若き日の感受性
少し前に、どこかの助教授(???)が、“ユーミンを純粋な若き才能のまま早逝した方が良かった”などの暴言を吐いていたが、身近な友人の死を、何も纏わない剥き出しの感受性で受け取ったからこそ、“ひこうき雲”が生まれたわけで、でもその裸の感受性は、きっととても傷つきやすく、他の人には見えたり聞こえたり感じたりしないような、時には霧雨のように纏わり付いたり、時には微細で鋭利な刃物としてチクチクと刺してきたりして、鬱陶しさやモヤモヤや苦しみや痛みをずっと多く受け取っているのは間違いない。
もちろん、暖かい春の日差しや暑い夏が過ぎ去った後の、穏やかな秋の空気も、他の人より少し早めに感じ取ることもあるだろう。
でも周囲には、ネガティブな、負の情報の方が、圧倒的に多く、エネルギーが強いので、強く深く感じ取ってしまうのは仕方がない。若い頃の感受性とはそういうものだ。
加えて、感受性の強弱に関わらず、若い頃の心はとても無防備だ。あらゆる実体験を伴う経験が豊富で、そのフィードバックを自身の考えにきっちり落とし込んで、それらを糧に慎重にかつ大胆に行動する、みたいな19歳は、おそらくごく稀にしか存在しない。
大人にならざるを得ない瞬間は、誰の身にもいずれ必ずやってくる。
他人とは一緒ではない生まれ育った環境をベースとして、不公平や軋轢、社会の不条理を伴うであろう様々な新しい経験から得られた様々な知見や情報を元に、受け入れられること、受け入れられないこと、出来ること、出来ないこと、ひとつひとつ似たような取捨選択を繰り返し、社会と自分との折り合いを付けつつ、着心地のよい薄手の柔らかい布から、それなりに頑丈な鎧を纏っていく過程が大人になるということのように思うのだけど、どうだろう。
現状を眺めていると、大人になれなかった外見だけ大人がとても多いのは事実。大人にならざるを得ないのと、大人になれるかはまた別問題なのだよね。
(“大人になる”と書いているけど、おもに心の成長をあらわす概念としてです。その善悪はまた別問題。)
コロナ禍以降、社会を取り巻く重苦しさ、閉塞感、現在進行形や将来への不安、その他様々、ヘビーな要素は間違いなく増大していると思う。それなりにガードしているつもりの大人だって相当にキツいし、これから大人になる途中の若い子たち、ノーガードに近い状態で晒されている子たちはもっとダイレクトなキツさを感じているのだろうな。しんどいよね。
最後に何か勇気づけるような言葉で結びたかったのだけど、上手くいかなかった。
ひとつだけ言えるのは、それがたとえネット上であっても、そこには見ず知らずの相手しかいなくても、今抱えていてどうしようもない想いや気持ちや考えを、何らかの形で表現できる、投げられる場所があるし、何も言われたくなければコメントクローズすればいいし、とにかく吐き出すことを考えて欲しいなと思う。
今、把握できないくらい多くの新しいミュージシャンが現在進行形で世に出てきていて、その多くの人たちに共通するのは、何となくだけど、抱えきれない様々なネガティブな感情を、裸の感受性をもって、痛みを伴いながら吐き出しているんじゃないかな、という気がしている。
どの曲も歌詞がとても良いなと思って最近聴いていたのだけど、この曲のコメントに、“19歳にこんな歌詞を書かせる社会”とあって、その年齢に驚いたのと、リアルタイムでめっちゃしんどい誰かに何かを伝えたくて今日はこのnoteを書きました。
何とかサバイブしようね。
pain / Vaundy
https://youtu.be/cgVFGJGFSrE
追記:
肝心なこと書き忘れた。
ユーミンは、荒井由実名義では数枚しかアルバムは出しておらず、万が一にでも早逝するようなことがあったとしたら、松任谷由実名義以降も含めてリリースされた膨大な数の名曲がこの世に存在しなかったことになるので、暴言の主は真性の馬鹿ですよね。
世界は、あなたたちがこれから世に出す曲も、絶対聴きたいと思うので、決していなくならないでください。