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57歳でUTMB(TDS)を走って分かったこと【中盤65-72km】
148kmのロングレースを、人はどのくらいで走ることができるのか。
ことし2024年TDSの優勝選手は、18時間59分36秒でゴールしている。
一方で、ギリギリでゴールした選手たちは、その倍以上の、45時間台である。だが、ゴールできただけで誰もが「勝者」だと、走った者ならうなずいてくれるであろう。老いも、若きも、男性も、女性も、ロングレースではあまり区別することはできないと思う。人それぞれに、走ることへのストーリーがあるのではないか。じぶんの中の問題であり、比べる性質のものではないだろう。
レースプランなど気にするな!?
わたしには、レース中盤にこそ、何か大事なものが埋まっていたと思えてならない。
スタートからおよそ65km、時間にして13時間が経過。
Cormet de Roselendに到着した。標高は1966m。さわやかな風が吹き抜ける。どうしてこんなところに大勢の人たちがいるんだろう、と思うほどに、土手に座り込んだ数十名もの人たちが一斉に拍手をしてくれる。サイクリングを楽しむ人やハイカーのようだ。キャンピングカーも見える。無邪気に喜べるほどの余裕はないのだが「座って休みたい…」と思うほどの疲れはなく、ちょうどいい「ほてり具合」といったところであった。
レースは中盤である。そして、その中盤をさらに2つに分けるとしたら、ここ Cormet de Roselendの「前」と「後」で分けることができそうだ。
「前」すなわち、Bourg St. Mauriceを出てからの15kmは「登り」が中心であった。
他方、このあとBeaufortまでの26kmあまりは(登りと下りが交互に訪れるものの)「下り」が印象に残っている。
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ともあれ、 Cormet de Roselendを出た直後は、しばしの平坦地をはさみ、その後、すぐに3kmほどぐいっと登る。目指すは、Col de la Sauce (2302m)。周囲はすでにおなじみの草原地帯だ。遠方には、さらに迫力を増し始めた岩稜が四方を囲む。どこに連れて行かれるんだろう、と、なんだか「人外魔境」に足を踏み入れつつあるような不安感もあった。道は再びシングルトレイルとなり、ときおり渡る小川で帽子を濡らして、頭を冷やしながら進んだのを覚えている。
実際、すでに、事前のレースプランを守ることはできなくなっていた。
しかし、悪いほうに逸れていたのではない。むしろ(事前のプランが正確ではなかったのかもしれないが)順調であった。そのためにつぶれてしまえば、元も子もないのだが、そうでもない。だから、想定タイムにはあまりこだわらず、こなさなければならない直近の距離だけを頭に入れ、それだけを頼りに、前に進んだ。
つまり、もはや、ペースを意識して走っているわけではなかった。フカンして考える余裕は無かったのだと思う。悪く言えば近視眼的になっていたのだが、皮肉なことに、そうした動きは決して悪い傾向ではなかったのだ。それが分かるのは、もう少しあとのことではあったが。
日本の「下り」とどう違う?
Col de la Sauce をいつ通過したのか記憶にない。それほどに頂上はゆるやかであり、気がついたら下りのほうに意識が向いていたのだと思う。適度にガレている。「激下り」というほどではないが、ちょっと苦手だったのを覚えている。ただし、コースは、川とつかず離れず並走していたため、浅瀬を横切る際には必ず太ももを水に浸して冷やしたものだ。「あの日本人、何をやってんだ?」という視線も感じたが(じぶんの前後の選手に関する限り、やってるのはじぶんだけだった)、気にせず大腿四頭筋を冷やすことに専念した。
それが効果的であったかどうかは判らないが、今回ひとつ学んだことがある。TDSのコースは、日本のレースより「長く登り、長く下る」というパターンが多く、それが当初より最大の懸念材料であったが、実は、小刻みに登り下りするよりも意外にダメージが少なかったのではないか、という気がするのだ。長く下ったとしても、再び訪れる長い登りをこなすうちに、解消できていたのかもしれない。
美しい!が、怖い!「トンネル」を下る
いずれにせよ、Col de la Sauce を過ぎたら、ガレた下りとの戦いが始まる。斜度は恐れるほどではないが、軽快に下る選手が前方で転ぶのを目の当たりにした。疲労もたまり始める頃である。じぶんは、いつも以上に慎重に下った。
というのも(Passeur de Pralognan と並んで)リスキーな場所が控えていることが分かっていたからだ。しばらくは川を左手に見ながらゆるやかに下り続けるのだが、やがて川を横切る。川は右手側にうつる。すると、見る見るうちに川は角度を帯び下流へと落ちてゆく。崖になるのだ。
われわれは、トンネル状にうがたれた狭いシングルトレイルを走ることになる。
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ランナーにとって右側は川底である(※上記写真では、左側)。なかなか見ごたえのある景観にはちがいない。実際、立ち止まってしばし見とれてしまった。だが、足場は、ガレている。走れない場所ではないのだが(多くの選手は走りながら下って行った。GoProで撮影している選手もいたので、YouTubeにアップしているかもしれない)が、ちょっとスピードを出すわけにはいかないと思った。200~300mくらいは続いたであろうか? ここは夜間には走りたくないと思ったものである。
このリスキーな「トンネル」を越えると、(やはりガレた道は続くが)ほどなくエイドに着く。
La Gittaz だ。午後14:40。Cormet de Roselendからの7.5kmに、1時間40分かかった。順位は、66人を越して563位であった。
そして、じぶんにとって、最も大きな収穫となったのは、La Gittaz をあとにし、次のエイド Beaufort へと至る課程であった。
なんと、この先19kmもエイドがないのである。覚悟が必要だった。
不思議なことに、今ふりかえってみると、この区間は意外に記憶が曖昧なのだ。それでも、レースを決定づけた走りができたコースだったと思うのだ。
なぜなら初回でふれた通り(2024年09月07日「57歳でUTMB(TDS)を走って分かったこと」)、「カラダがずいぶん(動きを)リードしてくれた」という印象があるから。