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57歳でUTMB(TDS)を走って分かったこと【中盤72-91km】


 海外のトレイルランニングレースに出る醍醐味は、日本では経験できない壮大な景色を見ながら走れること。にもかかわらず、それをあまり覚えていない区間があるとは―。
 トレイルランニングではなく、ロードレースでは、よくあることではないだろうか。集団の流れのなかで前の走者の背中ばかりを見ていて、風景など見てはいない。走りに集中すると、そうならざるを得ない。
 
 それとよく似たことが、UTMB(TDS)の中盤で訪れた。
 72km過ぎの La Gittaz から Beaufortにかけて、である。そのおよそ19kmの期間において、すべてを覚えていないというわけではない。だが、景色以上に「動きに集中していた」という感覚なのだ。
 この体験は、しかし、じぶんにとって「かけがえのない」ものだったと思う。

この期に及んで19kmもエイドが無い!

 La Gittazを出る間際、覚悟をかためた。
 19kmもの間、エイドが無いのである。
 当初は怖かったものの、結果的には、途中2箇所で水分補給できるスポットがあった。ひとつめは(Pas d'Outray へと至る3kmほど前の)小さな谷間だったと記憶するが、曖昧だ。請け負っていたのはボランティアのようにも見えたが事実は分からない。まだ余裕はあると見て、素通りしたからだ。丁寧なことに、様々な言語で「水があるよ」ということを記した看板を立てていた。もっとも漢字で記した表記は(中国語なのかもしれないので)すんなり読めなかったが。
 もうひとつは、ずばりPas d'Outray である。こちらはありがたかった。ここで補充できなかったら、苦しかったにちがいない(※なお、事前のコースマップには記されていないが、La Gittaz を出て3kmほど登ったあたりに「隠れチェックポイント」があった。レース後にLiveTrail で確認すると「Entre deux Nants」とある。補給は出来なかったが)。
 
 こうしてふりかえると、この区間は、ここまでの疲労がどれだけ大きいのかによって、難易度は大きく分かれるのではないだろうか。
 コースそのものは、覚悟した割には、受け入れやすいものであった。というのも、はじめに2000mまで登れば、その高さがベースとなる。ゆけどもゆけども山が待ち受ける状況に変わりはないものの、ぐんと下っても、大きく登り返すわけではないので、数キロは「小高い丘」をこなしてゆくような印象であった。

Pas d'Outray

 一方、頂上付近にはかなりのガレ場があったと思う。大きな岩の上を飛び跳ねるように進んだ箇所もあれば、直径にして30-40cmはありそうな「大きな瓦」が散らばったような場所もあった。前後して進む選手もまばらで、ルートも不明確なので、コースを外れてしまわないよう注意したのを覚えている。 そして、半分(Pas d'Outray)を過ぎれば、一気に下る。 つまり、この区間は、そこそこ走れる箇所もあるのだ。

「Beaufort までがんばる!」 ここが中盤最後の正念場

 この区間を、わたしはどう乗り越えたか。
 特筆したいのは、Pas d'Outray(※mapの真ん中)前後から後半の走りである。もっともペースをコントロールする余裕はなかった。走れるところは走る、といった気持ちだけで押してゆく。
 もう、ぼんやりとそれだけ考えていた。
 それでも、前を行く選手を、ひとりふたりとつかまえてゆくことはできた。結構みんな疲れているようだ。ノルウェー国旗をザックに付けた若い女性が見えた。スピードはないが着実な足の運びに、実力の高さが見て取れる。彼女の前をゆく男性選手がフラッグを見落としロストしてしまうのが見えた。その男性に声をかけようと戸惑っているふうだが、どう話しかけていいのか分からない様子。結局その分岐はすぐ先で合流したために大事には至らなかったが、その一部始終も、どこか他人事のようにじぶんには見えていた。頭は疲労しはじめていたのだと思う。

 それでも、よく動けた。一回休むとそのまま休みグセがついてしまいそうな、アンバランスな体調であったにもかかわらず。
 頭が行動を支配する代わりに、カラダがリードし始めたような感覚であった。両脚が股関節と連動しながらマシンのように回転する―。そうふりかえることもできるのだが、個別の部位だけが優位に活動しているのではないだろう。全体が動きたがっている、といったほうが正しい。下りも怖くなかった。平らな石に、足を置いて蹴る。大腿四頭筋はぴりぴり張ってはいるが痛くはない。「ずっと続くわけはないよな」と思う。が、ずっと続いてほしい。勢いにのった地元フランス人らに、アレはベルギーだったか東欧のどこかだったか―、美しいフォームの男性選手が混じり、集団になって追い越していった。それについてゆくまでのスピードはない。が、そうこうするうちに、Beaufort の市街地が小さく見え始める。
 市街地に降りると、さすがにダメージを負っていることに気がつくが、街に入り、窓辺から声援を送ってくれる人々を目にすると、心地よい達成感に包まれる。ああ、ついに Beaufort に着いた。
 この区間は、キロ10分57秒でこなしていた。登りも含むので十分である。   
    
 午後06:38。順位は、8人を越して450位。
 中盤戦が終わった。日本を出立する前のプランでは、午後08:40に到着する予定だったので2時間も早い。

 それにしても、なぜ「カラダが動きをリードする」ような調子が生じたのだろうか。自信をもって説明することは難しいのだが、ひとつだけしっくりくる理由があるのだ。
 「終盤戦」をまとめるまでに、うまくコトバにできるといいのだが―。 

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