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支えるということ

 夫は4年前から体調があまり良くない。体調というより昔のように「気力」が出ないようだ。今は心療内科でもらった薬を飲みながら日常生活を送っている。私はそんな夫を支えていくと決めたはずなのに「支える」とは、とても難しいことだと思うことがある。

 その日、夫は体調が悪く落ちていた。一緒に約束した月曜の休肝日なのに「少しだけ」とポツリと言いお酒を飲み始めた。そして、それは全く「少しだけ」にならず、結局 辛い気持ちをお酒の力で逃げたのだ。お酒の力に頼る夫を見て、私はだんだんイライラしてきた。「そうやって、お酒に頼るから、いつまでたっても体調が良くならないんだ」と心の中でつぶやいた。

 私は耐えられず先に布団に入った。布団の中でも怒りの気持ちがおさまらず、なかなか寝付けなかった。ほどなくして、ガチャンと家のドアが開く音がした。コンビニに行ったに違いないと、すぐにわかった。その後、ガチャリと家のドアが開き、夫が帰ってきた。私は怒りのままリビングのドアを勢いよく開けた。案の定、テーブルのうえにカップラーメンが置かれていた。週末ならまだしも、月曜から酒飲んで夜中にカップラーメン食べるなんて、体調の悪いアラフィフのおっさんがやることではない。ついに私は怒りを爆発させた。

「そんな不健康な生活してるから、いつまでたっても病気が治らないんだ!いいかげんにして。もう4年も経つんだよ。もっと自分の健康を意識して。そんなんだから治らないんだよ!」

夫に怒りをぶつけた。私は普段、あまり怒らない。なぜなら自分の負の感情を出しても、結局 自分にブーメランのように戻ってきて疲れるから。それでも、今回は言わずにいられなかった。4年間 夫の症状が何も変わらないことに対して苛立ちの気持ちがあったのかもしれない。

夫はしばらく沈黙した後、静かに、そして冷たく、私に言った。

「しずくが俺のことを支えてくれていることには本当に感謝してる。ただ、病気になってみてわかったことがあるんだ。たぶん、この病気は一生 治らないと思う。治ると思っているなんて、しずくの驕りだよ。」

「そんなこと言わないでよ!今まで私が支えてきたことは無意味だって言うの?」

私はそう反論しようと思ったのに、言葉よりも先に涙が出た。言葉よりも先に感情があふれ出した。

ヒック・・、ヒッヒッヒッ。

私はその場で丸くなり、えずくような鳴き方をした。うす暗いリビングで私のえずく音だけが響く。あまりの異常な光景に、さすがに夫も驚き「大丈夫?」と言って私の背中をさすろうとした。

「触らないで!いいから放っておいて!」

私は夫の手を払いのけ、逃げるように寝室のベットの中に潜り込んだ。

私の涙には2パターンある。

1つめは心が打たれた時に流す涙。とても純粋な涙で「デトックス」効果があると私は思っている。この涙は 泣いた後は心身ともにスッキリするので、いつも我慢せず泣く(人前では泣かないが)。映画であまりにも号泣する私のことを初めて夫が見たときは、とても驚いていた。「デトックス」だと説明すると納得したようで、それから何も言われなくなった。

2つめは感情に耐えられなくて嗚咽のように吐き出す涙。夫から発せられた言葉には、否定、絶望、怒り、諦め、そんな感情が込められていた。それらの感情を私がもらってしまった。自分の怒りやショックという感情の他に夫の感情も加わり、その重さに心が耐えきれず、それらを吐き出すために泣いた。これは前者と違って、泣いても全然スッキリしない。私だって本当は泣きたくないのに「泣かずにいられない」ところが厄介だと思う。

「二日酔いみたいに、明日も引きずるんだろうな」妙に頭が冷静で、嗚咽みたいに泣きながら、そんなことをぼんやり思った。

 次の日の目覚めは最悪だった。まだ昨日の感情を引きずってしまい、朝食を作ったら、そそくさと会社に向かった。会社に向かう間、私の頭はネガティブな妄想に取り憑かれていた。もし、このまま関係が悪化し離婚しなければいなくなったら、私はシングルマザーになってしまう。私は1人で息子を育てていくことになるんだ。1人で育てるのは辛いけど、頑張って息子を育てるしかないんだ。あっ、今の家は夫と私の共有名義になっている。その場合は家はどうなるんだろう?スマホで「離婚」「共有名義」「家」と検索した。このいきすぎた脳内妄想劇は会社に着くまで続いた(私に離婚の意思はないです。あくまで、いきすぎた妄想です)。

 仕事を終え、暗い気持ちを引きずったまま家に帰ると、在宅勤務だった夫がご飯を作ってくれていた。「おかえり」と言われたので「ただいま」と答えた。そのまま何もなかったように普通に話しかけてくるので、私は「そうだね」とか「うん」とか簡単な返答をした。私はまだ感情に引きずられているので、あまり気の利いた言葉が出ないのだ。

夫が明らかに様子がおかしい私のことを察して「昨日は泣かせてしまい、ごめん」と言った。私は昨日伝えることができなかった自分の気持ちや想いを今度は「落ち着いて」夫に伝えた。そして、今度は夫の考えや気持ちを聴くことができた。

重かった心がやっと少し楽になってきた。たぶん、明日はもう大丈夫だろう。


状況は何も変わっていないが、私たちは今も同じ家に住み一緒に生活をしている。たぶん、これからもずっと。

内緒だが、私も時々 夫はこのまま 一生 病気が治らないのかもしれないと思ってしまう時がある。

その時、10年前の結婚式でカーネルサンダースみたいな顔した神父が言った言葉を思い出す。

「健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、これを愛し 敬い 慰め合い 共に助け合い その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

10年前の私と今の私では、この言葉の受け止め方が違うんだろうなと思った。

神父さん、「支える」というのは、とても難しいことなんですね。あの時の誓いを今の私はちゃんと守れているかどうかは正直わからないです。ただ、毎日 一生懸命 頑張ってますよ。

10年後の今の私はそう伝えたい。あの時のカーネルサンダースみたいな、とぼけた顔した神父に。

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