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57歳でUTMB(TDS)を走って分かったこと【中盤50-65km】


 エントリーしたのは全部で1874人。そのうち完走できたのは1111人。
 つまり、2024年のTDS完走率は59パーセント。
 なかにはギリギリのところで涙を飲んだ方も多かったはず。そうした選手の勝敗を分けたのは(データをきちんと見なければ分からないが)、おそらく中盤戦でいかに余力を残せたか否かにあったのではないだろうか。

 さて、わたしが事前につくったレースプランをおさらいしたい。 
 以下の4区間に分けて考えていた。

UTMB「TDS」148kmのコース

①前半は、地図右端のCourmayeurから、
 いちばん南に位置するBourg St. Mauriceまで。およそ50km。   
②中盤は、Bourg St. Mauriceから、
 いちばん西に位置するBeaufortまでの、およそ41km。
③終盤は、Beaufortから(ゴールChamonixまでの中間に位置する) 
 Les Contaminesまで。およそ31km。
④最終盤が、そのLes ContaminesからゴールChamonixまで。およそ26km。

 距離でいえば前半がいちばん長いわけだが、最も楽しかった。「頭脳戦」が通用したからだと思う。しかし、ものごとは、計画通りにはいかないものだろう。次第に状況が変わってくる。そのときに、どう対処するのか? それが問われたのが、中盤戦であった。

やはり、ことしは暑い?

 中盤戦を迎えるにあたり、その起点となるBourg St. Mauriceでどう考えていたのか。過去のデータを見ると、中盤でつぶれてしまう選手が一定数はいる。レースを乗り切れるかどうかは、この区間をどう凌ぐのかにかかっていそうだ。
  そして、ことしの場合、酷暑への対応がカギを握るとみた。
 昨年は「極寒を耐えた」と知らされていたため、正反対である。
 前半を走りながら、状況を想定していた。フランスは日没時間が遅い。20:00過ぎである。しかも、このあとは森林限界を越える区間が待ち構えていて、常に日光に照らされる。それが10時間は続きそうだ。
 そこで、上半身は、長袖Tシャツから、半袖Tシャツに着替える(とはいえ、2000mの高地である。ドライミックメッシュの下着はそのまま)。
 今回、500mlのソフトフラスクを持参せず、その代わりに、2リットルのウォーターパックに切り替えたが、実に正解であった。わたしはさらに、300mlのハードフラスクと、紙パックのオレンジジュースを持った。いずれも保険である。
 補給食も、ジェル中心に切り替えた。アミノバイタルと塩ジェルを1時間おきに交互に摂る計画(合わせて10個)。エネルギー系統は(トレイルバターから)スポーツ羊羹に切り替えた。さらに、離乳食の「鶏おじや」もザックに詰め込んだ(※さいわい、50km地点のBourg St. Mauriceでは、仲間からのアシストが受けられるので、上記の補給食を持ち込んでもらっていたのだ)。
 キャップとサングラスを受け取る。不要になったバッテリーをわたす。靴下を履き替えるのも、忘れない。
 最後に、運営側による装備品チェックを済ませ(①サバイバルブランケット、②スマートフォン、③レインウエア)、12分でエイドをあとにする。

 まず目指すは、Fort de la Platteという石造りの要塞である。およそ5kmで1100mを登らなければならない。走れる勾配ではない。きれいに踏み鳴らされたシングルトレイルをパワーウォークで登る。すぐに息が上がり始める。60歳台も後半とおぼしき外国の男性が苦しそうに歩いているのが見えた。尊敬します、と、胸の内でつぶやき、追い越す。 高台に出ると、草原が広がる。渋滞するほどではないが、数人が一列縦隊になって進む。見回すと、後方には、さっき出たばかりのBourg St. Mauriceの街が小さく見える。周囲には、お椀を伏せたような緑色の山々が幾つも連なる。そして、2~3km進むと、石造りの建物が見えはじめる。ああ、あそこがFort de la Platteか…と期待するも、近くまで行くと、素通りしてゆく一群が見える。ちがうのだ。そんなに簡単じゃないよね、と、じぶんの足元をにらみながら、ひたすら登る。さらに2~3km登り、次に見えてくる石造りの建物が、今度こそホンモノの、Fort de la Platteだ。
 5kmの道のりに1時間33分もかかっている。1キロあたり20分23秒のペースである。実は、全行程のうち、いちばん時間がかかっている。しかし、その理由は、列が詰まるため、全体のペースが上がらないためだと思う。適度に休みながら進めたのは、むしろメリットだったかもしれない。 
 時刻は、午前10:32。順位は678位。
 ここには、2種類の給水スポットがある。ひとつは、仮設の販売店。ペリエなどの飲料水が5ユーロで売られている。もうひとつは、蛇口が4~5個ある、水のタンクだ。こちらは無料。どちらにも10人前後の選手たちが群がっている。じぶんもウォーターパックを満タンにする。

