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院長はこんなひとpart.1〜なんで医者を目指したの編〜

はじめに

医者を目指した理由などをお話しすることで、人となりが少しでも伝わると嬉しいです。笑

医者を目指したきっかけ

幼少期の経験

私は低出生体重児として生まれました。何不自由なくすくすく育ったものの、身長はなかなか伸びず、幼稚園では一人だけ体が明らかに小さかったんです。病院で検査を受けた結果、「成長ホルモン分泌不全症」と診断されました。おそらく両親はとても心配していたと思います。学校の先生も「いじめられないか」と、とても気にかけてくれたのを覚えています。

毎日成長ホルモンの注射を打つのは大変でしたが、幸い、いじめに遭うこともなく楽しい日々を送ることができました。それでも時折、「どうしてこんな体で生まれてきたんだろう」と思い悩むこともありました。

恩師からの言葉

この病気の治療のため、幼稚園から高校2年生まで、ずっと同じ先生に診てもらっていました。私の親族には医療関係者は一人もいませんが、そのM先生はとても身近な存在でした。最後の外来の日、「二人で話そう」と言われ、「ひかるくんは将来何になりたい?」と聞かれました。悩んでいると先生はこう言ったのです。

「僕の勝手な気持ちだけど、医者が合ってると思う。ひかるくんにぴったりだ。幼稚園からずっと見てきたからわかるよ。こんなにやりがいのある楽しい仕事はない。もし医者にならなくても、君にしかできないこと、そして社会の役に立つことをしてほしいな。」

その言葉は今でも心に残っています。生き方を肯定されたようで、すごく嬉しかったんです。そして「自分と同じ病気の子どもたちをみることが自分の使命だ!」と強く思い、医学部を目指すことになりました。

師匠との出会いと総合診療

医学部では、M先生のような小児科医になりたいという思いを抱きながら6年間を過ごしました。幼稚園の先生にも憧れていたので、「小児科の専門医を取ったら幼稚園を開業してダブルワークも面白いかも」と妄想していました笑

しかし、研修医時代、小児科を経験していく中で理想と現実の間で揺れ、進路に迷うことに。高校生の頃に描いていた自分とは違う気持ちになったことに驚きを隠せませんでした。

そんな時、現在の師匠である石田岳史先生(現:東京科学大学総合診療科教授、当時さいたま市民医療センター副院長)から「飲み行こか?(関西弁)」と声をかけられました。一研修医が副院長と二人で飲みに行くなんて、今思うと信じられません。笑
石田先生は自治医大時代の地域医療の経験を語ってくれました。兵庫でのへき地医療の話や、これからの時代に総合診療が重要になることなどを熱心に話してくださいました。そして、自分の想いを引き出してくれました。今思うと、コーチングをしていただいていたんですね。

「先生の目指すところは、地域医療や総合診療なんちゃうか?」

「この人についていこう」
その日の対話を通じて一気に道が開けた気がしました。
今でも石田先生は「あの時食べた烏賊が美味すぎたな~烏賊で石川くんが釣れたわ(笑)」と笑いながら話してくれます。
10年経った今、こうやってまた一緒に仕事ができることを誇りに思います。

こうして私は総合診療の道を進むことになりました。

~Part.2に続く~

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