見出し画像

母の推しが亡くなった



母の推しが亡くなった。思いの外、私が落ち込んでいる。名をつば九郎という。正確には彼の担当者さんが亡くなった。

母に連れられて色々見る中で、つば九郎のイメージが変わった話をする。

つば九郎、ネット上では「畜ペン」として荒々しい言動が目立っている。私自身も最初はそういう鳥だということしか知らなかった。

しかし彼の名を初めて球場で呼んだ時、立ち止まって、こちらに体を向け、じっとこちらを見てから、ゆっくり、深く一礼してくれた。
その姿を見て、印象が変わった。ファン想いの人だと感じた。つば九郎そんな、そんな丁寧なんかい!!!! とギャップに驚いた。


またもう一件記しておきたいことがある。クリスマスショーの話。

2024年12月、母に連れられてつば九郎とドアラのクリスマスショーを観に行った。私が鑑賞したのは、石川で開催された回だった。

会場では、能登半島地震における復興のための募金活動を行っていた。つば九郎とドアラの手書きメッセージが募金箱に添えられていたのが、印象的だった。

↑これは以前のクリスマスショーでの画像とのこと。


またショーの内容は口外してはいけないという決まりだったので詳しく書けないが、明らかに観客層の殆どが知らないであろう元ネタをノリノリでやる映像が流れた時が、個人的にはめちゃくちゃ面白かった。ぶっちゃけあの時は私と2〜3人の若い人しか笑ってなかった気がする。それくらいウケてなかった。でもそれが良かった。

逆に私は野球ネタにそこまで詳しくないため、ショー中に若干アウェーを感じていた。そのタイミングでぶっ込まれたダンスネタ。どなたが考案したか分からないけど、楽しそうにやってくれてありがとう。


ということで、私自身12月に生で見たばかりなので、まさかあれが最後になるとは思っておらず、かなりショックを受けている。

キレキレのフリップ芸、空中くるりんぱ、曲に合わせたゆるいダンス、チアガール達へのちょっかい芸。もう見られないと思うと寂しい。表舞台から去る際は華々しく引退セレモニーをされるとばかり思っていた。

また個人的な話になるが、自分は両親と不仲だった時期があった。しかし大人になってから、家族で野球観戦に行くというイベントがあった。あれは間違いなく私たちの仲を修復してくれた要素の一つだ。私はつば九郎がいなかったら球場に足を運ぶことはなかった(最初は知ってるキャラがいるなら行くか、のノリで行った)。楽しい思い出になった。


こういう文章はどう締め括ったらいいかわからない。正直実家にいる母にもなんとメッセージを送ればいいか迷ったまま、これを打ち込んでいる。

ゆっくり休んでください、なのか、ご冥福をお祈りします、なのか、何が最適なのかは分からない。でもとにかく、これだけは記しておきたい。私たち家族をたくさん笑わせてくれてありがとう。

いいなと思ったら応援しよう!