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Greyに惹かれて

いつも1人で居る時は映画やドラマをつけている、観ているではなく「つけている」

大抵外国のものが多い
英語圏のものが多い

Netflixでおすすめになっていた

スルーマイウィンドウ

タイトルにも惹かれて観てみることに
ごく普通の学生が主人公のコメディっぽぃのかと思ったらそうでは無くキャストや構成も良くて観入ってしまった
舞台はバルセロナ、とても綺麗で風景にも魅かれる
主人公の思春期の女の子はごく普通の家庭の子
父親は他界し、母子家庭でお母さんと2人暮らし、趣味は小説を書く事
亡くなった父親も小説家を目指して執筆していたが、出版社へ応募する前に亡くなっていた
その父親の遺作を原稿が破れてボロボロになるまで何度も何度も読み返す
その少女が隣に住むバルセロナでは有名な大企業の三兄弟の真ん中の男の子を好きになったことからこの物語は始まる
スローリー構成も風景もキャスティングも素晴らしく映像も綺麗だった
観た人はスペインに行きたいと思うほど美しい街並みや歴史上でも有名な建物に魅了されてしまうと思う
スペインの映画は馴染みがないけどすごく良かった、ありきたりの感想で申し訳ない
語彙が少ないもので.....
ちなみにこのスルーマイウィンドウは3部作となっているので観たことの無い人は1部から観ることをお勧めします(´∀`)

何だかこの映画を観て急に
50 Shades of Greyを観たくなった

この映画は観る人の感性によって賛否両論
良い、別に、に大きく分かれると思う

幼い頃に酷い虐待を受けたトラウマから人を愛せず寄せ付けず心を閉ざしたままの青年実業家
5歳の頃にある女医に引き取られ裕福な生活、教育を受ける
若くして事業を起こし大企業のトップになり、皆が憧れる存在に
その話題の若年にして大成功をおさめた社長に取材をする為にある女子大生が訪れる
その女子大生は取材に来るはずだった友人の代わりに訪れたのだった.....
そこから急展開で物語が始まっていく

ありきたりのシンデレラストーリーではない
と、言っても人の感想によっては「シンデレラストーリー」かもしれないなぁ.....

女子なら誰でも心の片隅にある憧れの生活が描かれている
自家用ジェットにプライベートなボディガード
億ションに住み、お金で買えるものは何でも買えてしまう

その奥にある「真実の姿」

実業家と普通に育った幼い女子学生
そのギャップが2人の愛を翻弄していく

かなり濃厚シーンが続くので未成年者とは観られないかもです(*´-`)

もうひとつのGreyは
全米ロングランヒットした医療系ドラマ

Grey’s Anatomy

最近主人公のEllen Pompeoが降板してしまい、「声」だけの出演になってしまって少し寂しいがなんせ19年以上続いているこのドラマ
医療シーンも多いが人間関係も強かにそして偏ることなく現実味を帯びていて本当に何度も観てしまう大好きなドラマ
主人公だけではなくサブキャストの人たちの人間性も豊かに演出されその背景までも映し出す一度観たらやめられないドラマ

Grey、苗字であって色のGLAYではないけど久しぶりに観た
50 shades of Grey
Grey’s Anatomy
繋がりで今回のタイトルになった

でもグレイって何となく「灰色」を思い浮かべる、黒でも白でもなく灰色
なんか、この世を表す色にピッタリだなぁ
と、思った

白黒付けられる事ばかりではない
グレイゾーンが保つ世界も存在する
ハッキリさせなくてはいけないこと、させてはいけないことも存在する
特に人の感情はハッキリと形の無いものだから皆、神経質になる

50 Shades of Greyのクリスチャンは自分の個性を別の人格に仕立て上げる事で社会に対応しエンパイアを築いて来た
幼い頃受けた傷は身体に残り、何より心に深い傷を残していた
決して癒されることのない傷
けれど何の経験もない女子大生の無邪気な愛とひたむきな気持ちに翻弄されていく

結局

心の傷は「愛」でしか癒せない

ふーん、とか


思いました?


何だ?それ、とか

思いました?


私は映画の構成とか演出に詳しい訳ではありません。けれど台詞や描写にとてもこだわります。本当は何人ものスタッフやカメラマン、照明さん等が居る中でとてもナチュラルに本当のことのように魅せる技術はすごいなぁといつも思うんです。

Through my windowのラカルが親友を失った時に贈った言葉の中で

“1秒でいい貴方に会いたい、1秒あったら貴方にごめんなさい、って言えるのに。1秒で良いからもう一度貴方に会いたい”と、泣きじゃくりながら叫ぶように言う

涙が溢れて止まらなくなった
私の心情そのままだったからなのか
それとも彼女の演技がとても切迫感があったからなのか、わからない

人は年齢を重ねる度に色のないフィルムを身体全体に纏っていく
言葉にも制限をかけ、言いたいことも、思っていることも素直に表現出来なくなっていく
いつの間にか何が「本当の自分」なのか見失いそうになっていく
心を傷付けないように
心が悲しまないように

そう気をつけていても人は何気ない言葉で傷付き、そのつもりは無くても人を傷付けてしまう
知らない間に防御を身につけ、自分の心の処理の仕方を覚えていく
けれど本当に人を愛した時、心のベールは剥がれ落ち全ては生まれた時のままになる
喜びも悲しみも、絶望感も今までの味わったこともない幸福感も裸にされてしまった心にダイレクトに響き渡る
そして人を愛した時にもう1人の人格の自分に出会う事にもなるのだ
こんな自分いたっけ、と自分が1番驚くことにもなる
人間はどう他人から見られているのか、どう思われているのかある程度理解している
だから無意識に毎日を「演じて」生活している

感情は不思議だ

体調や環境、自分を取り囲む人達にも左右される、人間は環境動物と言われるゆえん

感情の中で「失う」ということが1番辛い

生きていればまた会えるかもしれない
でも亡くなってしまったら永遠に失う事になる
その喪失感は言葉に出来ない、言葉にもならない、表現のしようがない

私の好きなGrey達はちゃんと自分の感情に向き合い、愛する人の前ではただの男であり、女である事を認めて愛の前にひれ伏す
その情景を2人のGreyはとても感情豊かに演じてくれていた

感情に素直になれる時間は限られている
自分の感情を押し殺しながら生きていく時間のほうが人生の大半を占める

人を本当に心の底から愛した時に自分と初めて向き合えるのかもしれない、そう思う

私は最愛の母を失くした
何でも白黒付けたがる私に母はよく「グレイにしとかんとあかん事もあるんよ、理不尽やと思てもしゃーないなぁ」と、笑いながら言っていた

今ならその言葉の意味が理解出来るようになった、歳を取ったんだなぁと思う

気が合わないなと思ってる人の前でも作り笑いが出来てしまう自分に苦笑する

これも私の中のグレイなんだ、きっと


長々とすみませんでした

読んでくださった方、本当にありがとうございます😊

今日の散歩の途中










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