時代を超えた崇高なフンイキ

 さて、ここでは、ちょっと印象深いオブジェに出会うことができた。木材を組んだ高さ3メートルくらいの「多面体」の搭。

「ケール」と聞こえたが…。

 水平方向に横木が幾つも渡され、巨大な「棚」のようである。そこに大小さまざまな石が陳列してある。「Qu’est-ce que c’est」と、そこにいた初老の男性に尋ねたら「ケール」だと教えてくれた(そう聞こえたが合っているかどうか…)。石を載せてもいいよ、と、ジェスチャーで示してくれたので、遠慮気味に小さいのを拾って、飾ってみた。何か宗教的な祈りのようなものだろうか?
 確かに、このあとのコースで得た感覚を予感させるようなオブジェであった。レース名の「TDS」とは"Sur les Traces des Ducs de Savoie"の略。「サヴォワ侯の足跡を訪ねて」という意味だそうだ。事前に歴史を学んでレースに臨めば、あるいはこのコースの深淵な趣をより味わえたかもしれない。それでも、こうしたオブジェと出会えたおかげで、トレイルランニングという皮膜をめくった裏側に、幾重にも積み重なっているであろう歴史について思いをめぐらすことができた。

完走できるかできないか―、はじめの分水嶺

 さあ、前に進もう! まさに中盤戦でまみえた風景は、時代を超えた「物語」のようであった(※写真)。見渡す限りの岩稜である。森林はない。草原には、踏み固められた道が力強く伸びている。その先を、先行する選手たちが蟻のように小さく見える。ああ、あそこまでゆくんだなあ、と考えると、気が滅入る。日本では見たこともないような野性味あふれる牛たちが「草原の王者」のような面持ちで、われらのことなど意に介するふうもなく寝そべり、あるいは草をはむ。
 目指すは、次のチェックポイント Passeur de Pralognan―。Fort de la Platteから6km先である。そこはエイドではないので飲食の提供を受けることはできないが、それでも、進捗を示す区切りが欲しい。
 ようやく、ひとつの山を越えたとする。すると、さらにその先の地平線を越えてゆく選手たちの姿が見える。その連続である。越えても越えても山。美しいのだが、笑えない。まるでスターウォーズのロケ地のような、人を寄せ付けない巨岩に圧倒されながら、それでも太古の昔から人々が歩いてきたであろう妙に温かみのある道をひたすら進む。
 座り込んで休む選手や、眠気に負けて横になる選手が、このあたりからずっと散見されるようになる。
 じぶんも、ペースが落ちてきたのを感じはじめていた。前半戦では、想定よりプラス50分の貯金ができていたが、すでにそれが20~30分にまで縮んでいた。
 そんなとき、心の支えになったのは、ともにゆく選手たちとのコミュニケーションであった。アジアにルーツがありそうな若いフランス人男性と、足元は不安定だが全体的に頑強そうなイメージのオーストラリア人の女性。ともになんだか優しいのである。詳細には何を言っているのか分からない部分もあったが、がつがつしてなくて、前後への気配りが感じられる。「あなたの名前が知りたい」と尋ねてくれる。「Jute・River」と漢字を直訳し単語で答えると「fantastic!」と返ってくる。この先、出会うかどうか分からない人たちではあるが、わたしの名前が、彼女らのなかで、あのフランスの風景と結びついて記憶されたとしたら、なんと幸せで不思議なことだろう。
 走る者には、その苦しみも喜びも、ことばで伝えなくても分かり合えるはずと信じる。ひとの尊厳のような奥底で響きあうのだと思う。

要注意!プラロニャンの下り

 かくして、Fort de la Platteからの6kmを1時間45分かけて、Passeur de Pralognanに着く。標高2544mの切り立った尾根である。ここを一気に下ってゆく。最も注意が必要と踏んでいた場所である。過去にここで滑落死した選手がいたからだ。ジグザグに折れ曲がる急な下りで、片側が数十メートルは落ちている。とはいえ、変に気負わず、慎重に下れば、大丈夫だろう。鎖も張ってある。実際には、恐怖で足がすくむほどの高所ではない。わたしは、じぶんのペースでゆっくり降りられるよう、数人の選手たちに先を譲った。先行する選手たちから、見る見るうちに離されたが、気にしない。「プラロニャンの渡し守」とでも訳せばいいのだろうか? この地に人格を感じ、そう名付けた昔の人々がいた。そのことが心に残った。
 標高にして200mほど下ってゆくと、徐々になだらかになり、やがて平坦で広い林道になる。久々にストレスなく走れる。そのまま2kmほど進むと前方に観光客のような一群がたむろするのが見えてくる。

 待ちに待ったエイドである。Cormet de Roselendだ。
 すでに時刻は、午後01:00。順位は629位。着実に上げてはいたが、スピードアップしたわけではない。他の選手がこぼれ落ちはじめていたのだ。
 いよいよ本格的に、ねばりが問われる時間帯であった。

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