記事にて「(2位の)この結果をプレッシャーに思ってはいけない」と書いていたが、正直に言うとプレッシャーはあった。
なるべく考えないようにしてきたが
「福岡で爆タレしたら」
「夏マラソンよりも遅いタイムだったら」
意味のない妄想に空費したのは事実だ。
職場の人からの「次は優勝やなw」というありがたい軽口も普段は気にならないが、大会が近づくにつれていつも以上に真に受けてしまう自分がいた。
また、11月に出場した日体大5000mと八王子LD10000mは思うように走れなかった。これもプレッシャーを増幅させた。
練習内容はもちろんだが、今回の準備期間は久しぶりに「自分が試されている」と感じる時間になった。ストレスだったけれど選手として更なるレベルアップに必要な時間だったと思う。
そしてこのプレッシャーを軽くしてくれたのは、やはり「陸上競技は人生を豊かにする手段の1つ」というマインドだった。このマインドは戦うのではなく勝負の存在を否定し無効化する反則カードに近いものだと思う。けれども、いつもこの言葉で落ち着くことができた。
今回の福岡を持って「次はサブ10」「MGCを目指す」ことが世間の相場になってくるわけだが、ここで力んではいけない。過去を誇れる将来を得たい、そんな人間的な願望は大抵失敗してきた。
今回のマラソンの目的は「8位入賞」でも「2時間10分50秒」でもなく、「第2の故郷福岡を自分の脚で42.195㎞巡る2時間の旅」だったんだ。そして自分は間違いなくその目的を達成できた。まずはここを誇りたいと思う。
どんな成績であれ自然体で受け容れること。無事にゴールできるよう運営してくれたスタッフの皆さんに感謝すること。自分の目的を見失わないことを今後も心掛けたい。
次はどんな自分に、どんなレースに出会えるだろうか。応援いただいた皆さんに感謝します。