われわれのじだい ぼくらのじだい インターネットは 寄席 だった
トキワ荘 ー ジャンプ放送局 → 2ちゃんねる ニコニコ動画 と なっていったのは そういう ながれ が あった
インターネット といえば 見世物小屋 奇人変人 の 集まり
不謹慎 ぶらっくジョーク あたり前 というか それだけの 環境 だった😅
あげくのはて 電車男 まであったし あのじだいのライトさ というのは すさまじいものがあった
若いひとたちに 伝わるか? にわかには 分からないが ( 若者 というのは 利口である ヒカキンのまね なのだ だから YOUTUBE = 生活費を稼ぐ 自己表現手段 これは 得 だね 今 の 若者は 楽 である 闇バイト を やっているひとたちは 単なる ばか である こんな いいじだい なのに ・・・ )
ぼくたちは 誰しも 映画 ・・・ あと は 任天堂 スクエニ おおいなる コナミ ハドソン川に 浸かって 気もちよくなって生きてきた ( ソニー派か セガ派か あったようだけれど そんなの そんな事できるじてんで 贅沢 である )
日本は こういったいみで 本来 つよい の である
ヒカキン MEGWINさんたちは すごい きゅう覚 だ たんなる 見世物小屋 の インターネットを 市民権 つくっちゃった
ヒカキン 加藤純一 ヒカキン 特にヒカキンは 誰もが認める 王者 だろう
でも ぼく は あの おもいで の 永井先生 佐々木さん 藤崎瑞希 を すてられないんだ
あの ニッチさ ブラックさ 不謹慎 あの3にんの若いときの おお暴れっぷり ときたら ・・・ だから 反動 で だめーじ が あったのだけどね でもね あの3人は ほんとに パッと 2007ねん 2008ねん2009ねん くらいの時点で じてんで
ヒカキン はじめしゃちょーたちが いなかった頃に ・・・ あれだけ あばれ周っていたのだ ぼく は ・・・ 惚れちゃったね
ぼく は 何かやっても 大衆性はないだろう それでいい とも おもっている ほんとうに ルーツは 永井先生 佐々木さん 藤崎瑞希 たち なんだ
あの ネットでの あばれんぼう あばれっぷり と きたら ・・・ ラサイト だったね