「絵を売る」が分からない
身近すぎると分からないというやつなのだろうか。
絵を描くことが好きだと知って、これは技術なんだと感じることがあった。
それも履歴書の「特殊技能」項目に書いても糾弾されないような、違和感のないものだということも知った。
絵を売りたいと思った。
でも、絵を売るってなんなんだ?
日常目にする物の多くに「イラスト」というものは溢れている。
商品パッケージなどはもちろん、物によってはインテリアや家電等にも施されているだろう。
それらももちろん誰かがデザイン・制作したに違いない。
でも、「絵を売る」ってなんだ?
誰に?何を?どうやって?なんで?
選択肢が広いとも感じるし、誰も求めてないのではとも感じる。
自分の絵柄的にアイコンやゲームキャラのような、そんな想定はできるとしても、それらを求めている人は居るのか?
居たとした場合、どこに?どのように?
幹である「絵を売りたい」が決まっても、その先の枝葉の分岐が多くて実際の「絵を売る」想像がつかない。
たとえばここで、サムネやアイコンを描きますよと言った場合に、それは契約になり得るのか。
その先の金銭のやり取り等も何を介してどのように行うのが定石なのか、はたまた双方にとって利便性が高いのか。
収入となった場合の行政への申請や納税、自身の所属や肩書など、考えを巡らせたら留まる気配が薄いし、分からないことが多すぎる。
改めて「社会」というものを考えるきっかけになる。
それと共に、あまりの自分の浅学さに驚く。
のらりくらりと社会の歯車に混ざることの「考えなくて済む」要素のなんと多いことか。
(自分が考えて生きてこなかっただけかもしれないが)
あまりに膨大な問題・疑問が待ち構えていると思ってしまうと、どうしても足はすくむものだろう。
何から手をつけたらいいのか、右往左往するしかできていない感じがする。
それと合わせて自身の技術も継続しなければ錆びるばかり。
技術向上、社会勉強、新しい情報の収集、それらを継続化させる仕組み…。
「学生」を脱して久しいが、もっとも「学生」らしい気がしないでもない。
構えてばかりじゃ始まらない。としても、何も知らずにも始められない。
もしかしたら、こうして文章にして頭の中の整理をするのは悪くないのかもしれない。
時間はかかるが、少しずつ問題解決していこう。少しずつ身に着けていこう。
少なくとも一週間前は、「記事を書く」「『絵を売る』ことを深堀する」ことは少なかったのだから。
まずは自分が「何を描きたいか」より考えることとしようか。
割と直近の物から過去作まで色々。
これらから自分になにが出来るのか。
うーーーーーーーーーーーーーーーん…
何がいいと思いますか?
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